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2009年06月30日
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第2延坪(ヨンビョン)海戦? ‐ 改訂版 ‐ 「第2延坪海戦も韓国海軍が勝った戦争」
2002年に北朝鮮海軍の奇襲挑発で始まった第2延坪(ヨンピョン)海戦の7周年記念式が29日午前、京畿道平沢市(キョンギド・ピョンテクシ)海軍第2艦隊司令部で開かれた。 指令部内の第2延坪海戦戦跡碑の前で行われた記念式には、当時の負傷者と遺族、韓昇洙(ハン・スンス)国務総理、市民・学生など約1500人が出席した。 ― 以下省略 ― ( 『 中央日報 』 2009.06.30 07:20:13 ) この記事は、「北朝鮮軍の先制奇襲にもかかわらず将兵らはよく戦い、勝利に値する戦闘だったが、当時、親北政策を推進する金大中政権によって黙殺され正当な評価を受けなかった」(当時の軍幹部)。だが政権が代わり、昨年から立派な記念式典が開かれるようになって、「よかった、よかった、めでたし、めでたし」というお話である。 それはそうである。いくらチンケな戦いとはいえ、国家のために殉死した兵士を追悼するのは当たり前の話で、一昨年までそれを行ってこなかった金大中・盧武鉉政権がおかしかっただけなのである。ここで問題にしたいのは、そんな話ではない。ずばり「海戦」という呼び方である。 記事にもあるように『第2延坪海戦戦』というのは、2002年6月29日に黄海で発生した韓国海軍と北朝鮮海軍の艦艇同士による銃撃戦である。北朝鮮の警備艇1隻が、北方限界線(NNL)を超えて韓国側領海を侵犯(その後もう1隻が引き続き侵犯)。韓国海軍の哨戒艇2隻がそれに対応したが、北朝鮮側がそのうちの1隻に発砲を仕掛けたため炎上(その後曳航の際に沈没)。近くにいた韓国哨戒艦が急行し交戦になった。韓国側は、この交戦によって戦死4名、負傷者19名(後日1名が病院で死亡)、行方不明者1名(後に遺体で発見)。北朝鮮側の損害は死傷者40名ほどと推定されている。 韓国国防部は、この交戦の正式名称を昨年4月8日に『西海交戦』から『第2延坪海戦』に改めた。確かに海での戦闘という意味で「海戦」には違いないが、我々が抱く「海戦」というイメージとはほど遠い。我々が抱く「海戦」とは、たとえば大英帝国海軍が仏・西連合艦隊を破った『トラファルガーの海戦』(1805)であったり、我らが東郷平八郎提督率いる連合艦隊がロシアバルチック艦隊を撃滅した『日本海海戦』(1905)、日本海軍が惨敗を喫した『ミッドウェー海戦』(1942)など、壮大、壮絶な海戦である。たかだかモーターボートに毛の生えたような小船数隻で銃撃戦を交わしたくらいで、それを「海戦」と銘打つとは、はなはだおこがましい。 ちなみに『第1延坪海戦』というのは1999年6月15日に、韓国西方の延坪島付近の黄海海上で発生した南北艦艇の銃撃戦のことである。この交戦で、韓国艦艇の2隻が被弾し乗組員7名が負傷。北朝鮮側は魚雷艇1隻が沈没、30名が死亡したといわれている。韓国海軍は、銃撃戦の発生したこの6月15日を「戦勝記念日」に指定している。がは‥‥、がは‥‥、がは‥‥、がははははは‥‥‥。大規模な海戦を経験したこともなく、まして一度も勝利したことのない韓国軍にとって、やはりこの日は記念すべき日なのであろう。丁度、北朝鮮が米海軍情報収集艦「プエブロ号」を拿捕し、ありもしない対米戦勝利の象徴として、いまだに珍重し誇っているように‥‥。 こうした韓国の「交戦名称変更」や「戦勝記念日指定」は、やはり朝鮮人ならではの「自民族優位主義」、「誇大妄想主義」がなせる恥知らずな業なのであろう。当初の『西海交戦』で十分ではないのか? どうしても「海戦」という名を付けたいのなら、『痰壷(たんつぼ)海戦』とかジョークを入れたらどうなのか‥‥。いずれにせよ、我々には恥ずかしくて、とても真似できない‥‥。 ※この記事は昨年6月アップした第2延坪(ヨンビョン)海戦?を今回リメイクしてアップしたものです。 shiraty5027
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