北朝鮮問題

硬軟、落差の激しい不思議なブログ

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原を尋ねて三千里 (第1話)

 前々回、記事の中で「私は昔、原節子に会いに行ったことがある」という記事を書いたら、「原節子の後話、期待してます。」という読者の熱いコメント(?)― 約1名 ―があったので、30年も前に地元映画ミニコミ誌『フエイドイン』に書いた記事を、恥ずかしげもなくそのまま連載(4話)したいと思います。 (『フエイドイン』1980年8月号より)
原 節子(1920-) 元映画俳優、女優。
本名:会田昌江。「永遠の処女」と呼ばれる伝説的スター。
昭和37年(1962)の「忠臣蔵・花の巻」で大石蔵之助の妻・りくを演じて以来、
再三の映画界、テレビ、マスコミの呼びかけに一切応じず神奈川県・鎌倉に隠遁。
                           (『はてなキーワード』より抜粋)

原を尋ねて三千里(第1話)

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わが国最後の大スター「永遠の処女」の異名をもつ原節子に、飛騨の山奥からワザワザ会いに行った著者の苦悩と感動の記

 映画女優で誰が好きか? と訊かれるたびに、洋画ならヴィヴィアン・リー、邦画なら原節子と答える。すると尋ねた相手の多くが怪訝な顔で、「お前古いなあ」と冷淡な視線を浴びせてくるが、それなどは未だしも、それ誰? と、彼女たちの存在すら知らない連中には、熱烈なファンであるが故にもどかしくて仕方がない。ある友人など真面目な顔をして「俺まだそれ喰ったことない」と言ってきた。無論、彼は冗談で言ったのであるが、あまりに意外な反応だったので返す言葉がなく一瞬閉口してしまった。“絶句”とは正にあのときの状態を指すのであろうが、喰ったことないとはあまりに失礼な奴である。もっとも、私の映画鑑賞の傾向がいささか懐古的であり、必然的にその中に憧憬の対象があるという特殊な事情が、同世代の尋常な感覚を持つ友人たちには、どうも理解してもらえないらしい。それでよく“爺むさい”などと煙たがられるが、別にイイではないか。グラスの底に顔があってもイイじゃないか!(これまた古い)いつの時代の女優でも、イイものをイイといってなぜ悪いのかと、今では何を言われても開き直っている‥‥。

 初めて原節子を観たのは、五年前、東京の寂れた映画館であった。友人と暇をつぶすために、あてどなく街をブラついていると、偶然、成瀬巳喜男特集と銘打って『浮雲』と『山の音』を上映している小屋が目にとまった。仲間の一人が、高峰秀子(『浮雲』)を観たいと言い出したので、誘われるままに入ったのがキッカケである。その頃はまだ、原節子なる大女優の存在はまったく知らず、もし『浮雲』がうまくかかっていれば、それだけ観て帰るつもりでいたところ、幸運にもそれが終わりに近く、結果的に『山の音』(原節子主演)を通して観られたことが今日大きく幸いしている。思えば劇的(?)な出会いではないか! そのとき受けた印象といえば、かつていかなる女優からも受けたことのない―今後もまずないであろうが―電撃的な感動であった。つまり原節子という大女優の、清らか、暖か、高貴、端正、怜悧、繊細、艶やか(異論もあろうが)等々、完璧とでもいうべき姿態にすっかり魅了されてしまったのである。

 以来、彼女が出演している映画があると聞けば、首都圏内ならどこへでも出かけて行き、心行くまでその異彩を放つ名演技に陶酔した。とりわけ小津安二郎の『晩春』、『麦秋』、『東京物語』には、崇高なまでの感慨を覚えるに至ったのである。

 そうなるとどうしても、一目お会いしてお話をしたいという純朴な希求が芽生えてくる。例えばそれは、『エアポート'75』という映画に、サイレント映画時代の名女優グロリア・スワンソンやマーナ・ロイが出ているのを見て、思わずノスタルジックなものを感じたり、あるいはかってTV『スーパーマン』にヒロイン役として出ていたノエル・ニールを近作映画『スーパーマン』に垣間見るとき、安堵感のようなものが込み上げてくる心理によく似ている。ただ、海外に住んでいるスターには、距離的に無理という諦めがあるのに対し、同じ国に住むということが、実際にこの眼で彼女の健在ぶりを確かめてみたくなった理由である。

 しかし、残念ながら在京中にはその夢は果たせず、郷里に帰ってからも唯一心残りとしてわだかまったままでいた。そんなある日、本屋の前を横切ろうとしたら、居並ぶ本の中から私を呼び止める声がする。何かと思いそちらの方へ目をやると、なんと「ついにとらえた原節子の近影」なる見出しの週刊誌がこちらを見つめているではないか! これだ!! 諦めかけていた聖なる血が忽然と騒ぎ出し、どうにも胸の鼓動が治まらなくなってきた。さっそくその本を買い求め、何度も読み返しているうちに、やはりどうしてもお会いしてあのときの感動をお伝えしなくてはならないという、もはや使命感に似たものが込み上げてきた。暮れもおし迫ったそんな折も折、東京の友人から「知っている後輩が卒業していなくなる前にぜひ遊びに来ないか」と願ってもない招待を受けたのである。これほどのお膳立てが整い、神のお導きがあるというのに逆らってはいけない。逆らったら罰が当たると思い、ついに元旦というもっとも厳粛な日を選び、いよいよ上京することに決意したのである。もちろん、世間サマには学友に会うために上京すると建前を吐き得心を得たが、本音は言うまでもなく原節子に会うという目的だけであった。

 上京して三日目の晩、友人と後輩たちに囲まれた宴の席上、思い切ってかねてからの野望を披瀝してみることにした。一人で会いに行くよりも、何人かで行った方が心強いからである。だが、どうも切り出すチャンスが巡ってこない。皆、心地よく酔っているというのに、突然、「原節子に会いに行きたいが付き合ってくれないか」などと野暮なことを言い出すのは、決まりが悪いというものだ。

 そうこうしているうちに、やっと三年間の空白が満たされ(私が学校を卒業して三年の月日が経っていた)打ち解け始めたころあいを狙って思い切って言ってみた。するとどうであろう。意外にも多くの後輩から賛同を得たのである。挙句の果てには「なぜもっと早くそんなイイ話をしてくれなかったのか」と責め立てられる始末‥‥。やはりものは言ってみるべきである。なんと先輩思いのイイ後輩たちなのであろうか‥‥。感激のあまりドモリながら、映画でのあの感動を伝え、彼女に会う意義を説こうとしたが、しばらくしてどうも様子がおかしい。何がおかしいのか突き詰めていくと、彼らは一様に「原節子」を「原悦子」と勘違いしているのである。原悦子とは、今をときめくポルノ女優ではないか! アルコールで舌がしっかり回らなかったにせよ、勘違いのままイイ気になって、数十分も話し合っていたのだからどうしようもない。

 ようやく真の趣旨が理解され、当然予期していたように呆れた後輩の多数が辞退を申し出た。それでも情に厚い学友K君と、忠義深い後輩M君が名乗りを挙げてくれたので、『原節子面談会』なるグループが思惑どおり誕生したのである。誕生したことはいいが、誰も鎌倉(原節子が居るといわれる所)という町があることは知っていても、実際に行ったことのある奴が一人もいないのである。なんとも心もとないメンバーであったが、議論を進めていくうちに、車で地図を頼りに行くという大筋で合意し、どうやら目的に一歩一歩近づいているという実感が、満面に綻びとなって現れてきた。初詣がてら大仏へも行きたいという予定外の意見が出され、やむなく計画に加えることになった。本当は、原節子面談一本に絞りたかったのだが、提案者にこの計画から降りられては困る(彼が車の持ち主)という臆する配慮から、組み入れざるを得なくなったのである。

 しかし、大仏といえば確か『麦秋』の中で、原節子が仏像の台座に座って老人と話をする場面があった筈だ。しばらくそのシーンを思い起こしていたら、確かな位置が浮かんできた。「よし、彼女が座った同じ場所に座って、記念写真を撮ろう!」。またもや狂信的な情操が体内を駆け巡った。

 朝6時起き、という普段でも異例な日程を組みその日は散会したが、長い間待ち望んでいた夢が叶えられる前夜ということもあって、宿を引き受けてくれたK君などは、逸る気持ちを察してか、床に着いてからも果てしなく広がる原節子談義に、夜明け近くまで付き合ってくれた‥‥。 ― 第2話に続く ―

shiraty5027

国策映画とやらを観たpart2

ハワイマレー沖海戦 昭和17年(1942年) 東宝映画

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 前回につづき、戦時中に作られた映画をご紹介したい。

あらすじ

 「物語の主軸となるのは海軍のパイロットを目指す予科練の生活が詳細に描き出すことに費やされる。平凡な少年友田義一が海軍精神を注入され、また厳しい訓練を耐え抜いて、晴れてパイロットとして搭乗するまでに物語の大半が費やされている。

 後半は真珠湾攻撃に至るまでの航空母艦内の生活が詳細に描かれ、特撮を用いた攻撃シーンが場面を盛り上げる。最後は、仏印基地から発進した攻撃機がプリンス・オブ・ウェールズ を撃沈し、大本営が米英軍との戦闘状態突入を発表するまでを描く。(wiki pedia)

 この映画も真珠湾攻撃(1941年12月8日)の翌年には、開戦一周年記念として映画化されている。しかし残念なことは上記ストリー紹介にもあるように、前半友田義一少年のエピソードが多く描かれていて、純然たる海戦映画になっていない点である。いわばオムニバス映画といったら言い過ぎだが、余分な話が作品を台無し(?)にしている。ともあれ、やはり圧巻なのはウルトラマンでお馴染みの円谷英二が、特撮を担当している点である。おそらく特撮という分野の世界的先駆けなのだろう。とにかくすごいという他ない。この映画についてのエピソードをwikipediaより引用したい。

エピソード
 この映画を語る上で欠かせないのが特撮監督の円谷英二である。円谷得意のミニチュアモデルによる特撮に、部分的に実際の海戦で撮影された映像を挿入し、臨場感を醸し出すことに成功している。この映画で、円谷率いる特技スタッフは精巧な真珠湾の特撮セットを作り上げ、見学に訪れた海軍報道部や三笠宮崇仁親王はそのリアルさに息を呑んだ。

 海軍省の至上命令で製作されたこの映画であるが、肝心の軍事資料は、担当将校らの「カツドウ屋は信用できない」という理由により、資料協力を受けられなかった。この理不尽な状況の中で、円谷ら特撮スタッフはわずかな提供写真に写った波の大きさから、戦艦や飛行機、地形の実寸を割り出し、特撮セットを組み上げた。また、登場する飛行機はいずれも実機だが、航空母艦は戦場にいるため実物大の野外セットを作り、離陸する飛行機はセットの上を滑走させている。

 こうして再現された戦闘機・攻撃機そして航空母艦・軍艦などの精緻なミニチュアによる「実物」としか見えない映像は、後年(戦後)に作れた『トラ・トラ・トラ!』を始めとするいわゆる戦争物の映画では考えられない部分である。戦後この映画を見たGHQが「攻撃シーンはすべて実戦の実写記録フィルムだ」と疑わず、東宝にフィルム提供を強要した。
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 円谷は、波打つ海原をミニチュアで表現するために寒天を敷き詰めて船を浮かべたという。航空母艦の甲板が米空母にそっくりだという理由で、上映公開が危ぶまれたというエピソードもあるが、それにしても迫力満点の作品に仕上がっている。挿入されている音楽も、ワーグナーの『ローエングリン』や『ニーベルングの指環』などが挿入されていて、とても戦時中の作品だとは思えない。

 この『ハワイマレー沖海戦』は、すでに日本が劣勢に転じた頃に制作されている。まだいく分余力があったのか、海軍省の必死さが伺える贅沢な作品である。機会があったら是非ご覧ください。

shiraty5027

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