確かにありがたいんだけど‥‥
県にマスク1万枚寄贈 中国・広東省
新型インフルエンザの感染拡大を受けて、中国・広東省が二十一日、マスク一万枚を兵庫県に寄贈した。
同省は県と友好都市提携を結んでおり、緊急支援として提供を申し出た。マスクは同日午後、県庁の新型インフルエンザ対策本部に届いた。
( 『 神戸新聞 』 2009.05.21 18:51 )
このニュースを見て、思い出したことがある。
今では考えられない話であるが、1984年、ソウルが集中豪雨に見舞われた際、北朝鮮が韓国に対し突然、被災者に救援物資を送ることを申し出た。北朝鮮はこのころ、ラングーン事件以後の孤立から脱出し、西側との接近を図るため、盛んにイメージ・チェンジ作戦を繰り広げていた。その平和攻勢の格好のネタとして目を付けたのが、この南の水害だったのである。
北朝鮮が「同胞愛」を強調しながら南の被災民に救援物資を送ると提案すれば、世界のメディアの目を引きつけるのは必定である。北内部の人民に対しても指導者の寛大な民族愛を誇示できるし、韓国の被災民たちの間にも、もしかしたら感謝と親しみの情を喚起できるかも知れない。韓国側がこれを拒めば、いやたぶん拒むだろうから、そうすれば同胞愛に背を向ける「民族の反逆者」として、世界にその非を糾弾することが出来る‥‥北はそう考えていた。当時、多くの専門家は「南がこれを受けるわけはない。それを見越して北は提案した」と分析していた。
ところが韓国側は、この申し出を受け入れることに決めたのである。「偉そうなことを言っても、北には物資を援助するほどの経済力はない。送れるものなら送ってみろや〜い、あはははは‥‥」。これは、当時の全斗煥大統領の『高度な政治判断』により決められたといわれている。北は完全に思惑が狂ってしまった。その後実務者による協議では、受け渡し場所等をめぐって色々揉めたが、結局、南北とも面子だけは超一流の連中。言い出したからには、送る方も送られる方も後には引けない状態になってしまっていた。がははははは、いやもとい。
朝鮮赤十字から大韓赤十字社に送られた援助物資は、米五万石(7200トン)、布地50万メートル(←資料のママ)、医薬品14種類759箱、セメント10万トンで、韓国側の見積もりによれば総額30億円に相当する量であった。こうして物資伝達は日の目を見、韓国側は「南北対話と交流の糸口をつかむため」「前向きの姿勢で」「余裕と度量を持って対応し」「ありがたく」物資を受け取った。韓国側はこのお返しに、時計、衣料品、くつ、テープレコーダー、化粧品などの入ったお土産セット(一箱18万円相当)1200個を北朝鮮側に贈った。
1970年代の南北対話は、相手が決して譲歩しないことを見越して、受け入れられるはずのない提案をぶつけ合い、決裂の責任を一方的に相手方に押し付けて非難することに終始していた。交渉の窓口「板門店」はそのための“政治宣伝”の場であった。だが、この救援物資受け渡しに際しては、双方の“読み違い”が、初の物資交流を実現させてしまった。互いに相手の計算と出方を熟知していたはずの南北に、“読み違い”を演じさせてしまったのである。何とも皮肉な話である。がはははは、いやもとい。
余談であるが、北から送られてきた「米」は、ほとんど虫が湧いていたりカビが生えていて、食べられるような代物ではなかったそうである。また、その受け渡しのセレモニーのためソウルを訪れた北の代表が、ソウルを走る車が多いのを見て「これだけの数の車を地方から動員してくるのは大変だったでしょう」と皮肉を言ったそうである。平壌で外国の要人を迎えるとき、いつもそうやって地方から色々なものを動員してくるからである。すると韓国側の代表が「確かに、車を動員してくるのは大変でした。でも、この高層ビル群を動員するのはもっと大変でした」と、ソウルのビル群を指差しながら、北の代表団に皮肉で返したというエピソードは有名である(見栄っ張り同士の究極劇)。
今回取り上げた冒頭の記事とは直接関係がなかったが、ふとそんなエピソードを思い出した。中国製のマスク、まさか虫が湧いていたり、カビが生えていたりしているようなことはないだろうが、「アスベスト」で作ってある可能性は大いにある。広東省の皆さん、お気持ちはありがたいんですが、せっかくですがご遠慮しときます! と、兵庫県は言うべきなのでは?
参 考
『 板門店 - 統一への対話と対決 - 』 (菊池正人 中公新書 1987 )
shiraty5027
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