美談
1945年4月11日午後、日本海軍は米海軍戦艦ミズーリ号に神風特別攻撃を仕掛け、零戦1機が対空砲火の網をかいくぐり低空飛行で右舷甲板に体当たりした。そのときパイロットの上半身と下半身が千切れ、上半身が敵機銃手をなぎ倒した。そのパイロットの名は、石野節雄(二等飛行兵曹・当時19歳・岡山県出身※)。
ミズーリ号艦長ウィリアム・キャラハンは、兵士たちが遺体をホースの水で海に流そうとしているのを制止し、遺体を軍葬(水葬)にして手厚く葬るように指示した。兵士たちの間には「敵兵にそんなことをする必要はない」との声もあったが、キャラハン艦長は「敵兵でも死んだら敵ではない。国のために命を捧げた勇士である。これは艦長の意思である。丁重に葬ってやりたい」と艦内放送し、毅然とした態度で部下たちに下命した。
翌朝、ミズーリ号艦上では5発の弔銃とともに水葬が営まれ、石野節雄二等飛行兵曹の遺体は、米兵たちが見守る中、夜なべして作った日本の軍艦旗(星条旗を加工して作った)に包まれ、厳粛に葬られた。
大東亜戦争中、日本本土上空でB-29爆撃機同士が接触し、群馬県邑楽町に墜落した。そのとき邑楽町の人たちはB-29の搭乗員を手厚く葬り、お寺にその遺骨を安置した。以前、後にこの碑の建立に際し「日本以外の国で敵の兵士を敬い、慰霊する行事はないだろう。日本人の高い品格と日米の友好の絆を表すものだ」との米軍横田基地広報部の談話を紹介した。
清水次郎長の有名なエピソードにこんなのがある。1868年、親分が49歳のときである。幕府の軍艦「咸臨丸」が清水港で官軍側(明治政府軍)と交戦した。そのとき幕府軍側に多くの死者が出た。次郎長親分は港内に浮かんだままの幕府軍側の屍を、官軍側の目を盗みながら引き上げ、清水向島に手厚く葬ったのである。もし、そのとき官軍側に見つかれば、次郎長親分とて官軍側からひどい仕打ちを受けていたであろう。しかし、次郎長親分は一言いった。
「死ねば仏だ。仏に官軍も徳川もない」と‥‥。
そうなんです。日本には古来から「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)、「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)という思想があって、「死ねばみんな等しく仏となり、祀りの対象となる」という生死観があるのです。
日米には支那・朝鮮(南北)には、絶対、絶対、絶対にない人としての荘厳な哲学(ものの観方・考え方)があるのです。そういう意味で、日米は同じ価値観を共有する同胞なのであります。日本が独自の防衛力を確立するまで、米国とは仲良くしましょうね。
※同時に突入した、同じく第五建武隊の石井兼吉二等飛行兵曹の可能性もある。
shiraty5027
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