|
大きな活字でご覧になるにはこちらをクリックしてください。 石破防衛相、辞める必要なし! 一方、与党はというと、さっそく日和見おばさんこと小池百合子が防衛相批難を開始した。「どんなに内規を変えようが従わない(自衛隊の)現実であれば時間のロスに過ぎない」だと? 自分は防衛大臣に就任したとき、大臣としての仕事など何もせず、さっさと投げ出してしまったくせにいまさら何をいいやがる。町村官房長官は、一国の官房長官であるにもかかわらず、先の米兵少女暴行事件で米兵一個人の犯罪を、あたかも在日米軍全体の犯罪であるかのような、誤ったメッセージを発した。明らかに反米主義者に迎合する発言である。今回の件でも町村一派は、自衛隊の対応を批判すると見せかけ、実は派利派略に奔走しているに過ぎない‥‥。野党はもちろん、与党の一部は明らかに今回の事件を「政争の具」にしているのである。 日和見百合子が「どんなに内規を変えようが従わない(自衛隊の)現実」と指摘しているが、確かに内規を変えたからといって、すぐに自衛隊が正されるというものではない。長年にわたって堕落と腐敗が染み付いた自衛隊が、大臣が代わり内規を変えたからといって直ちに変わると考える方がむしろおかしい。石破大臣は、一朝一夕には成就しないであろう自衛隊改革を、しかしそれは急務であるという認識から地道に取り組んでいるのである。内規すら変えようとしなかったお前には言われたくない。 我が国では、やたら文民統制(Civilian Control)という言葉がもてはやされている。あたかも政治家や防衛官僚(背広組)が、自衛官(制服組)を支配しているような印象を与える言葉であるが、実はそんな概念はなく、外国では政治優先(Political Leadership)という言葉を使っている。つまり、それは「政治が軍事を優先する」という意味なのであり、言葉の造語と意味の誤解が、不幸なことに我が国では定着してしまっているのである。だからといって、今回の事件は政治家である防衛大臣に責任はないと言うつもりはないが、少なくとも現場(制服)と政治(背広)を分けて考える必要があるのではないか。 たとえば大きな会社の社長が、末端の従業員の業務上の過失責任を直接負うであろうか。確かに広い意味では社長にも責任はある。しかし一番責任があるのは、現場で直接そのことに携わっていた当事者であり監督者である。当事者に近ければ近いほど責任があるというもので、全体の統括者が直ちに責任を負わなければならない性質のものではない。今年、暴力団対策法が改正され、末端の組員が起こした事件や不始末の損害賠償責任が組織トップの組長に及ぶようになるという。これは明らかに組織暴力団壊滅を狙ったもので、今回の野党が目論む「防衛相辞任論」はこれとまったく同じ発想であり、問題のすり替えに他ならない。 今回の問題の責任は、石破防衛相にあるのではなく海上幕僚長にある。今回の事件の責任(防衛相への連絡遅滞等を含め)はもちろん、海上自衛隊に限っていえばイージス艦の情報漏洩事件、インド洋での海上自衛隊補給艦の給油量訂正、航泊日誌の誤破棄問題、護衛艦「しらね」の火災など相次ぐ問題を引き起こしている海上自衛隊自身にあるのだ。当然その責任は海自制服組のトップ、吉川栄治・海上幕僚長が一身に負わなければならない。もちろん当事者である「あたご」の艦長以下、事故を招いた直接の関係者たちもすべてである。海上幕僚長の更迭に関しては現在防衛省で検討中であるというが、この事件が解決し次第、早急に吉川栄治を罷免し、日本の武人として誠の心をもった優秀な人材を登用してもらいたい。「あたご」の艦長も然りである。 さて、石破防衛相に直接の責任はないと述べた。しかし防衛省のトップとして、当然別の意味での責任はある。被害者家族や漁業組合長、勝浦市長に謝罪に回ることはいいが、言葉を間違えないでもらいたい。「大変にお騒がせして、ご迷惑をおかけしました」とは何事か。「大変お騒がせして」と言うのは「被害者」が周りに気を遣って言う言葉なのだ。たとえば、台風などで災害にあった家族が、お見舞いに訪れる人たちに向かって言う言葉。間違っても「加害者」側が用いる言葉ではない。 被害者家族が、謝罪に訪れた石破大臣に対して「大臣に原因究明、再発防止をやってもらいたい。政争の具にされるのは嫌だ」と言ったという。石破大臣はもちろん、政治家たちは与野党を問わず、この言葉を重く真摯に受け止め、日本の防衛問題に取り組んでもらいたい。 |
国防
[ リスト | 詳細 ]
|
大きな活字でご覧になるにはこちらをクリックしてください。 米兵女子中学生暴行事件 私も一人の日本人として、こうしたいたいけない子どもを標的にした米兵の犯罪は許せない。例えそれが米兵でなくても、また被害を受けた子どもが日本人でなくても、等しくその蛮行に憤りを覚えるものである。その子の親にしてみれば、どんなにか辛く悔しい思いであろう。子をもつ親として、その親の心境は痛いほどよく分かる。私もその親の憤りを共有する一人である。さぞかし無念であったろう。 しかし、こうした人の不幸に乗じて、これ幸いにと自らの邪な主義主張を、ここぞとばかりに発揮する連中がいることも事実である。19日『基地・軍隊を許さない行動する女たちの会』など、沖縄県内にある左翼系の団体がさっそく「危険な“隣人”はいらない」という緊急集会を開いたという。また同日、別の会場では、教科書検定意見撤回を求める県民大会を開いた実行委員会構成団体の『沖婦連』など、およそ30団体が会合を開き、今回の米兵女子中学生暴行事件について抗議する県民大会を開くことを決めたという。それに便乗したかたちで、「人権侵害を許さない」「基地の整理縮小」などをスローガンとして盛り込む意見などが出されたという。 おそらくこうした集会を主催するする人々は、実は中学生暴行事件など本当はどうでもよく、自分たちの主張をいかに世間に広め、大きく伝染させていくかだけが目的なのだろう。こうした不祥事を種に、国民を扇動し、自分たちの邪悪な思想に国民を感化しようとするのが狙いなのである。そんなことは少し考えれば分かることなのである。米兵の犯罪は断固糾弾し処罰されなければならない刑事事件である。しかし、それは米兵に限った話ではなく、国内にも日本人の犯罪として不幸にもそんなような事例は多々あることなのである。それをあたかも、日本に米軍基地があるから問題なのだ、と言わんばかりに話をすり替えるのは、いつもの彼らの常套手段。その幼稚な手法に乗ってはならない。 在日米軍は、日本の安全を担保するためには今のところ残念ながら必要不可欠なのである。在日米軍の抑止力は日本の安全保障にとって非常に重要なのである。彼らの存在が、中国や北朝鮮、あるいはロシアの我が国に対する野望を挫く上で、どうしても必要なのである。確かに、在日米軍の基地が沖縄に集中していることは沖縄県民に対して大変気の毒ではある。しかし、2014年までに宜野湾市の普天間飛行場を名護市に移設し、海兵隊司令部要員ら米兵8000人はグアムに移転する計画であるというではないか(トランスフォーメーション)。むしろ沖縄にとっては、その計画を相互理解の上に立って支援することの方が、より大切なのではないか。 町村信孝官房長官は20日午前の記者会見でこの事件を受け、在日米軍が沖縄駐留の全軍人・軍属の外出禁止を始めたことなどについて「昼夜を問わず外出禁止にすることは、それなりに評価する」と述べている。だが、それは米国に対して誤解を与えるメッセージになってはいやしまいか。たまたま米兵一人の犯罪を、あたかも在日米軍全体の犯罪であるかのような印象を日本政府が認識として持っている、という誤解を米国側に与えることになるのではないか。一国の官房長官たる者が、反米主義者に迎合したような印象を与えるのは、決して我が国にとって得策ではない。犯罪者は犯罪者として、その他の米軍関係者は米軍関係者として、はっきり区別した中で発言をするべきであったように思う。 いずれにしても、日本と在日米軍との関係は、基地周辺住民と在日米軍との交流、日本と米国との相互理解を通じた中で、建設的な見地から互いに努力することが重要なのではないかと思う。 |
|
大きな活字でご覧になるにはこちらをクリックしてください。 自衛隊よ、綱紀粛正?笑わせるな海自の護衛艦火災事故、原因は隊員が持ち込んだ缶コーヒーの保冷温機 昨年12月14日に起きた海上自衛隊の護衛艦「しらね」の火災事故の原因は隊員が無断で持ち込んだ缶コーヒーの保温機にあることが、海自が設置した事故調査委員会の調べにより19日までに明らかとなった。
事故調査委員会によると、「しらね」は12月14日、海自横須賀基地の吉倉岸壁に停泊中に、戦闘指揮所(CIC)内に無断で持ち込まれた缶コーヒーの保冷温機が何らかの原因により出火。この火がCIC内の電子機器に燃え広がったことが、火災につながった模様だ。 事故調査委員会では今後、誰が、出火原因となった缶コーヒーの保冷温機を持ち込んだかなど、調査を進めるとしているとしている。 この火災事故の復旧工事にかかる総費用は数十億〜数百億円の費用がかかるものと見られている。 ( 『 Technobahn 』 2/19 ) 記事に「隊員が無断で持ち込んだ」とある。事故調査委員会は誰が持ち込んだのか調査を進めるといっているが、場所が場所(戦闘指揮所)である。当然、この艦の尉官や佐官、場合によっては将官クラスの人間が、そのコーヒー保冷温機を目にしているはずである。誰もそれを見て「なぜこんなものがここに置いてあるのか」と注意を喚起しなかったのであろうか。「誰がこんなものを持ち込んだのか。さっさと撤収しろ」と言わなかったのか。 つまり、弛(たる)んでいるのである。弛みきっているのである。「コーヒーの保冷温機くらいなら別にかまわないだろう」と見逃していたという以外に考えられないのである。イージス艦機密漏洩事件や防衛省不祥事問題といった、自衛隊にまつわる事件が相次いで起こり、自衛隊の綱紀粛正が問われている中、隊員たちはいったい何を考えているのか。たまたま火災があったからこの事件が発覚したのであって、もし火災がなかったら見過ごされていた問題に違いない。 この火災事故の復旧工事にかかる総費用は、十億〜数百億円にものぼると記事にはある。この艦の隊員たちは、いったい誰がこの艦の修理費を払うと思っているのか。我々国民の貴重な税金から支払われるのだ。この艦の隊員たちは我々の血税を何だと心得ているのか。これは単に、過失などという事がらで済まされるような問題ではない。世が世ならば「軍法会議もの」なのである。あまりにも自衛官としての自覚が足りなさすぎる。 口先だけで規律云々を唱えるのではなく、隊員たち自身が身の回りをよく見て、御座なりになっているところがないかよくチェックしたらどうか。多分、我々が知らないところでいい加減になっているところがまだまだたくさんあるに違いない。隊員自らが自衛官としての自覚をもち、身辺の細かいところから正していかなければ、とうてい国民からの信頼と尊敬は得られない。 また、今回問題になっているコーヒー保冷温機、まさか中国製や韓国製ではないだろうな。中国製品の問題は別に食品部門に限ったことではない。ついこの間、玩具に塗られていた塗料に有害物質が混じっていたことが問題になった。要は中国製品や韓国製品は欠陥が多くて信用が置けないということなのである。綱紀粛清と同時に、そうした身の回りの品にも注意を喚起してもらいたい。とにかく自衛隊員よ、このままでは明日はないぞ! しっかりせい! |
|
大きな活字でご覧になるにはこちらをクリックしてください。 自衛官に誇りを!自衛隊、スーダンへの派遣検討…南部地域でPKO参加 政府は15日、スーダン南部に展開する国連平和維持活動(PKO)部隊の「国連スーダン派遣団(UNMIS)」に自衛隊を派遣する検討に入った。
同国西部のダルフール地域で展開中のPKOとは別の活動で、和平合意の履行確認や地雷除去支援などの任務を想定している。 スーダン南部では、1983年以降、北部のイスラム教徒を主体とする政府と、キリスト教徒の多い南部地域を基盤とする反政府勢力が激しい内戦を繰り広げてきたが、2005年に和平合意が成立した。 UNMISには昨年8月末現在、日本を除くG8(主要8日国)のほか、中国や韓国も要員を派遣、部隊要員8809人、文民警察要員660人、軍事監視要員607人が活動中だ。日本政府はこれまでの検討で、国連平和維持活動協力法(PKO協力法)が定める自衛隊参加5原則を満たすと判断した。 ただ、UNMISの活動では、昨年9月末現在、病気や事故などによる犠牲者が計26人出ており、自衛隊派遣には異論が出る可能性もある。 ダルフールのPKO「国連・アフリカ連合合同部隊(UNAMID)」を巡っては、欧米に日本の参加を期待する声もあったが、PKO協力法が定める紛争当事者間の停戦合意がなく、自衛隊は参加できない。 ( 『 読売新聞 』 2/16 ) そもそも「危険な地帯だから自衛隊の派遣は止めてNGOのような民間団体の活動を優先させるべきだ」というような議論は、本末転倒も甚だしい。自衛隊は何のために存在するのかといえば、国家・国民の生命と財産を守るためにある。例えば、消防士が火災現場で消火活動をするとき、自分たちの安全の確保はもちろんだが、時には自分たちの命を賭して、逃げ遅れた人を救出したり避難させたりする。それが消防士の務めなのである。警察官が銃を持った凶悪犯に対峙するとき、まずは一般住民を安全なところに避難させ、犯人の矢面に立って対処しようとする。まさに命を賭して任務にあたる。それが警察官として当然の仕事なのである。 人命尊重という観点に立てば、民間人も消防士も警察官も同じである。しかし、無分別にそれを言い出せば、消防士や警察官の仕事は成り立たない。消防士や警察官の仕事がなぜ尊いのかといえば、まさに自分たちの命を賭して、国民の生命や財産を守る職にあるからなのである。自衛官とてそれは例外ではない。むしろ国家の主権を守るという重責が課せられている分だけ、その責任は重く、その使命は尊いものなのである。 私は、自衛官の命を軽視するつもりはない。だが、自衛官自身の命を守ることがあたかも人命を尊重することになるという話のすり替えにはどうしても合点がいかない。むしろ、それを強調すればするほど、自衛官は自衛官としての誇りを失い、自尊心が傷つけられていくように思えてならないのである。自衛官はあくまで国家・国民を背にして、潔く自分たちの命を賭して敵と戦う。自分たちの命と引換えに国家・国民を守るのが使命であり唯一の仕事なのである。自衛官が自分たちの命を惜しみ、国民がそれを支持する‥‥。それは軍隊としての、いや国家としての体をなしていない。 戦後、自衛隊は警察予備隊、保安隊、自衛隊という呼称を変え今日まで歩んできた。その歩みの中で自衛官は常に日陰者扱いされ、尊い仕事の割にはその身分が軽視されてきた。それは、戦後政策による社会の誤った風潮やら間違った教育がもたらしてきたものなのかも知れない。いや、武人を軽視するという平安時代以来の我が国の伝統によるものなのかも知れない(この話は歴史に造詣が深い友人ブロガー『太郎ともも』氏の言)。 いずれにしても、誤った「人命尊重」の定義を正すことと、自衛官という職責の重さをあらためて我々は認識し直す必要がある。国民が自衛官を尊敬し、自衛官が誇りを持って国に命を奉じられるような、まともな国に一刻も早くすべきである。 |
|
今日は大阪へ日帰り出張し、久々にお好み焼きのお店で食事をして遅くに帰宅しました。 ヘッドライン・ニュースで見たのですが、また北方領土の千島で4隻の漁船が拿捕されたようです。 拉致問題や漁船拿捕の報道に接すると想い出されるのは以下の話です。 ここから引用させていただきます。ネイヴァルランド公国 漁民を救った帝国海軍
日本海軍は北洋警備・北洋漁業保護の為に、最旧式駆逐艦を以て編成する駆逐隊の一隊(定数四隻、司令は大佐または古参の中佐)を毎シーズン派遣しておりました。 國民性なのでせうか、蘇聯は昔から露骨な國で、我が駆逐隊が漁業海域に到達し警備任務に就くや、日頃横暴なる蘇聯艦艇も、途端に猫の如く大人しくなりました。だから駆逐隊は毎度漁民から熱狂的大歓迎を受けたものですが、必要に応じ、戦隊若くは艦隊を神速に派遣することも行はれたやうです。 父の友人に「ひうらさん」といふ越後人がありました。生きて居られればゆうに百歳超えませう。明治の御代に雪の越後を後にして、刻苦勉励、数多辛酸を嘗め、戦後は小金持になり、銭湯など経営して世を終へられました。この御仁が、大正の末か昭和の初め、蟹工船に乗組んで北洋漁業に従事してゐた時の話です。 氷濤の中、果敢に操業してゐた或日、突然蘇聯の警備艦艇に謂れ無く拿捕され、乗組員一同、浦塩に聯行、抑留されました。此処までは今日と同じです。取調べは惨たらしいもので、生きて再び日の目を拝めるかと思った程ださうですありもせぬ犯罪事實の自白を強要され、半殺し状態で朝を迎へ、再び鐵格子の中から引き出されました。 いよいよ殺されるかと半ば覚悟した途端、何故か赤魔官憲の態度が掌を返す如くに豹変し、捜査は打切り、無罪放免、露西亜紅茶まで振舞はれてにこやかに釈放するではありませんか。解き放たれたひうらさん達は警察署だか獄舎だかの外へ出ました。天然の港町なら大概、地形的に港へ向って傾斜し、海側の眺望が開けているものです、半信半疑の儘、ともかくも港へ向はむとふらつく脚を海へ向けました。その瞬間、何故、助かったかが判りました。 沖には日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、各艦砲身を陸に向け、砲門を開き、その強大な攻撃力は毎分幾百幾千發ぞ、陛下の赤子にかすり傷だに負はせなばウラジオストックそのものを消滅させんばかりの圧倒的武威を以て、ソヴィエト社會主義共和國聯邦を威圧して呉れてゐたのです。旭日の軍艦旗の何と美しく、浮かべる城の何と頼もしかったことでせう。皆、感泣しました。鋼鐵の艦体に頬ずりしたい思ひで・・・。ひうらさんは無事、日本に帰りました。 取るにも足らぬ漁舟の、僅かな人数の乗組員の為に、大國相手の戦争をも辞せず、瞬く間に艦隊を繰り出して救出してくれた祖國日本の親心に酬いる為にも、なほ一層仕事に励み、三代の御代を生き抜き、東京都江戸川区小岩の自邸で、四半世紀ほど前に大往生を遂げられました。勤倹貯蓄、關東大震災の前の歳に買ったといふ革靴を、靴底だけ張替へ張替へして生涯穿き続けました。 「贅澤をする金があったら海軍に献金でもせい!」 国民の安全と財産を守るのが国家の国民に対する義務とすれば、戦後の日本は未だ半人前です。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用





