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2008年11月01日
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こんにちは、ゲストさん
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ナゾの反転:栗田健男中将 (五)ところが、午前9時25分、スプレイグ少将は、栗田艦隊が引き揚げるのを見て眼を見張った。まるで「死刑執行寸前に黙って部屋を出て行く執行人を見送る死刑囚」の心境で、ただ呆然としていた。 すると、午前10時54分、北方に向かっていた栗田艦隊は再び向きを変え、南下してきた。栗田中将は戦場が紛糾し、重巡部隊のうち「熊野」「筑摩」「鳥海」「鈴谷」が大中破したのを見て、いったん隊形を整備してレイテ湾突入を図ったのである。 米艦隊は完全に混乱していた。スプレイグ部隊の危機は伝えられたが、ハルゼー大将は、キンケイド中将の不手際と怒り、キンケイド中将はハルゼー大将の怠慢をなじる電報を発し、スプレイグ少将はその両方に呪いの眼を向け、そして誰も何の処置もとろうとしなかった。 戦闘の成否は、参加部隊の統一された行動にかかっている。そして、部隊間の統制はまず指揮官の心理的結合によって生まれるとすれば、それを失った米艦隊は最大の危機に遭遇していた。 ところが、午後0時25分 ― 栗田艦隊がレイテ湾口43マイルに迫り、砲弾不足のキンケイド艦隊が「あと一時間の生命」と観念したとき、栗田艦隊はくるりと背を向けて去っていった。 「日本艦隊はまるで目に見えぬ巨大な手で引き戻されたようだった。それは神の力以外には、考えられない。私は、さあ“祈ろう”と部下に声をかけた」 去るかと思えば迫り、襲うかと見れば栗田艦隊は退く。スプレイグ少将も、キンケイド中将もそのたびに「天国と地獄の間を往復する心境」を味わった。それだけに栗田艦隊の退去は限りない幸福感をもたらしたが、それにしても栗田艦隊の行動は不可解である。安心の深呼吸を重ねるたびに、疑問は深まっていった。 戦況は、明らかに米軍側に不利であった。ハルゼー部隊は遠くルソン島北方に小沢部隊に誘い出され、キンケイド艦隊は砲弾不足で恐れおののいている。 むろん、栗田中将にこれら米国側の事情が分からなかったにせよ、攻撃部隊指揮官としては、かりにもスプレイグ部隊に勝利をおさめている以上、さらに攻撃を加え、敵の敗走に追尾して目的のレイテ突入を図るのが、常識である。米国側もそう、予想した。 それなのに栗田中将は、いわば「勝利の前髪に伸ばした手をひっこめ」て後退した。 栗田艦隊に反乱が起きたのではないか? それとも指揮官が死んだのか? しかし、そのいずれの場合でも、後退は、最後の一兵まで戦うことを誇りとする日本軍にふさわしくない。では、なぜ栗田中将は戦いを“捨てた”のであろうか? ― (六)につづく。 参 考 『 指揮官 』 ( 児島譲著:文芸春秋 1971年 ) 『 Wikipedia 』 shiraty5027
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