3T(田原・田岡・高野)よ、歴史は大局を見渡して言え!揚げ足とるな!今日は本当に目ぼしいニュースがない。「エクアドルのコレア大統領のルーツは秀吉の朝鮮侵略で連行された子孫?」(朝鮮新報)。またウリナラマンセイ起源説か‥‥。「未来の韓国軍兵士は“ロボコップ”並み!?」(朝鮮日報)。またろくでもない自慢話か‥‥。「韓国でコンドームの販売急増」(朝鮮日報)。それがどうした‥‥。まったく面白くない‥‥。 とまあ、今日はこんな具合‥‥。しかし何か記事を書かなきゃならない。それが一応、小生の日課。そこで、田母神論文(←またかと思わないでね)について、少し気になっていたことを記事にしたい。一昨日(日曜日)朝のテレビ番組『サンデープロジェクト』で「徹底激論! これは“言論クーデター”か? - 田母神論文の問題点 -」というのをやっていた。司会はおなじみ、売国ジャーナリスト田原総一郎。出席者は志方俊之(帝京大学教授・元陸上自衛隊幹部)、潮匡人(帝京大学准教授・元航空自衛隊幹部)、田岡俊次(元アカヒ記者・軍事評論家)。※この番組の評価は、ブログの大御所coffeeさんの『正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現 』に詳しく書かれているので、そちらをぜひご覧いただきたい。 さて、番組の中で田岡は、先の田母神氏参考人質疑で、質問に立った議員が論文に書かれている内容(歴史認識問題)を避けたのは、自分たち(国会議員)が歴史を知らないからだ、そこを論点にすべきだった、それはマスコミとて同じだと言っていた。それはそのとおりだと思う。だが田岡は、田母神論文の内容について「少しでも歴史を知っている者であれば、デタラメであることがすぐに分かる」といい、パネラーの高野孟(「インサイダー編集長」:プロ青同活動家)も「相当レベルが低い論文、稚拙な論文である」とこきおろしていた。相当レベルが低いのはお前たちだろう。あまりの厚顔無恥さぶりに、アホらしすぎて閉口してしまった。いったい自分たちを何様だと思っているのか。 司会者の田原が、論文の説明をする中で具体的な内容を指して「“米国のフランクリン・ルーズベルト政権にもコミンテルンのスパイがおり、日本はF・ルーズベルトの罠にはまり真珠湾攻撃をした”と田母神論文にはあるが、確かにハル・ノートを書いたホワイトという人物がソ連のスパイであったことは事実。しかし、実は田母神さんが引用しているこの事実を書いた人自身が、それは(F・ルーズベルトの対日政策に)大きな影響をもたらしていないと書いている。だから、そういう意味では田母神さんは都合のいいところだけを引用しているという印象がある」と指摘していた。田岡も勝ち誇ったように「そう、そう」と頷いていた。 こういうのを、歴史を大局的に見ようとしないで、重箱の隅ばかりをつついて喜んでいる間抜けな歴史音痴というのではないだろうか。田原も田岡も高野も(3T)、朝日新聞に大変縁が深いので、朝日新聞社刊行の『太平洋戦争への道』(1963年)から、その大局を論じてみたい。 「日米関係は日露戦争を境に一変した。すでに1905年(明治38年)8月29日、セオドア・ルーズベルトの書簡は、『余は従来日本びいきであったが、講和会議開催以来、日本びいきでなくなった』と書いている」(本編・第一巻11頁)これは重大な事実である。この講和会議というのはいうまでもなく「ポーツマス会議」(日露講和会議)のことである。つまり日露戦争の講和を話し合った会議であり、それを仲介したのがT・ルーズベルトであったが、そのときからT・ルーズベルトは反日感情を持っていたのである。少々長くなるが、同じ『太平洋戦争の道』第一巻・第一章・第二節には以下のように記されている。 19世紀の末葉、日清戦争に敗れた清国の弱体をみて取った欧州列強は、清国に利権を強要して、おのおのその勢力範囲を固めた。このころ、太平洋をへだてたアメリカは、1898年の米西戦争を境として、モンロー主義からいわゆる帝国主義に転換した。この戦勝によって、米国はカリブ海の支配権を握るとともに、一躍して太平洋の強国となり、中国市場に積極的に進出を企てるようになった。こうしてアメリカは、両洋にわたる権益を擁護するために海軍の大拡張を進めた。 この新帝国主義政策の論理的指導者はマハン提督であり、その実践的推進者はセオドール・ルーズベルトである。マハンは1890年『海上権力史論』を著し、英国興隆の跡を分析して、‥‥カリブ海及びアジアの未開拓の市場が提供する果実を刈り取るためには、海洋支配するに足る強力な艦隊が必要であることを強調した。‥‥ルーズベルトもまた、誇り高く気概ある真に偉大な国民は、国家の名誉を犠牲にしてあがなわれる、かの低俗な繁栄を買い求めるよりは、戦争のあらゆる悲惨から顔をそむけないであろう、いかなる平和も、戦争の至高の勝利ほどには偉大でない、と説いている。これは19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカの「精神状態」であった。先に引用したT・ルーズベルト大統領の書簡は、このような精神状態と国際環境の中で書かれたものなのである。日米開戦が、こうした背景の中で着々と準備が始まったことはいうまでもない。 また、当時欧米でベストセラーとなっていた本に『日米必戦論』(原題:『無知の勇気』ホーマー・リー著)というのがある。ポーツマス条約中に構想され、その直後に出版された一種の時局小説、今風にいえば「近未来戦史」とでもいうべき小説である。この本は、日露戦争に続いて極めて近い将来に日米戦争が起こるものとして論を進めている。「日米戦争の舞台は太平洋にして、その戦闘区域はフィリピン群島、ハワイ、アラスカ、ワシントン、オレゴン、及びカリフォルニアならん」と予言しているのである。もちろん日本は、アメリカ本土まで攻め行く元気はなかったが、おおむねこの予想は正しかったといえる。 この本には、前アメリカ陸軍参謀長チャフィー中将と、ストーリー退役陸軍少将が序文を寄せ、著者の所論の重要性を歓迎賞賛し、特に後者は「本書は軍事的著述にして合衆国の識者にして愛国者たるものは、必ず精読せざるべからざる所のものなり」と推薦している。アメリカの政治家と軍部は本書の「予言」を信じ、著者の指示以上に軍備を拡張し、陸海軍の体質を改善し、戦略を定め、太平洋の制覇と日本撃破のために着々と準備を整えて、開戦の機会を待っていたと察せられる節が多いのである。先に引用したT・ルーズベルトの書簡「余は従来日本びいきであったが、講和会議以来、日本びいきでなくなった」という言葉と、この流れは実に多くの点と重なり合い、思い合わされるのである。ちなみにT・ルーズベルトとF・ルーズベルトとは従兄弟である。 アメリカの当時の「恐日病」はこんなところにも窺えるが、いずれにせよ、米国の対日戦争準備は日露戦争直後から始まり、その後約30年の歳月と曲折を経て、ほとんど完成に近づき、後はただ日本がこの網と罠の中に自ら飛び込んでくるのを待つばかりであったといえるのである。 従って、日米開戦史を考えるとき、田原や田岡が言う「都合のいいところだけを引用して云々」といった狭義の議論、揚げ足をとるような議論では、それこそ大局を見失う危険性がある。あえてそれを承知で田母神論文を貶めようとするのは、卑劣といわざるを得ない。彼らに歴史を語る資格はない。まして知ったかぶりをするのは言語道断である。歴史というものは、大局を見渡した中で議論を深め、考察していかなければならない。そういう意味で、田母神論文は、大局において大きな、そして致命的な誤りはないと断言できるのである。 ※ 尚、読者から、フランクリン・ルーズベルト(第32代大統領)とセオドア・ルーズベルト(第26代大統領)を混同しているのではないかというご指摘があった。確かに最初の記事ではそういわれても仕方がない、舌足らずのところがあった。それで推敲後のこの記事にはイニシャルをつけて、その区別をはっきりさせた。今回の記事の趣旨は、F・ルーズベルトの陰謀といった狭義の意味で先の大戦を捉えるのではなく、もっと広義な意味で、つまりそれ以前から、米国には太平洋におけるわが国との戦争を画策・誘発する要因があったということを言いたかった。いずれにしても、田母神論文のテーマとするところは「日本人の不名誉の払拭」「日本人の誇りの回復」なのである。 shiraty5027
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2008年11月18日
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