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ナゾの反転:栗田健男中将 (四)

 一方、キンケイド中将は、サンベルナルジノ海峡の出口は、ハルゼー大将の守備範囲だと考えていた。第三十四機動部隊が栗田艦隊を迎撃するもの、と信じていた。西村、志摩両艦隊との交戦で、キンケイド艦隊の徹甲弾(註1)は極度に不足している。まずはハルゼー艦隊の働きに期待する状況でもあった。

 かくて、ハルゼー、キンケイド両提督は、互いに相手が仕事をするものと思い込み、おかげで、サンベルナルジノ海峡の出口はおろか、レイテ湾に至る“花道”まで、栗田艦隊に開放する結果になったが、被害を受けたのは、栗田艦隊に発見されたC・スプレイグ少将の第七十七・四・三部隊である。

 第七十七・四・三部隊は、第七十七・四機動隊の一部で(他に第七十七・四・一、第七十七・四・二部隊)、商船または油槽船を改造した特設空母6隻、駆逐艦3隻、護衛駆逐艦4隻から成っていた。空母とはいえ、戦闘機、雷撃機をそれぞれ12〜28機積み、装甲の厚みも0.5インチ、速力も18ノットでれば機関長が祝杯を上げるといった程度で、前夜、西村・志摩艦隊との戦いに邪魔にならぬよう、キンケイド中将の命令でレイテ湾北方に退避していた。

 むろん、スプレイグ少将も栗田艦隊の接近は知っていたが、とっくにサンベルナルジノ海峡付近でハルゼー艦隊に撃滅されているものと想像していた。

 それだけに、午後6時45分ごろ、レーダー室から突然「目標あり、北方、正体不明‥‥」という報告を受けたとき、旗艦・空母「ファンショウベイ」の艦橋にいたスプレイグ少将は、それはハルゼー艦隊だと思った。

 ところが、哨戒機は「敵水上部隊発見」と告げ、よく確かめろ、という少将の指示にかぶせるように、パイロットの上ずった声が艦橋ラジオに響いた。

 「間違いねェ、パゴダ・マストだ」

 日本軍艦のマストを、米海軍はビルマ、インドのパゴダ(仏塔)に見立てている。

 「どうしたんだッ」 ― と、スプレイグ少将は仰天して双眼鏡を覗くと、水平線に点々とまぎれもない日本戦艦のマストが浮かび上がり始めた。

 「針路90度、全速、全機発艦、全艦煙幕をはれ」

 戦艦と特設空母では、戦車にワイシャツ姿で立ち向かうにひとしい。スプレイグ少将は、悪寒が背筋を走りすぎるのを感じながら、あわてて退却を命じたが、とたんに空中に急行列車のような怪音が響いたと思うと、まわりに砲弾の水柱が林立した。

 「大和」の初弾斉射であるが、続いてほかの艦の周囲にも、日本艦隊が撃ち出す砲弾が水柱を吹き上げた。弾着位置を知るための着色弾らしく、水柱は緑、黄、紫、赤などに染まっている。演習なら美しいとも思うが、実戦となれば美しい色彩も不気味に見える。スプレイグ少将の耳に、一人の水兵の叫びが聞こえた。「ヤツらは“テクニカラー”(天然色)で攻めてきたァ」

 戦いは、一方的に見えた。スプレイグ部隊にできることは、3隻の駆逐艦、4隻の護衛駆逐艦に反撃させ、そのすきに逃げるだけである。7隻の駆逐艦にしても、戦艦、重巡をそろえた栗田艦隊に何ほどの抵抗ができるとも、思えなかったからである。

 だが、戦闘は意外に長引いた。ひとつには、栗田艦隊は文字通りの「不意遭遇戦」であったので、陣形が不整のまま突撃した。各個戦闘の形になり、集中射の威力を発揮できず、また、スプレイグ部隊の母艦機の攻撃、駆逐艦の雷撃回避で手間取り、なかなか追いつけなかったことなどが、原因である。

 おまけに、空母には次々に命中弾が認められるが、沈まない。徹甲弾なので、薄い艦体を突き抜けてしまうのである。それでも、午前9時ごろには、空母1隻、駆逐艦2隻、護衛駆逐艦1隻が撃沈され、ほかの艦も傷つき、スプレイグ少将は、最期の接近を覚悟した。

(五)につづく。

註1:徹甲弾  装甲に穴をあけるために設計された砲弾。

イメージ 1


参 考
『 指揮官 』 ( 児島譲著:文芸春秋 1971年 )
『 Wikipedia 』

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ナゾの反転:栗田健男中将 (三)

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 サンベルナルジノ海峡を抜け、朝もやが立ち込める海面を進んでいると、まず重巡「熊野」が百十度方向に敵機を発見した。旗旒信号で「大和」に知らせた。次いで重巡「鳥海」も二百二十度方向、距離二十四キロに、レーダー目標を探知した、と伝えてきた。

 つづいて午前6時44分、「大和」の左六十度、三十七キロの水平線に数本のマストが見えた。駆逐艦らしい、と思ううちに、飛行甲板に発着する飛行機の姿も双眼鏡に飛び込んだ。

 「小沢部隊じゃないですか」と参謀の一人がつぶやいたが、「大和」はサマール島東岸にいる。小沢部隊ははるか北方にいるはずである。敵艦隊、それも明らかに敵機動部隊ではないか‥‥しかも、何と主砲の射程内にいる。

 「天佑だ」 ― と、大谷作戦参謀は涙ぐんだ。シブヤン海で空襲を受け、敵機動部隊の待ち伏せは不可避と考えていた。おそらく、敵機との戦いに終始し、とても敵艦隊相手に練り上げた砲雷戦の腕をふるうチャンスは与えられないものと予感していただけに、眼前に敵機動部隊を見るとは、まさに栗田艦隊、いや帝国海軍に花を咲かせようとの神助であろう。

 「長官ッ」

 「おう」

 感涙にかすれる参謀の呼び声に、栗田中将もがっしりとうなずいた。まだ、夜間飛行隊形から輪形陣に変わる途中で、隊形は不整であるが、勝負は転瞬の間にある。直ちに全力即時待機、「列一三〇」(百三十度方向一斉転換)、展開方向百十度と、矢継ぎ早に命令が下され、午前6時58分、まず「大和」の前部46センチ主砲が、重さ1.46トンの巨弾を轟音とともに敵空母めがけて発射した。

 レイテ沖海戦 ― の開幕であるが、それにしてもその幕開けは、大谷参謀が驚いたように、米国側にとっても予想外の事態であった。

 当時、レイテ周辺に配置されていた米艦隊の勢力は強大であった。

 第三艦隊司令長官W・ハルゼー大将が指揮する第三十八機動部隊は、大型空母8、軽空母8、戦艦6、重巡4、軽巡11、駆逐艦58、計95隻を揃え、さらにマッカーサー軍には、T・キンケイド中将が指揮する戦艦6、重巡4、軽巡4、特設空母16、駆逐艦42、計72隻の第七艦隊が付属していた。このうち、第三十八機動部隊の一部、第三十八・一機動隊25隻はウルシー基地に向かっていたが、いずれにせよ、総計142隻の大艦隊が、栗田艦隊を待っていたのである。

 しかも、南方からレイテ湾に進んだ西村部隊は前夜、スリガオ海峡入り口でキンケイド艦隊に迎撃され、ほぼ全滅し(重巡「最上」と駆逐艦一隻がかろうじて離脱)、つづく志摩艦隊も打撃を受けて反転していた。

 栗田艦隊の接近はすでに探知されている以上、米国側としては余裕をもって栗田艦隊の到着を待てばよい。現に、ハルゼー大将は、第三十八機動部隊の中から栗田艦隊の迎撃用に戦艦を中心とする第三十四機動部隊の編成準備を命じていた。

 ところが、ハルゼー大将は、24日、小沢部隊を発見すると、第三十八機動部隊の全力をあげて攻撃に向かった。レイテ湾の防備はもともとキンケイド中将の責任でもある。

 「飛行機を持たぬ艦隊など、わしが出かけるまでもない。目標はジャップの機動部隊だ。決戦だ」

 と、ハルゼー大将は鼻息荒く叫んだものである。

(四)につづく。

参 考
『 指揮官 』 ( 児島譲著:文芸春秋 1971年 )


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ナゾの反転:栗田健男中将 (二)

イメージ 1 いわば、海軍はレイテ決戦に全力をあげ、その全力の焦点に栗田艦隊が位置していたわけである。当然、栗田艦隊としては、肩にかかる期待を自覚し、勇戦の覚悟に身を引き締めたが、同時に、レイテ突入作戦の内容については、釈然としないものを感じた。

 栗田中将は、第二艦隊司令長官に就任して以来、航空勢力の衰弱に伴い、第二艦隊の指名は独力による敵艦隊、特に敵機動部隊の撃滅にあると見定め、訓練に励んだ。ハダカで向かう以上、戦術は限られる。夜暗を利用して接近し、一発必中の砲弾、魚雷を撃ち込む以外に、ない。栗田艦隊は、スマトラのルンガ泊地で野戦訓練に没頭していた。

 ところがその栗田艦隊に対して、輸送船団を攻撃せよ、という。艦隊に不満の声がとどろぎ、参謀長・小柳富次少将は、マニラで開かれた連合艦隊との打ち合わせ会議で、船団撃滅というが、敵機動部隊に遭遇したらどうするのか、そのときは敵主力部隊と決戦していいか、と訊ねた。連合艦隊から来た作戦参謀・神重徳中佐は「結構です」と答えた。

 この点は重大であった。敵輸送船団がいる以上、機動部隊の存在は予想できる。してみれば、栗田艦隊と敵機動部隊との戦いは、むしろ必至であろう。となると、その“決戦”に専念すれば、輸送船団撃滅という作戦目的は吹き飛んでしまう‥‥つまり、船団撃滅とはいいながら、実際には、第二艦隊は敵艦隊との戦いを目指し、一種の作戦変更になるからである。

 そして、この点はやがて栗田艦隊の“ナゾの反転”を生む重大要素となるが、とにかく、敵の軍艦と戦うのが海軍の本務とみなされている。そこに触れられては、異議は持ち出しようがない。小柳参謀長の質問に、神参謀はあっさり頷き、栗田艦隊も「敵機動部隊との決戦を期待しながら船団撃滅」にむかった。

 栗田中将の心境はサバサバしたものだった。どっちに重点を置くかというよりも「軍艦がいれば軍艦とやる。商船がいれば商船をやる。それでいいじゃないか」 ― 白の半袖防暑服、白の長ズボン、白戦闘帽、ズック靴という気軽な姿で艦橋に立った。

 栗田艦隊の航海は、難儀であった。まず、10月23日、ブルネイ湾からサンベルナルジノ海峡に向かう途中、バラワン島西岸沿いのバラワン水道を通るとき、敵潜水艦に2隻の攻撃を受け、旗艦「愛宕」と重巡「摩耶」が沈没、重巡「高雄」は大破した。

 栗田中将も海中に飛び込み、駆逐艦に救助されて第一戦隊旗艦「大和」に移った。戦隊司令官・宇垣纒中将が「長官、なぁに、これからですよ」というと、栗田中将も「うん」と答えた。

 栗田艦隊は、西村部隊を分離しているので戦艦5、重巡10、軽巡2、駆逐艦15、計32隻だったが、パラワン事件で重巡2を失い、傷ついた「高雄」には駆逐艦2席をつけて引き返させたので、計27隻となった。

 次いで、10月24日、ミンドロ島南端からシブヤン海に入ると、五波計264機の敵空襲により、戦艦「武蔵」が撃沈された。重巡「妙高」も被雷し、駆逐艦3隻とともにブルネイ湾に帰った。

 これで栗田艦隊は23隻となり、しかも戦艦「長門」が通信施設を破壊され艦首に進水したほか、各艦とも大なり小なりの被害を受けていた。

 栗田艦隊は空襲を受けると、いったん反転して、敵の第五波が引き上げるのを待ち、再び引き返して夜間にサンベルナルジノ海峡突破を図った。作戦参謀・大谷藤之助中佐の献言によるもので、反転を敵機に見せて、引き揚げたと思い込ませる作戦だった。が、大谷参謀自身、それがうまくいくとは確信できず、おそらく、サンベルナルジノ海峡の出口には、敵機動部隊が待ち構えているものと、覚悟していた。

 ― ところが、10月25日午前6時40分ごろ ― 。

(三)につづく。

参 考
『 指揮官 』 ( 児島譲著:文芸春秋 1971年 )


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ナゾの反転:栗田健男中将 (一)

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 「ナゾの反転」 ― といわれるのが、昭和19年10月25日、フィリッピン・レイテ島沖における第二艦隊の行動である。

 当時、レイテ湾にはマッカーサー元帥率下のレイテ島上陸部隊と輸送船団が群集していた。栗田健男中将が指揮する第二艦隊は、この船団を撃滅するため出動したが、レイテ湾43マイル(69.2km)まで迫りながら、突然、身をひるがえして帰っていった。

 なぜ帰ったのか? もし突入していれば、敵船団のみならずマッカーサー元帥も、戦艦「大和」の巨弾で吹き飛ばし、あるいは戦局に大変化を与えたかも知れないのに ― と、疑問は当時から、そして特に戦後は米国側から“海戦史上のナゾ”として提起され、栗田中将は内外の批判にさらされ続けた。

 ― 「臆病者」「愚将」「無能指揮官」‥‥

 そんな酷評さえ加えられている。だが、栗田中将は、ほんとうに無能な指揮官であったろうか ― 。

 「大和」「武蔵」の大艦を含む戦艦7、重巡11、軽巡2、駆逐艦19、計39隻の第二艦隊が、ボルネオ・ブルネイ湾を出撃したのは、昭和19年10月22日であった。

 第二艦隊は、空母を含まぬいわゆる水上部隊である。そして、すでに空母の主勢力を失っていた日本海軍にとって、この水上部隊が唯一の有力な戦闘単位でもあった。もともと第一艦隊が主力戦艦部隊、第二艦隊は重巡を主力とする夜戦突撃部隊として編成されていたので、旗艦も重巡「愛宕」である。

 司令長官栗田中将という人事も、第二艦隊にふさわしいものとみられていた。

 司令長官は栄職である。たいてい、海軍大学校を卒業したエリートが就任するが、栗田中将は入試に失敗して海軍大学校の学歴は持っていない。だから、司令長官拝命と聞いて、一番驚いたのは中将自身である。

 「冗談じゃない、こんな野武士を、だめじゃないか、そう思ったね」

 何せ、明治43年7月に海軍兵学校を卒業して以来、陸上勤務はわずか9年間、後はひたすら砲艦、駆逐艦、巡洋艦と、海上勤務で終始した。元海軍省人事局長・中沢佑中将によれば、提督は「聖将、名将、闘将、謀将、勇将、海将、凡将」に分類される。このうち海将(シー・アドミラル)とは、根っからの“船乗り”提督を意味するが、栗田中将はまさにその典型的な存在であり、当人は不向きと思っても、日本海軍の最後の栄光を発揮すべき水上部隊の指揮官として、最適人の経歴者とみなされた。

 第二艦隊の使命は、フィリピンで“決戦”をめざす陸海軍の方針にしたがい、レイテ島に食いついた敵を海上から撃滅することにある。

 いわゆる「捷(しょう)一号」作戦であり、海軍はこの作戦にほぼ連合艦隊の総力を投入する決意を固めていた。

 すなわち、空母「瑞鶴」を旗艦とする小沢治三郎中将の機動部隊17隻をルソン島北方に進出させて、敵機動部隊をつりあげる。栗田艦隊は2つに分け、西村祥治中将の第二戦隊(戦艦2、重巡1、駆逐艦4)スル海 ― スリガオ海峡を通って南からレイテ湾に向かわせ、その間に、栗田艦隊主力はルソン島とサマール島の間のサンベルナルジノ海峡を抜け、サマール島東岸沿いに南下して、北からレイテ湾に突入する。

 また、西村部隊には、志摩清英中将の第五艦隊(重巡2、軽巡1、駆逐艦4)を後続、応援させる。

 小沢部隊は空母部隊とはいえ、正規空母は「瑞鶴」1隻にすぎず、あとは給油艦改造の「瑞鳳」、水上機母艦改造の「千歳」「千代田」、それに戦艦の後部を発着甲板にした“航空戦艦”「伊勢」「日向」である。しかも、航空機はわずか116機 ― 身を捨てて敵をひきつけるオトリ部隊であった。

 西村、志摩艦隊にしても、その戦艦はいずれも旧式、低速であり、これまた敵艦隊の牽制以上の効果は期待できず、栗田艦隊突入の援護役とみなされた。

 さらにまた、フィリピンに展開する基地航空部隊、特に第一航空艦隊司令長官・大西瀧治郎中将は、体当たり攻撃の特別攻撃隊を編成して、栗田艦隊突入に呼応して敵機動部隊攻撃を用意した。

(二)につづく。

参 考
『 指揮官 』 ( 児島譲著:文芸春秋 1971年 )

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安達二十三中将 (五)最終回

イメージ 1 こうして、第十八軍は次第に住居小屋も増え、栽培するいも畑も広がり、持久生活は軌道にのりはじめた。キャンベラ市の戦争博物館に展示される表札は、これらの小屋の入り口に打ち付けられていたものでもあろうか‥‥。
 
 だが、昭和十九年十二月、見捨てられていたと思った第十八軍に対する攻撃は再開された。将兵はクワを捨てて銃を握り、爆弾の火薬を利用して手榴弾をつくり、鉄帽でタコ壺陣地を掘って応戦した。

 安達中将は、果敢な抗戦ぶりを示した。ただ、以前は即決といってもよいほどに命令はすばやかったが、その反応はにぶくなった。

 中将は、指揮の限界に思い悩んでいた。戦理にかない体裁が整った命令案には承知せず、どんな小規模な行動を命ずる場合でも「生身の人間として、はたしてこの命令が実行できるか」と、入念に自問していたからである。

 おかげで、第十八軍の被害は意外に少ないままに持久を続けたが、さすがに昭和二十年七月に入ると、敵の包囲はせばまり、八月八日には、敵は第十八軍司令部付近に進入してきた。安達中将は、九月はじめには、全滅するものと判定して、各部隊指揮官に覚悟と最後の攻撃を通達した。

 八月十五日の終戦は、だから、第十八軍にとっては、まさに「死の直前にさしのべられた生の手」であったわけである。

 安達中将は、九月十三日、ウェワクのオーストラリア第六師団司令部に出頭し、軍刀を差し出して降伏文書に調印した。中将は、指揮下部隊に降伏を命ずることを、要求された。他の戦場と同様であり、そして、多くの指揮官は、とかくその場合に「降伏」という言葉は使いたがらなかったが、安達中将は、明確に命令した。「軍は大命に基づき豪州第六師団に降伏せんとす‥‥」

 終戦につづくのは、戦争犯罪人裁判である。第十八軍はムシュ島に収容され、昭和二十一年一月には大部分が日本に復員したが、安達中将は約百四十人の部下とともに、戦犯容疑を受け、ラバウルに送られた。

 収容所では、完全な囚人待遇を与えられた。脱腸は悪化し、手術を勧められたが、安達中将は首を振り、激痛に耐えながら、天秤棒を肩に水を運び、炎熱にあぶられて草をむしるなど、課せられた労役に服した。

 中将は、終身刑の判決を受け、容疑は、シンガポールで降伏した後自発的に日本軍に参加した「インド義勇軍」を強制されたものとみなし、一種の捕虜虐待と判定したためであった。

 裁判所も無理を認めたものか、判決後、検事が中将に近づき、刑が重くて気の毒だ、と同情の意を披瀝した。中将は厳然と答えた。

「貴下に同情してもらうつもりはない」

 その後、安達中将は、同囚の部下をなぐさめ、その心の柱となってすごした。減刑の嘆願もせず、ただ戦犯裁判が終了する日を待った。裁判終了となれば、新たに部下が処刑されることもなく、指揮官として部下の前途に安心できるからである。

 九月八日ラバウル法廷の閉鎖が通告され、同時に容疑者として拘留中の部下八人の釈放が発表された。

 安達中将は喜び、弁護団に謝辞を述べ、身の回り品を整理した後、九月十日午前二時ごろ、自決した。

「‥‥小官は皇国興廃の関頭に立ち‥‥将兵に対し‥‥人として堪え得る限度を遥かに超越せる克難敢闘を要求致し候‥‥黙々と之を遂行し‥‥花吹雪の如く散り行く若き将兵を眺むる時‥‥当時小生の心中、堅く誓ひし処は、必ず之等若き将兵と運命を共にし‥‥たとへ凱陣の場合と雖も渝(かわ)らじとのことに有之候‥‥」

 第八方面軍司令官今村均大将あての遺書であり、安達中将がこれまで、それこそ「人として堪え得る限度」をこえた忍苦の日々をすごしてきた心境が表明されている。

 そして、中将は、果物ナイフで割腹し、自分でわが首を圧迫して死ぬ、という克己の死をとげた。

おわり

合 掌

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