北朝鮮問題

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北朝鮮は戦争を求めている?

 朝鮮半島西側の海で北朝鮮警備艇が相次いで韓国との境界線越え南下 韓国側が警告射撃

 朝鮮半島西側の海で15日夜、北朝鮮の警備艇が相次いで韓国との境界線を越えて南下し、そのうちの1隻に対し、韓国海軍が警告射撃を行っていたことがわかった。
 韓国軍によると、15日午後10時すぎ、北朝鮮の警備艇1隻が、韓国と北朝鮮の海の境界線、NLL(北方限界線)を越えて南下した。
 韓国海軍が通信で警告したところ、警備艇は北朝鮮側に引き返したが、およそ50分後、別の警備艇が境界線を越えて南下してきたという。
 韓国側は、この警備艇に対し、2度にわたって警告射撃を行ったところ、およそ10分後に北朝鮮側に引き返した。
 現場は、3月に韓国の哨戒艦が沈没した海域の近くで、韓国軍は、北朝鮮の意図について分析を進めている。
                                             ( 『 FNN 』 2010.05.16 12:14 )

 最近こうした情報に接するにあたって、「もしかしたら、北朝鮮は戦争を催促しているのではないか?」と思うようになった。

 かつて北朝鮮に行商人に扮して潜入に成功した中央日報の李讃三記者が、その著書『戦争になれば飢えは終わる』(三五館:1995年)でも書いているが、北の人民の中には「このまま金正日体制の中で飢餓で死ぬより、戦争になって国が滅びてしまった方が光明を見出すことができる」といった、戦争待望論が根強くあるという。

 核開発を表明しても、核実験をしても、ミサイルを発射しても、国際的に何ら有効性のない国連非難決議があるだけ。黄海で韓国の哨戒艇を撃沈しても、すぐバレて報復攻撃を受けるかと思っていたら、いまだにその兆しがない。いまさらバレたとしても、またしても国連で非難決議が採択され、韓国国内で一過性の非難集会があるだけ‥‥。これじゃ何をやっても、北朝鮮人民が待望する戦争にはならない。

 そう考えると、今回の境界侵犯も北の苛立ちからなのではないか? 人民の蜂起に期待が持てない北にあって、軍の改革派が遠まわしに韓国と戦争になるように仕向けている‥‥。もはやそう考える以外、北の無意味で単発的な軍事行動に整合性が見出せない。

【追 記】
 北朝鮮が焦る背景には、韓国の「戦時作戦統制権(戦作権)」移譲の問題がある。1950年7月14日、当時朝鮮戦争最中にあった韓国の李承晩大統領が、国連軍最高司令官マッカーサーに書面で戦作権を移譲した。同じ戦争を戦うのに「一艘の船に2人の船頭はいらない」からである。7月17日、国連軍(米軍)は韓国軍の指揮権を掌握した。その後今日に至るまで、その権限は国連軍(米軍)にある。ところが盧武鉉大統領のとき、国家主権・自主国防の観点からその権限を再び韓国側へ移譲することになったのである。それが施行されるのが2012年。北としては何とか韓国が米軍主導のもと、強いうちに自分たち(北)を滅ぼしてほしいと考え、焦っているとしても不思議ではない。

shiraty5027

支那人の驕り 他

支那人の驕り

         <中国人が見た日本> 日本はいつから中国文化排斥を始めたのか

 2010年5月14日、中国のブログサイト掲載された記事「日本はいつから中国文化排斥を始めたのか」が話題となっている。以下はその抄訳。

 中国では通常、日本の中国文化排斥は19世紀中盤のアヘン戦争以後のことだと考えられている。しかしそれは「遅い告白」であって、実際はもっと前から進んでいた。日本における中国文化の動揺は16世紀、ポルトガル人の来航に端を発する。いわゆる「三国」(中国、インド゙、日本)という狭い世界観は、ポルトガルと接触することによって揺るがされたのだった。ポルトガル人がもたらした銃は戦国時代の戦争に大きな影響を与えた。こうして「ラテン文明」を体験した日本では、「中国を慕う」世界観がゆるやかに変化していく。

 16世紀は単なる動揺であったが、中国文化への激しい批判と一部での排斥が始まったのは18世紀のこと。意外なことにまず排斥されたのは、中国人が誇りとしてきた中国医学での分野だった。中国医学から西洋医学への転換を牽引したのが杉田玄白。1774年には翻訳医学書「解体新書」を出版し、オランダ医学の正確性を明らかにした。

 医学分野を端緒として日本では中国文化への懐疑と批判が広がっていく。そしてアヘン戦争を迎え、ついに中国文化の排斥はあらゆる分野へと広がったのだった。(翻訳・編集/KT)

                             ( 『 レコードチャイナ 』 2010年5月15日11時23分配信 )
894年
です。

 寛平6年(894年)、菅原道真の進言を受けて日本は遣唐使を廃止しました。これは中学生でも知っています。w それ以前、聖徳太子は小野妹子を遣隋使(607年)として隋へ派遣し、かの有名な「日出る処の天子、日没する処の天子に致す。恙無きや」という有名な国書を送っています。「我が国は中国から謙虚に文明を学びはするが決して服属はしない」というのが、開闢以来、我が国の一貫した姿勢です。ミンス党の皆さん、勉強してねっ!

朝鮮旅行って‥‥

              【韓国】 1918年のポスター「韓国旅行に来る日本人家族」

 20世紀初期、日本人を相手に朝鮮旅行商品を広報するのに使われたポスターが海外のインターネットで公開されて注目される。

 日本人一家は朝鮮の地図を見ながら旅行日程を立てているようだ。ある日本サイトに公開されたこのポスターは1918年「朝鮮郵便汽船株式会社」が製作したものと説明されている。90年余り前、仲むつまじい日本人家族らの目には朝鮮がロマンチックな旅行地に映ったのだろうか。ポスターは当時の社会像に対する様々な断想を思い起こさせる。

 一緒に公開された二番目の写真は1909年大阪汽船株式会社の旅行広報ポスターで、一番下は東洋汽船社の1919年中国語版ポスターだ。
                                      ( 『 中央日報 』韓国版 2010.05.14 10:23 )

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ところで、こんなところ()へ、なに観に行くの? (写真は1900年頃のソウル南大門前)

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