死刑執行に立ち会った千葉法相のモチベーション -北朝鮮と永田洋子と千葉景子- 北朝鮮代表が「思想批判」 W杯惨敗で問責か
米政府系放送局のラジオ自由アジア(電子版)は27日、サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会に出場した北朝鮮代表チームが帰国後、敗北の責任を問われ「思想批判」を受けたと報じた。北朝鮮消息筋の話として伝えた。在日朝鮮人の鄭大世、安英学両選手は除外されたという[註1]。 北朝鮮代表チームは0-7でポルトガルに大敗するなど、3戦全敗で1次リーグで敗退した。 同ラジオによると、今月2日に平壌の人民文化宮殿で「思想闘争会」が実施され、金日成総合大学の体育学部の学生ら約400人が、キム・ジョンフン監督や選手らに対し、次々と批判を浴びせたという。 また、サッカー解説者が各選手のミスを指摘し、最後に選手一人一人がキム監督を批判した。同ラジオは、キム監督が何らかの責任を問われる可能性があるとしている。 ( 『 産経ニュース・共同 』 2010.7.27 22:07 ) やはりそうであったか‥‥。この儀式は、ありもしない社会主義や共産主義を騙る独裁国家にはつきものの「思想批判」に名を借りた「集団リンチ」なのである。キム・ジュンフン監督は「帰国しても処罰されるようなことはない」と言っていたが、そんなことがあの国であるはずがない。南アフリカでは当局の監視がきつくて逃げられなかったのか、それとも愚直に金正日を信じていたのか‥‥。いずれにしても、あとは公開銃殺を待つだけ。南無阿弥陀仏である。 さて、実は今回はその話がメーンではない。元日本赤軍ブントでテロリスト、前代未聞の落選法務大臣・千葉景子が、死刑執行に立ち会ったという話である。「死刑廃止論者」であった千葉が、なぜこれまで拒み続けてきた「死刑執行命令書」にサインをし(24日らしい)、しかも自らがその執行に立ち会ったのだろうか、ということである。枝野幹事長は「個人的な考え方と、国務大臣としての責任は別問題と法相も認識している」と彼女を弁護し、千葉自身も「見届けることも責任だ」、「法相の執行立ち会いはおそらく初めてだろう」と誇らしげに語っていた。 これはいったい、どういうことなのだろうか? 気でも違ったのか? それとも改心して転向したのか? 「執行命令書にサイン」までは何とか理解できないこともない。が、「執行にまで立ち会う」とはいったいどういうことなのだろうか? 実は何のことはない。千葉自身、果たしきれなかった日本赤軍への憧憬、挫折した極左暴力革命の怨念、つまり、極左暴力活動家としての本質である「残虐性」が思わず顔を覗かせてしまったということなのである。左翼暴力革命がその表れにおいて、人間的冷酷と残虐の極地の形をとることは、かつての左翼学生運動でも証明されている。それは、暴力革命の挫折の過程においてより凄惨なものとなる。このような愚かな革命の未練と人間の冷血に対する憧憬が、千葉の死刑執行に立ち会う動因となっているのである。 昭和47(1971)年12月下旬から翌年2月半ばまでの間に行われた「連合赤軍」によるリンチ大量殺人事件は、当時日本中を震撼させた。この大量リンチ殺人事件の主犯は、永田洋子(京浜安保共闘)と森恒夫(赤軍派)の2人である。仲間を「総括」という名の下に自己批判させ、自己批判が足りないと言っては集団でリンチを加え、次々と殺戮を繰り返していったのである。その殺戮の方法は、言語を絶するほど残酷極まりないものであった。永田は自身の僻みから、自分より美人の仲間を「総括」させ、死に至らしめることもあった。永田は「総括」という名のリンチを指導し、同志殺害、粛清を繰り返し、組織の半数近い12人を処刑する事件を起こしたのである。[註2] 連合赤軍が用いた「総括」という言葉が、その後「リンチ」と同意語として流行していたが、北朝鮮はそれを国家として今でも行っているのである。独裁者が気に入らなければ「思想批判」や「自己批判」の名の下、集団でリンチを行い、死ぬまで強制労働に従事させるか、公開銃殺にしてしまう。独裁者のみならず、日ごろ抑圧されている北朝鮮人民が、ここぞとばかりあたかも憂さを晴らすがごとく殺戮を楽しんでいることが、より悲劇であり、この世の地獄図を思わせる。千葉もその本質(残虐性)においては同じなのである。極左人士として、心のどこかで残虐性を求め、その殺戮を楽しむ血が流れているのである。 死刑判決を受けた永田洋子は、現在もまだ服役中である。永田洋子自身は未だ「自己批判」もしていなければ「自己総括」もしていない。もし千葉が「見届けることも法相の責任だ」、「法相の執行立ち会いはおそらく初めてだろう」と威張るのなら、まず永田洋子に死刑執行のサインを出し、それを見届けるべきではないのか。それで千葉の過去の大罪が相殺されるわけではないが、せめてそれが国民に対する贖罪の表現であり、千葉自身が真っ先に行わなければならない法相として職務なのではないか。極左が極左を公の前で「総括」してこそ、たとえそれが見せかけのパフォーマンスであったとしても、法相という公僕としての職責が証明されるというものではないか。 [註1] 祖国に忠誠を誓う在日朝鮮人の鄭大世、安英学両選手も、北へ行って「思想批判」を受けるべきである。 [註2] 当時、総評・市川誠議長のコメントが興味深い。「暴力的な行為は断じて認めることはできない。しかし、青年学生をあそこまで追いこんでしまった政治を問題にしなければならない」。政治が問題という、左翼の毎度ながらの常套句である。 付録 いかに独裁国家の思想批判、人民裁判、公開銃殺が酷いものであるか、もし心臓がお強い方は こちら を是非ご覧いただきたい。いたいけな少女が中国官憲によって公開銃殺され、頭だけが吹っ飛んでいる写真(一部始終)もある。 shiraty5027
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2010年07月28日
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