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つづきです。袁紹が自分の部下の進言をあまりよく聞かなかったのは『四世三公の家柄』というプライドを強く持っていたからだと思う。だから、いくら優れた参謀がいても自分で納得できて、自分によほどの利益がなければまったく聞き入れない。『四世三公』というのは確かに当時としてはかなりの看板だが、時は乱世で漢王朝はまったく機能していない状態。そのなかでいくら『四世三公』という看板を振り回してもほとんど意味はないし、その看板にひかれてやってきた優れた部下たちがいたって、うまく使えないならまったく意味はない。その辺が乱世のつらいところかもしれない。 |

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こんばんは。袁家の衰退の原因は、袁紹個人の資質によるところが大きいですが、その息子たちにも原因はあるでしょうね。三人とも袁紹に比べて器が劣るうえに、極めて仲が悪く、一致団結できなかったのが致命的だったと思います。それも、きちんと後継者を指名しておかなかった袁紹が悪いとも言えますが・・・
2005/10/14(金) 午前 1:29 [ ユウ ]
確かにそうですね。この時代すんなりと後継者が決まったとこなんてなかなかないですし、どうも三国志の英雄の息子とかそういうのは親より小人物なんですよね。後継者がすんなり決まって、親並みに大人物だったところなんて孫堅の息子の孫策と孫権くらいですね。 孫権の後のほうはごちゃごちゃになりましたけど。
2005/10/14(金) 午前 8:27 [ shi**esan*ou ]