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今回は張飛です。張飛の字は演義では翼徳、正史では益徳というふうに違います。
彼の武勇伝で一番有名なのは長坂橋でわずかな数人で曹操軍を止めたというやつでしょう。演義ではかなり脚色されていますが、実際は伏兵があると思って手を出せなかったようです。ただ、てきをおいはらった後で橋を燃やしてしまったので、曹操に字軍が弱っていることを見抜かれてしまって、換羽が駆けつけてなかったらどうなったかは知りませんが・・・。これを見るとやっぱり彼は軍をまとめる大将ではなく、個人の実力が高い武人っていうかんじなのかなというのを感じらせる。
その後の蜀の攻略戦で諸葛亮に「できるだけ戦わずに勝て」と言われて、張飛は少し変わる。厳顔との戦いで初めて計略を使ったのだ。さらに、捕縛した厳顔を見方にすることに成功する。最も厳顔を殺さなかったのは諸葛亮の一言もあったのだろうが、厳顔の忠義というのを見て感心したというのもあるようだ。この話からわかることはやはり彼は根っからの任侠の男であるということだ。
その後、関羽が呉軍に殺されてから、性格が破綻する。元々短気で喧嘩っ早かった張飛がそれに輪をかけて凶暴になったのだ。手下にあたったり、時には殺してしまうこともあったというし、演義では呉の方向をにらみつけてあく玄を吐きながら血の涙を流したという。そして最終的には部下に殺されるという最期を迎える。もし、もう少し私情を抑えることができて、部下につらくしてなければまだ長生きできただろうし、歴史も変えれたかもと思う。
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本当におっしゃるとおり。もう少し我慢できなかったかな〜。 なんか悔しいですよね〜。張飛がもう少し長生きしていれば歴史変わってましたよね〜。
2005/10/30(日) 午後 0:12 [ - ]