西尾幹二氏のこと
倅の手の甲が荒れてきたので、アトピーではないかと心配になり、今朝8時半ころ評判の町医者(皮膚科)へ連れて行った。待合室には煌々と明かりがつきエアコンが効いていたが誰もいない。ひょっとして休診日? それとも巷の評判は嘘だったのか? と思いきや、少しするとあらかじめ予約を入れていた患者で待合室はいっぱいになった。くそ〜。結局、診察が終わったのは12時ころ。それまでの間、仕方なく週刊誌を手にとってペラペラと眺めていた。
「菅・仙谷、真っ赤っか政治」といった見出し。菅は社会党系の市民団体出身だし、仙谷は旧社会党出身のバリバリのアカ。中身を読まなくても何が書いてあるのかおおよそ見当がつく。パラパラとページをめくっていたら、あのたまねぎにメガネをかけたようなおじさん、西尾幹二氏の一文が載っていた。「戦勝国史観は、日支事変のころから筆を起こし‥‥日本を侵略国家に仕立て‥‥一方的にわが国を悪者にした」云々。
実は、待合室で長期戦になると思って、あらかじめ『大東亜戦争肯定論』(林房雄:浪漫:1974初版)という、中々読み返す機会のない古い本を持参していたのである。その本を読む前に、この週刊誌を少し読んだのであるが、『大東亜戦争肯定論』の中にもこの西尾幹二氏が登場しているのである。西尾幹二氏のことを著者林房雄氏は次のように書いている。
息子たちの世代
私は日本の息子たちに期待している。息子たちは決してグレン隊とフーテン族ばかりではない。ふやけても崩れてもいない。
最近、私は若い二人の評論家の文章を読んで、新鮮な衝撃を受けた。一つは西尾幹二氏の『私の「戦後」観』(『自由』二月号)、一つは江藤淳氏の『日本文学と「私」』(『新潮』三月号)である。
江藤氏は私の長男と中学の同級生であり、西尾氏もほとんど同年齢である。私にとって間違いなく息子の「世代」であるから、どちらも「よく勉強しているな」という感慨と同時に、彼らの知的羅針盤の正確さ、「旧世代」の混迷ぶりに対する鋭い切り込み、それを裏づける学問的自信と決意を発見して、「逆襲された愚父」の衝撃と喜びを感じたのかも知れぬ。
林房雄氏が西尾氏のことを「息子」と呼んだ時代はすでに昔の話。今では西尾氏も立派な老人である。時代の流れを感じる。西尾氏は当時、次のような文を書いている。
現在の立場から過去を眺めて、別様に歩まなかったことで歴史を非難するものは、過去が、現在とはちがった必然性のもとに動いていたことを無視するばかりでなく、現在の眼であっさり過去を割り切る誤謬をおかすことになる。
主張が昔も今も少しもぶれていない。それにこのことは、菅や仙谷の「法の不遡及」という今の愚行をきっぱりと指摘している。昔「一億総懺悔」という言葉が流行ったが、これを唱えた政治家たちが戦争中には「一億総決起」を高唱した政治家と同系統の人物たちであったことを思えば、軽々に朝鮮や支那に懺悔する菅や仙谷の姿は、やがて将来、現在の自分の姿を容易に否定することも軽々とやってのけるであろう。こんな政治屋は本当に信用できないし、わが国にとって百害あって一利なし、日本のためにならない。
西尾幹二氏はときたま変なことも言うが、おおむね正論を言っていると思う。はたして西尾氏は今の世に林房雄氏のように「息子」を見出しているのだろうか。混迷・迷走の世の中に、ふとそんなことを思った。
shiraty5027
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