非理法権天(ひりほうけんてん)
小堀桂一郎東大名誉教授が『日本精神の根幹を語る』という番組でこの言葉を紹介していた。図式的に書くと「非<理<法<権<天」である。つまり、我々日常でもよくあるように、道理を踏まえている人が道理を踏まえていない人に勝つのは当たり前。これが「非<理」の意味である。
ところが世の中には両者に言い分があり、それぞれに道理があるというケースがある。たとえば死刑の問題。死刑廃止論者には死刑廃止論者なりの言い分がありそれなりの道理がある。一方、死刑存続論者には死刑存続論者なりの言い分があり道理がある。この場合、その上位の「法」がその是非を決めるというのが「理<法」である。
では、「法<権」とはどういうことなのか。これは支那のような独裁国家などを見れば一目瞭然である。支那にも一応法律はあるが、それはあってないようなもの。すべて支那共産党の思うがまま。支那共産党に不都合な事案があった場合、法もへったくりもないのである。これは支那に限ったことではない。我が国でも福田赳夫という馬鹿が、超法規的措置とか何とか言ってテロリストを身代金までつけて釈放したケースがある。まさに法より権力の優位を示す一例である。
さてそこで、「それでは地上最強の権力を裁くものがあるのか? 権力が現世の正義を左右してよいものなのか?」という問題が生じてくる。それを裁いてくれるのがつまり天であり、別言すれば歴史であるというのがこの「権<天」という意味なのである。
小堀教授は不当な「東京裁判」を軸に、これらを語っておられた。最後に東条英機の遺書『日本同胞国民諸君』の一部をご紹介したい。
力の強弱は決して正邪善悪の標準となすべきものに非ず。人多ければ天に勝つ。天定まれば人を破る。これ天道の常則たり。諸君、すべからく大国民の襟度をもって天定まる日を待たれんことを。
shiraty5027
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