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映画は226事件を題材にしているが、一言で言ってお粗末。この作品に限らず、どうして近年の戦争映画(語弊はあろうが)は、つまらないのであろうか‥‥。理由は簡単。戦争映画に「色恋」を混ぜているからである。 『二百三高地』(1980年:東映)にしろ、『日本海大海戦 海ゆかば』(1983:東映)にしろ、『226』(1989:松竹)にしろ、もっと最近では『真夏のオリオン』(2009:東宝)にしろ、内容は戦争映画というより、好いた惚れたのセンチメンタル色恋映画‥‥。 ふざけんな! 確かに観客を呼ぶためには、そうした要素をふんだんに盛り込まなければならない会社の事情も分からないではない。が、それにしても社会派映画として純粋に戦争映画を求めるオラにとっては幻滅である。 そう思うと、今思うに『日本海大海戦』(1969:東宝)は傑作だったな〜。変な「色恋話」はないし、妙な脚色もない。史実に基づいて淡々と、しかもダイナミックに日露戦争を描いている‥‥。日本戦争映画史上、最高傑作といっていいのではないか? 今回の映画、『動乱』‥‥。色恋話もさることながら、映像が粗雑。撮影に気配りや繊細さが微塵も感じられない。かつて『キネマ旬報』という雑誌に記事を書いていたオラにとっては、そもそもそれが許せない! 主演の高倉健と吉永小百合が、汽車で東京を離れて鳥取へ行くシーンである。車窓をご覧いただきたい。これは現代の車の左ヘッドライト部分である。時代は1936年(昭和11年)。この時代に、こんな自動車があったのだろうか? もちろんあるはずがない。これは、明らかにスクリプター(映画の撮影現場において、撮影シーンの様子や内容を記録・管理する人)のミスである。しかし、それを知ってか知らずか、許す、あるいは見逃す監督やプロデューサーには、映画を撮るプロとしての資格はない。映画人として失格なのである。かつての「活動屋」(映画制作のプロ)には、些細なミスも許さないプロとしてのこだわり、活動屋としての自覚と誇りがあった。それがこの映画にはないのである。観客を小馬鹿にしている。 この映画を撮った監督が亡くなった際、「もっと映画を撮って欲しかった」「惜しい人を亡くした」と吉永小百合が言ったそうな‥‥。可愛い顔して、お前は馬鹿か! さすが、北朝鮮を賛美した映画『キューポラのある街』(1968:日活)でブルーリボン賞を貰って喜んでいた馬鹿女優‥‥。広島で、妙な詩の朗読を通し反核を主張する売国糞女‥‥。ワリャ、終いにゃ上の口だけじゃなく下の口も塞いじゃろか!(もとい) というわけで、この映画は二重にも三重にも不愉快で腹立たしい映画であったのであります。 shiraty5027
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