北朝鮮問題

硬軟、落差の激しい不思議なブログ

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

引退はしたけれどpart2

引退はしたけれどpart2

やましき沈黙

イメージ 1 一昨日(8/10)、NHKで『日本海軍400時間証言 ― 第2回・特攻 ― “やましき沈黙”』というのをやっていた。終戦記念日を念頭に置いた3回シリーズ企画である。特攻を計画した軍令部や、直接それに関わった将校たちが終戦後しばらくたって、その「反省会」をもった録音テープを番組が検証するという内容であった。

 番組の最後に、NHK取材デスク・小貫武氏が次のように総括した。

 間違っていると思っても口には出せず、組織の空気に個人が飲み込まれていく‥‥。そうした海軍の体質を反省会のメンバーの一人が「やましき沈黙」という言葉で表現していました。しかし、私は「やましき沈黙」を他人事として済ますわけにはいかない気持ちになります。今の社会を生きる中で、私自身この「やましき沈黙」に陥らないと断言できないからです。

 特攻で亡くなった若者たちは陸海軍合わせて5千人以上。その一人一人がどのような気持ちで出撃して行ったのか、決められた死とどう向き合って逝ったのか。その気持ちを考えると、私は反省会の証言から学び取るべきものはただ一つのことではないかと思います。

 それは一人一人の命に関わることについては、たとえどんなにやむを得ない事情があろうと、決して「やましき沈黙」に陥らないことです。それこそが特攻で亡くなった若者が死をもって今に伝えていることではないかと思います。
 そんなに格好をつけたいのなら、NHK自身の体質とでもいえる自虐史観的な番組に自ら率先して声を上げろ!土下座史観・売国姿勢に貫かれたNHKの偏向報道に率先して「待った」をかけろ! 異議を唱えろ! と言いたくなるがそれはともかく、確かに「組織の空気に個人が飲み込まれていく」ということは往々にしてあることだな、と思った。

 私が以前勤務していた高校は、公立高校の受験に失敗した子どもたちが多く通う私立高校であった。地域的偏見で子どもたちが言われなき差別を受け、子どもたち自身も開き直っていたといっても過言ではない屈折した環境にあった。

 そんな本校に、公立高校でワンマンの名を馳せた名物校長が、公立高校を定年退職した後赴任して来た。その校長が最初の職員会議の席上、職員に向かって開口一番口にしたのは次の事柄であった。

「先生方、この学校をこれまでどおり“おちこぼれ学校”として子どもたちのお守りに徹するか、それとも“進学校”として再建するか、先生方のご意見をお訊きしたい」

 それを聞いた職員一同、異口同音に「進学校にしたい」と言った。別に進学校にすることが偉い、尊いといった馬鹿げた願望や発想からではなく、生徒たちや学校に対する言われなき差別や偏見を打破したいという一念からであった。もちろん進学校にしたところでそれが本来の評価になるというものでもないが、とりあえず目に見える形としてそれが一番手っ取り早い評価につながるのは、悲しいかな現実だったのである。

 それからというもの校長には「いい弾を撃つには錆付いた鉄砲を磨け」といつも発破をかけられ、進学校の教師としての心構えから具体的な教科指導に至るまで、微に入り細を穿った指導を受けた。どうすれば生徒たちの進学希望を叶えることが出来るのか。毎日が生徒たち、そして自分との闘いでもあった。

 そんな流れの中で、校長から思わぬ提案がなされた。「この際、学校再建という意味で制服を一新しよう」というのである。実質的な変革もさることながら、フォームも同時に替えて再出発というわけである。制服を替えるということになると、変更が決定した翌年の新1年生から三年間かけて順次替えていくというのが普通のやり方である。ところが校長は、現1年生から3年生まで一気に替えようというのである。言うまでもないが、制服にかかる値段は一着数千円では済まない。数万円かかるのである。そんな無茶な話があるかと職員の誰もが思ったが、自分を含めそれに疑義を唱える職員もおらず、結局それが学校の意思として育友会総会(PTA)に諮られることになったのである。

 育友会総会では、やはり一部の父兄の間から反発が起こった。1年生の父兄からは「旧制服を買って間がないというのに、新ためて新しく制服を買うのは家計的に大変だ」というものである。また3年生の父兄からは「間もなく卒業だというのに新しく制服を買わなければならないのは不経済だ」というものであった。いずれも真っ当な意見であった。

 ところがある優等生(?)の父兄が挙手をしてマイクを握った瞬間から、会場の空気が一変したのである。

「確かにおっしゃるように、親御さんにおかれましては経済的なご負担がかかるかもしれません。しかし、我が子の母校がいま生まれ変わろうとしているのです。我々父兄が、先生方の情熱、学校の意思を支えなくてどうしましょう。共に頑張ろうじゃありませんか!」

 この発言があってからというもの、会場は反論の空気が一掃されてしまった。疑義を唱える空気が封殺されてしまったのである。誤解を恐れずに言うならば、父兄にとって自分の大切な子どもは学校に人質とられている状態にある。その心無い父兄の力強い発言によって、学校の意思に逆らえない雰囲気が会場を支配してしまったのである。

 学校を卒業してすぐ教師になった多くの教員たちには、逼迫した家計という現実的な観念に乏しい。勢い偏狭な教育という理念だけが先行していたのである。崇高な理念は必ず通ずるものであると、勝手な倒錯した満足感が校長以下教員たちの間にあった。教員の世界がしばしば現実離れした「特殊世界」といわれる所以がそこにはあった。結局、それぞれに抱える家庭の事情を無視した、馬鹿げた学校の意思が満場一致で通ってしまったのである。

 私はその場に居合わせた教員として、忸怩たる思いがあった。まさに「やましき沈黙」がそこにはあった。なぜ最初の職員会議のとき「そんな学校という小世界でしか通用しない馬鹿げた方針を真顔で打ち立てるのか。なぜそんな乱暴なことを家計に強いるのか」と反駁しなかったのか‥‥。

 今回この番組を見て、自責の念に駆られたのは言うまでもない。学校の常識は世間の非常識。あのとき普通に、当たり前の反論をなぜしえなかったのか。ちなみに私が教員になったのは30歳のときである。それまでは家業の商売を継いでいた。つまり、少なくとも私には娑婆の経験があり、学生から引き続き教職に就いた者たちと違って、明らかに世間の常識を備えていたはずなのである。唯一、それは世間の常識から外れていると指摘できる立場にあった。このことは数ある自分の人生の汚点の中でも、慙愧に耐えない汚点の一つになった。

追 記

 教員は日ごろ世間から「先生、先生」と呼ばれ、中には何だか自分が偉い人間になったと勘違いしている連中がいる。特に学生から引き続き教員になり、世間を知らない連中にそうした輩が多い。「先生と呼ばれるほどのバカでなし」。川柳は一部の教師の勘違いと思いあがりを、鋭く、しかしさりげなく指摘している。

shiraty5027

全1ページ

[1]


.
shiraty5027
shiraty5027
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

検索 検索

標準グループ

過去の記事一覧

友だち(12)
  • みるく
  • 出羽の守
  • MASATO
  • 蒼龍志義!
  • ひまわり
  • nadarechan1113
友だち一覧
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事