朝日新聞の正しい読み方
【東亜】 戦後、大陸からの引き揚げ中に「強姦被害」に遭った日本人女性たち 〜堕胎施設の元看護師が語る隠された悲劇 [08/14]
引き揚げ 葬られた胎児 65年目の「遺言」 3
戦後、大陸から最多の人が引き揚げてきた博多。女性たちの隠された悲劇がそこにあった。
万葉集にも詠まれた福岡県筑紫野市の二日市温泉。福祉施設の裏手に、穏やかな顔つきの水子地蔵がひっそりと建てられている。赤ちゃんを胸元でしっかりと抱いている。1946年3月から1年半の間、ここに、大陸からの引き揚げ中に強姦被害に遭った女性たちの堕胎施設が開設されていた。国公認の「二日市保養所」。木造2階の建物とドーム屋根の温泉があった。
「母親の感情が出てしまうから、絶対にオギャーという泣き声を聞かせたらいけない。医師からそう言われ、私も首を絞めました」当時20歳の元看護師、村石正子さん(84)は約3ヵ月、看護師10人の1人として連日のように手術に立ち会った。
終戦後の大陸では、直前に宣戦した旧ソ連軍の兵士らの暴行が女性たちを恐怖に陥れていた。
「マダム・ダワイ!」(女、出てこい!)。市民団体「引揚げ港・博多を考える集い」のメンバー山本千恵子さん(73)は9歳の時、今の北朝鮮東部でサーベルを持ったソ連兵が毎晩のように怒鳴り声を上げ、若い女性たちが床下に隠れていたことを覚えている。「当時、辱めを受けるのは死に値するようなことだった。引き揚げ船から海に身投げした人もいたと後に聞きました」
二日市保養所の開設は、今のソウルにあった旧京城帝大の医師らでつくる「在外同胞援護会救療部」が旧厚生省に働きかけた。引き揚げ船内で「不幸なる御婦人方へ」と題し、利用を促すチラシが配られた。地元紙には旧厚生省と連名の広告も掲載された。
村石さんは日本赤十字社の旧京城救護看護婦養成所で終戦を迎え、種子島の母方の実家に身を寄せていた。そこへ呼び出し状が届いた。約15キロ北西の博多港に引き揚げ船が着くたび、女性たちがトラックの荷台に乗せられてきた。
「男に見せかけるためか髪を短く刈り、やせて汚れていました」。村石さんたちは「お帰りなさい」と手をとり、温泉で背中を流してあげた。女性たちはほとんど何も話さなかった。
器具で胎児を出す手術は、医薬品不足で麻酔なしだった。「頭のほうから両手を握ると、指が折れると思うほど強く握りしめられました」。「ちくしょう!」と叫んだ女性もいた。妊娠5ヵ月以上なら陣痛を促し、出てきた胎児の命を絶った。
子どもの首を自ら絞めたのは、昼休みで食事に行こうとしていたときのことだ。苦しそうに「看護婦さん」と呼ぶ声が聞こえた。赤ちゃんの頭が出そうだった。医師は休憩中でいない。とっさに首に手をかけた。子どもの髪の毛は赤く、鼻が高かった。かけつけた医師は、いつものようにメスを子の頭に突き刺した。
「望まれない子どもであっても命は命。ただ、当時は、女の人たちに無事に故郷に帰ってもらうことに意識が集中していました。胎児たちは5、6本あった桜の木の根元に埋葬された。「考える集い」が1998年につくった冊子に掲載された保養所の元医師の証言によると、施設が閉鎖された47年秋までに400〜500人が手術を受けたという。
村石さんは結婚後、看護師を続けながら3人の娘を育てた。50年間、保養所のことは家族を含め誰にも話さなかった。しかし96年ごろ、跡地に水子地蔵が建てられていると元同僚から聞き、97年春の供養祭で初めて体験を明かした。2人の医師は亡くなり、今では唯一ともいえる語り部だ。
9月18日には九州大学で開かれるシンポジウムで証言する。大勢の学生らの前で話すのは初めてのことだ。痛ましい記憶を話すのはつらい。「けど、あの女性たちは自分の傷を誰にも言えなかった。それを思うと、私が話さなきゃいけない」と感じている。「戦争は女こどもが一番つらい目に遭うんです」
●引き揚げ
厚生労働省の記録などによると、終戦時、軍人・軍属・民聞人を合わせて660万人以上の日本人が海外にいた。各地の引き揚げ者は博多が1947年、佐世保が50年までに各139万人、舞鶴は58年までに66万人など。
二至村菁(にしむら・せい)・トロント大学アジア研究所客員研究員によると、舞鶴でも旧国立舞鶴病院で堕胎手術が行われた。引き揚げ体験を語り継ぐ「引揚を記念する舞鶴・全国友の会」の藤村正巳・事務局長は「隠れた悲劇」と話す。(終わり)
( 2010年8月14日土曜日 朝日新聞 朝刊 30面 より記者が書き起こし )
朝日の論調は、ここから「だから戦争は二度と繰り返してはならない。したがって、憲法9条をしっかり守り、自衛隊を解散し、米軍に出て行ってもらい、支那や朝鮮の言うことを聞き、赤旗を振ろう」となるからおかしいのである。
本当は「だから戦争はなるべく避けなければならない。しかし、これは相手があることであり、こちらが望まなくても、否応なく当事国になる恐れがある。したがって、国家国民の生命と財産を守るため、日ごろから万全な備えをしておかなければならない」と考えるのが整合性ある「筋」というものである。戦争に反対し、平和を唱えてさえいれば平和が維持されるならそれにこしたことはないが、それは非現実的な世界であり、おめでたいユートピアンの世界なのである。
さて記事に戻るが、こうした悲劇は当時の記録からいろいろなかたちで散見することができる。この二日市保養所に関する別の資料を見ると次のようにある。
二日市保養所(ふつかいちほようじょ)は、福岡県筑紫郡二日市町(現筑紫野市)にあった厚生省引揚援護庁の医療施設。
ここでは、レイプ被害に遭った日本人女性(引揚者)に堕胎手術や性病の治療を行った。当時堕胎は違法行為(堕胎罪)であったが、厚生省は超法規的措置として黙認した。
二日市保養所の報告(1946年6月10日)によると、2ヶ月間に治療を行った47人を強姦し、不法妊娠させた男の国籍は以下の通りである。
朝鮮人28人、ソ連人8人、中国人6人、アメリカ人3人、台湾人・フィリピン人各1人
ロスケも多いが、何と朝鮮人たちの多いことよ。日本が戦争に負けるや否や、それまで日本国民としてともに戦ってきた朝鮮人たちが、手のひらを返したように戦勝国を気取り、在留邦人婦女子を次々に強姦していくさまは、想像するだにおぞましく許せない。
さて、話しの繰り返しになるが、朝日はここから「だから戦争は二度としてはならない」というが、誰も戦争を最初からやりたくてやる国などない。外交が行き詰まり、四方手を尽くし策を窮してなお問題が改善されない場合、最後の手段として戦争に訴えるというのが普通である。したがって、戦争は国際社会の中においてある意味不可避的なものであり、こちらが望むと望まざるに関わらず、戦争の当該国になりうる可能性があるのである。いみじくもクラウゼウィッツが「戦争は別の手段による外交の継続である」と言っているように、問題が話し合いで解決がつかなければ、その解決の手段として最終的に戦争に訴えられる可能性がどの国にもあるのである。
上記、記事の悲劇が起こった理由は、朝日がいう「戦争があったから」ではなく、「戦争に負けたから」なのである。朝日に限らず日本の左派メディアは、この肝心なところをいつもすり替える。要するに、戦争がどの国にとっても不可避的なものであるなら、それに備えるこはもちろん、「負けないこと」こそが肝心なのである。強い国防力を持ち「負けないこと」が記事のような悲劇を生まない唯一の道なのである。それがわれわれ日本人がこの記事から学ばなければならない、大事な教訓なのである。そこのところを間違えると、朝日のようにとんでもない結論に至り、わが国により悲劇をもたらすことになる。
shiraty5027
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