慶応対帝京戦に引き続き「スリーチアーズ」なし11月3日、秩父宮ラグビー場で関東大学対抗戦「早稲田対帝京」、「慶應対明治」の2試合があった。夏の練習試合で帝京に完封されるという屈辱を味わった早稲田が、どこまでチームを立て直し帝京に挑むか。帝京と同様、全勝で臨む明治が果たして全勝を守ることが出来るか、注目の2試合であった。 結果は惜しくも早稲田が帝京に敗れ、前半の得点の差で明治が慶応に勝った。試合の結果はともかく、問題はノーサイド後の学生たちの態度である。前回拙記事で取り上げたように(慶應義塾大学蹴球部エール交換拒否に喝!)学生ラグビーの良さは、試合後の「スリーチアーズ」(註1)にある。ただ勝ち負けに拘るのではなく、お互いの健闘を称え合うというラグビーの基本精神、ノーサイドの精神が儀式化された、学生ならではのもっとも潔く清々しい場面である。 それが前回「帝京対慶應」戦同様、今回の「早稲田対帝京」「明治対慶應」戦でも見られなかったのである。いったいこれはどうしたことなのだろうか? ファンの方がアップされた動画yotubeを見る限り、今度は帝京の選手が早稲田の選手を無視して、故意に「スリーチアーズ」を拒否したようにも見受けられる。 憶測でものを言うべきではないが、以前このブログでも取り上げた夏合宿での一件。ネットでもかなり話題になった「早稲田大ラグビー部、勝った帝京大選手に『5流大学』『クロンボ』と暴言&試合後のキャプテンの挨拶も拒否」というのがあった。もし、帝京側がそれを根にもって「スリーチアーズ」を拒否したのだとしたら、暴言を吐いた一部の早稲田の選手と何ら変わらない。次元が低く、あまりにも子供じみていて大人げない。これまで帝京が地道に築き上げてきた「帝京ラグビー文化」を著しく毀損するものであり、断じて許せない愚行である。もちろんそうであって欲しくない。 他に考えられる理由としては、チーム間同士の話し合いにより「スリーチアーズ」をやらないことにした、というものである。もしそうだとしたら、ラグビーの精神を蔑にするもので、学生の本分として相応しくない。もし「スリーチアーズ」が形骸化(私はそうは思わないが)していて、ことさらそのことに固執すべきではないと考えるチームや指導者がいたとしたなら、それは大間違いである。つまり、ラグビーをやるという行為は、極言すればラグビーを通して得られた最も高貴な精神がフォルムを通して具現化されるという意味で、ラグビーにおいて「スリーチアーズ」こそ尊く重要な儀式だと考えることが出来るからである。つまり、この行為はラグビー精神の「真理」だと言っても過言ではない。 2019年に我が国でラグビーワールドカップが開催される。このワールドカップを支えるのが言うまでもなく今の学生たちである。ただでさえ我が国のラグビーの人気は凋落傾向にあり、マイナー・スポーツであると目されている。それはその根幹において、精神よりもスキルだけを重んじるような風潮になってきているからではないか。それでは真に強くはなれないし、ファン離れに拍車をかけることになるだけである。 前述したようにラグビーの基本(ラグビーに限らずすべてのスポーツに言えることだが)は、相手をリスペクトする精神が根底にあってこそ、互いに切磋琢磨し技術を高め、個人もチームも向上するというものである。だとしたら、そうした認識や自覚が今の学生たちに果たしてあるのだろうか。況や今の指導者たちに「哲学」としてそれがあるのだろうか? 甚だ疑問である。 繰り返しになるが、日本の学生ラグビーの良き文化は伝統として引き継がれるべきである。いや、引き継いでいかなければならないものである。「スリーチアーズ」を決して単なる儀式だと軽んじてはならない。学生たちの自覚、指導者たちの認識と指導力に期待したい。 ※註1 試合が終わった後、両校の選手たちが向かい合って整列し、一方のチームキャプテンが「スリー・チアーズ・フォー・(チーム名)」と言ったあと、続けて「ヒップ、ヒップ」と言い、メンバー全員が「フレー、フレー」と応じて、これを3回繰り返す。これをお互いにやる。 shiraty5027
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2012年11月05日
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