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原節子
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原を尋ねて三千里 (第3話)原を尋ねて三千里 (第3話)目指すお寺に着いたのは、午後3時過ぎであった(そのお寺の近くに原節子が住んでいるという情報による)。一月は陽が短く、3時といえどもいつ日溜りが影りだすのか予測のつきにくい、もっとも危険な時間帯なので悠長にはしてはおられず、そのお寺に武運を祈願してさっそく探索を開始することにした。かなり名があるお寺だというのに、市の郊外であるせいか境内は意外に静かである。一組の観光客にしか出会わなかったことが容易にそれを証明したが、同時に原が潜むといわれる情報の信憑性に自信を深めた。 辺りを見回していると、右側の道上に一般者を拒絶するいかにも怪しげな鎖が施してあるのを発見したので、その方角から調べてみることにした。だが、どうやってその鎖を通過するか‥‥。強引に通れば通られないことはなかったが、人に怪しまれてはいけないという賢明な判断から、しばらく思案することにした。‥‥妙案が浮かんだ! こうした状況下で、人に怪しまれることなく自然に目的を達成するには、進行方向に対して後ろ向きで通過するに限ると、何かの本に書いてあったことを思い出したのである。つまり、後退しながら鎖をまたぐことによって、もし官憲(カンケン)などに咎められたとしても「僕たちは今ここから出ようとしていたのです」と、正当な弁明(?)が出来るし、あわよくば「こらこら君たち、そんなところから出てはイカン!」と、逆に目的地へ追いやられるかも知れないのである。やはり読書はしておくべきダ、と思いながら実行に移すと、案外“小細工”は不要であることに気づいた。 小高い丘の中腹に一軒簡素な建物を発見したが、グラビアなどで外見を知る私には、それが一目で彼女の家ではないことが分かった。しかしM君が「ワビサビの境地にある彼女のことだから、もしかしたら」と言うので、彼一人を偵察に残してひとまず私とK君は本堂まで下りて再検討することにした。 次の作戦を練っているところへ、先ほどのM君が息せき切って駆けて来た。あの家ではなく、お寺の母屋で確かに彼女を見た、と言うのである。突然の吉報に歓喜し、彼に従うべく腰を上げようとしたとき、根本的な疑問が脳裏を過ぎった。なぜ彼はそれが原節子だと分かったのか? 一度も見たことがないというのに‥‥。 異様な緊張と興奮とで合理性を欠いていることを反省し、手っ取り早く近所の人に尋ねてみることにした。しかし、出し抜けに「原節子さんのお住まいはどこですか?」などと訊いてはならない。相手に過剰な警戒心を与え、下手をすれば官憲(カンケン)に通報されかねないからである。また、風体の悪い男三人が顔を強ばらせて迫るのもいただけない。風体のまずさからそれだけでも十分、悲鳴を上げられそうなのだ。以上の理由から、代表である私が風体のまずさをいくらかでも緩和しようと上着(革ジャン)を脱いで、気の良さそうな老婦人に「会田さん(原節子の本名=会田昌江)のお住まいはどちらでしょうか?」と尋ねることにした。 だが、無情にも期待した反応は得られなかった。「知っているが教えられない」というのではなく、本当に知らないようなのである。かつてあれほど一世を風靡していた彼女なのに‥‥。世間はつくづく非情だと思ったが、少々尋ね方にも問題があった。度を越えて気を遣うあまり、耳慣れぬ問いかけに実際知っていても答えられなかったのかも知れない。かといって、「原節子さんの家はどこですか?」などと直截に訊くのもはばかられる。仕方なく、心願の思いで残された住宅密集家をこまめに歩くことにした。陽は容赦なく西の稜線を目指している。 一軒一軒表札を見て歩くうちに、にわかに暗雲が胸中に込み上げてきた。というのは、ここまではひたすら「家を見つけたら必ず会ってもらえる」という前提のもと邁進して来たのであるが、肝心な点、すなわち例えその家が見つかったとしても、はたして面会できるかどうかは甚だ疑問なのである。聞くところによれば、あの淀川長治氏ですら久しく会見を望んでいるというのに、未だにそれが実現していないらしい。ましてや、どこの馬の骨だか分からぬ我々が突然、しかも正月という特別な日に訪ねて行っても、面会を快諾されよう筈がないではないか‥‥。そんな不安と焦燥に駆られているときに限って、見つかるというものである。不吉な予感と同時にその家は見つかった。 ― 第4話(最終回)につづく ― shiraty5027
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原を尋ねて三千里 (第2話)原を尋ねて三千里 (第2話)「先輩起きてください!」というけたたましい声で目が覚めた。いつもならまだ空ろいでいる筈なのに、この日ばかりは瞬時にして体中に電流がみなぎった。そう、ついに原節子に会いに行く厳粛な朝がやってきたのである。 時計の針はすでに9時半を廻り、予定の時刻を大幅に過ぎていた(予定は6時)。起こしてくれたM君に急いで支度をしてくるように言って、まだ心地よさそうに眠りこけているK君を起こすことにしたが、昨夜遅くまで、いや今朝方まで続いていた原談義に疲れたのか、いっこうに起きる気配がない。大仏行きという余計な提案をしておきながら、大胆にも熟睡するとは身勝手な奴だと思いながらも、唯一の足である車が彼のものだったので、優しく催促することにした。ようやく観念したらしく起きてくれたが、彼の一挙一動に表われる行為は、弱みを見抜いた者のみが抱く悪意を満喫するかのように、わざとらしく緩慢に思えた。この日に賭ける私の情熱がいやがうえにもそう感じさせるのは否めなかったが、その誠意のない一つ一つの動作は、事実「故意(嫌がらせ)」に近かった。 一足早く駐車場で彼らの来るのを待つことにして、遅れの生じた日程の修正案をめぐらすことにした。大仏行きを中止にすることが一番いいのだが、そんなことを言ったらK君が承知しないだろう。とりわけ朝は機嫌の悪い彼のことだから、いたずらに感情を刺激しては鎌倉行きすらお蔵になりかねない。うな垂れて腕をこまねいているところへようやく彼らがやって来たので、複雑な思いで目をやると、なんとその格好ときたら‥‥。奴らはいったい何を考えているのか! 別に申し合わせていたわけではなかったが、私を含めた3人とも揃いも揃って、黒の革ジャンにサングラスというイデタチなのである。こんな格好で彼女に会ったら、いったいなんと思われるだろうか。多分、巷に溢れる軽薄な暴走族か、少なくともそれに類した種族に思われるに違いない。私自身、不覚にもそれしか田舎から着てこなかったことを反省しているというのに、彼らの理由はというと、自分にその格好が似合うと女の子から言われたとか、寒いから着てきたなど“不真面目”な理由ばかりであった。イデタチはともかく、問題は中身だと自分を慰め、いざ対面というときにサングラスだけは外し、終始笑顔を絶やさないということを約束させて、不本意ながらその着用を許可した。今はそれどころではない。急ぎ車に乗り込み、悪臭の立ち込めるアパートを後にした。 車内はすぐさま作戦の場と化し、日程の遅れをどう取り戻すかという問題を前向きに議論することにした。K君は、とりあえず大仏殿を目指し副次目的を速やかに完了後、十分時間を費やして原家訪問を行うべきだと言う。やはり彼は大仏詣でが捨てきれないらしい。M君はというと、まったく彼の意見に賛成で「自分もそう思う」と言う。つまり、私とK君は同輩なのだが、K君は現在もM君と同じアパートに居座っているので、利口な後輩M君にしてみれば身近な先輩に従った方が得だと考えたのであろう。難題は意外にも、判然たる力関係によって解決をみた。 国道129号線を平塚市まで行き、134号線に乗り換えて江ノ島、七里ヶ浜、稲村ヶ崎へと車を進めた。途中、松竹大船調で知られる大船市を大きく二度廻るというハプニングがあったものの、どうにか第一目的である大仏殿まで辿り着くことが出来た。 境内は予想どおり初詣客の混雑で、映画で観たあのしっとりと落ち着いた情趣など、どこにも感じられなかった。大仏像も期待していたよりかなり小さく、何よりすべてのものが真新しく装われ観光化されているのには失望した。しかし、これも時代の移り変わりだと気を取り直し、映画で原節子が座った聖なる場所だけを探すことにした。だが驚いたことに、その場所すら変造されているではないか! 大仏を据えてある台座がそれなのだが、映画での形とは違い、現在では最小限の郭になっているのである。貴重な時間を割いてせっかく来たのだから、賽銭箱より右へ1mの位置、すなわち原節子が座ったであろう付近に腰を掛け、記念写真の撮影を敢行することにした。次から次へと投銭し、おもむろに合掌する群衆の顔には、形式的な参詣づらはあっても、決して我々の撮影に協力的な慈悲深い人はいなかった。 近くの食堂で、3食兼ねる食事をとることにした。腹が減ってはイクサが出来ぬということと、多分、会見後は興奮していて飯が喉を通らないだろうという先見的な判断からである。第一次計画達成の労をねぎらい合い、目的が原家訪問だけになったので大いに議論を要請したが、K君は希望の事柄が済んだのであまり熱意が感じられず、M君も然りであった。彼らは今、友情より空腹感が優先しているのだろう。そこで「飯ハ俺ガゴ馳走スル」と言ったら、手のひらを返したように豹変した。彼らを手なずけ、士気を高揚させるには賄賂が一番であるとそのとき悟った。 M君が露払いでK君が太刀持ち、という大まかな役割を決め、いよいよ原節子が潜むという某寺院を目指すことにした。だが、それがどこにあるのか確かな場所を知らなかったので、食堂の人にあくまで観光客を装い、何気なく尋ねてみることにした(この種の行為は町ぐるみで警戒されるかも知れないので、慎重を要する)。すると、ここから鎌倉駅をはさんで正反対に位置するという。やれやれ‥‥慌しく食堂を出た。 ― 第3話につづく ― shiraty5027
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原を尋ねて三千里 (第1話)前々回、記事の中で「私は昔、原節子に会いに行ったことがある」という記事を書いたら、「原節子の後話、期待してます。」という読者の熱いコメント(?)― 約1名 ―があったので、30年も前に地元映画ミニコミ誌『フエイドイン』に書いた記事を、恥ずかしげもなくそのまま連載(4話)したいと思います。 (『フエイドイン』1980年8月号より)原 節子(1920-) 元映画俳優、女優。 本名:会田昌江。「永遠の処女」と呼ばれる伝説的スター。 昭和37年(1962)の「忠臣蔵・花の巻」で大石蔵之助の妻・りくを演じて以来、 再三の映画界、テレビ、マスコミの呼びかけに一切応じず神奈川県・鎌倉に隠遁。 (『はてなキーワード』より抜粋) 原を尋ねて三千里(第1話)わが国最後の大スター「永遠の処女」の異名をもつ原節子に、飛騨の山奥からワザワザ会いに行った著者の苦悩と感動の記 映画女優で誰が好きか? と訊かれるたびに、洋画ならヴィヴィアン・リー、邦画なら原節子と答える。すると尋ねた相手の多くが怪訝な顔で、「お前古いなあ」と冷淡な視線を浴びせてくるが、それなどは未だしも、それ誰? と、彼女たちの存在すら知らない連中には、熱烈なファンであるが故にもどかしくて仕方がない。ある友人など真面目な顔をして「俺まだそれ喰ったことない」と言ってきた。無論、彼は冗談で言ったのであるが、あまりに意外な反応だったので返す言葉がなく一瞬閉口してしまった。“絶句”とは正にあのときの状態を指すのであろうが、喰ったことないとはあまりに失礼な奴である。もっとも、私の映画鑑賞の傾向がいささか懐古的であり、必然的にその中に憧憬の対象があるという特殊な事情が、同世代の尋常な感覚を持つ友人たちには、どうも理解してもらえないらしい。それでよく“爺むさい”などと煙たがられるが、別にイイではないか。グラスの底に顔があってもイイじゃないか!(これまた古い)いつの時代の女優でも、イイものをイイといってなぜ悪いのかと、今では何を言われても開き直っている‥‥。 初めて原節子を観たのは、五年前、東京の寂れた映画館であった。友人と暇をつぶすために、あてどなく街をブラついていると、偶然、成瀬巳喜男特集と銘打って『浮雲』と『山の音』を上映している小屋が目にとまった。仲間の一人が、高峰秀子(『浮雲』)を観たいと言い出したので、誘われるままに入ったのがキッカケである。その頃はまだ、原節子なる大女優の存在はまったく知らず、もし『浮雲』がうまくかかっていれば、それだけ観て帰るつもりでいたところ、幸運にもそれが終わりに近く、結果的に『山の音』(原節子主演)を通して観られたことが今日大きく幸いしている。思えば劇的(?)な出会いではないか! そのとき受けた印象といえば、かつていかなる女優からも受けたことのない―今後もまずないであろうが―電撃的な感動であった。つまり原節子という大女優の、清らか、暖か、高貴、端正、怜悧、繊細、艶やか(異論もあろうが)等々、完璧とでもいうべき姿態にすっかり魅了されてしまったのである。 以来、彼女が出演している映画があると聞けば、首都圏内ならどこへでも出かけて行き、心行くまでその異彩を放つ名演技に陶酔した。とりわけ小津安二郎の『晩春』、『麦秋』、『東京物語』には、崇高なまでの感慨を覚えるに至ったのである。 そうなるとどうしても、一目お会いしてお話をしたいという純朴な希求が芽生えてくる。例えばそれは、『エアポート'75』という映画に、サイレント映画時代の名女優グロリア・スワンソンやマーナ・ロイが出ているのを見て、思わずノスタルジックなものを感じたり、あるいはかってTV『スーパーマン』にヒロイン役として出ていたノエル・ニールを近作映画『スーパーマン』に垣間見るとき、安堵感のようなものが込み上げてくる心理によく似ている。ただ、海外に住んでいるスターには、距離的に無理という諦めがあるのに対し、同じ国に住むということが、実際にこの眼で彼女の健在ぶりを確かめてみたくなった理由である。 しかし、残念ながら在京中にはその夢は果たせず、郷里に帰ってからも唯一心残りとしてわだかまったままでいた。そんなある日、本屋の前を横切ろうとしたら、居並ぶ本の中から私を呼び止める声がする。何かと思いそちらの方へ目をやると、なんと「ついにとらえた原節子の近影」なる見出しの週刊誌がこちらを見つめているではないか! これだ!! 諦めかけていた聖なる血が忽然と騒ぎ出し、どうにも胸の鼓動が治まらなくなってきた。さっそくその本を買い求め、何度も読み返しているうちに、やはりどうしてもお会いしてあのときの感動をお伝えしなくてはならないという、もはや使命感に似たものが込み上げてきた。暮れもおし迫ったそんな折も折、東京の友人から「知っている後輩が卒業していなくなる前にぜひ遊びに来ないか」と願ってもない招待を受けたのである。これほどのお膳立てが整い、神のお導きがあるというのに逆らってはいけない。逆らったら罰が当たると思い、ついに元旦というもっとも厳粛な日を選び、いよいよ上京することに決意したのである。もちろん、世間サマには学友に会うために上京すると建前を吐き得心を得たが、本音は言うまでもなく原節子に会うという目的だけであった。 上京して三日目の晩、友人と後輩たちに囲まれた宴の席上、思い切ってかねてからの野望を披瀝してみることにした。一人で会いに行くよりも、何人かで行った方が心強いからである。だが、どうも切り出すチャンスが巡ってこない。皆、心地よく酔っているというのに、突然、「原節子に会いに行きたいが付き合ってくれないか」などと野暮なことを言い出すのは、決まりが悪いというものだ。 そうこうしているうちに、やっと三年間の空白が満たされ(私が学校を卒業して三年の月日が経っていた)打ち解け始めたころあいを狙って思い切って言ってみた。するとどうであろう。意外にも多くの後輩から賛同を得たのである。挙句の果てには「なぜもっと早くそんなイイ話をしてくれなかったのか」と責め立てられる始末‥‥。やはりものは言ってみるべきである。なんと先輩思いのイイ後輩たちなのであろうか‥‥。感激のあまりドモリながら、映画でのあの感動を伝え、彼女に会う意義を説こうとしたが、しばらくしてどうも様子がおかしい。何がおかしいのか突き詰めていくと、彼らは一様に「原節子」を「原悦子」と勘違いしているのである。原悦子とは、今をときめくポルノ女優ではないか! アルコールで舌がしっかり回らなかったにせよ、勘違いのままイイ気になって、数十分も話し合っていたのだからどうしようもない。 ようやく真の趣旨が理解され、当然予期していたように呆れた後輩の多数が辞退を申し出た。それでも情に厚い学友K君と、忠義深い後輩M君が名乗りを挙げてくれたので、『原節子面談会』なるグループが思惑どおり誕生したのである。誕生したことはいいが、誰も鎌倉(原節子が居るといわれる所)という町があることは知っていても、実際に行ったことのある奴が一人もいないのである。なんとも心もとないメンバーであったが、議論を進めていくうちに、車で地図を頼りに行くという大筋で合意し、どうやら目的に一歩一歩近づいているという実感が、満面に綻びとなって現れてきた。初詣がてら大仏へも行きたいという予定外の意見が出され、やむなく計画に加えることになった。本当は、原節子面談一本に絞りたかったのだが、提案者にこの計画から降りられては困る(彼が車の持ち主)という臆する配慮から、組み入れざるを得なくなったのである。 しかし、大仏といえば確か『麦秋』の中で、原節子が仏像の台座に座って老人と話をする場面があった筈だ。しばらくそのシーンを思い起こしていたら、確かな位置が浮かんできた。「よし、彼女が座った同じ場所に座って、記念写真を撮ろう!」。またもや狂信的な情操が体内を駆け巡った。 朝6時起き、という普段でも異例な日程を組みその日は散会したが、長い間待ち望んでいた夢が叶えられる前夜ということもあって、宿を引き受けてくれたK君などは、逸る気持ちを察してか、床に着いてからも果てしなく広がる原節子談義に、夜明け近くまで付き合ってくれた‥‥。 ― 第2話に続く ― shiraty5027
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