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			<title>さんごくし</title>
			<description>ほぼ不定期に更新していきますけど、よろしくおねがいします。ここでは三国志について自分なりの意見を書いていきたいと思います。たまに三国志以外の話しが飛び出す可能性もありますが、ご了承ください。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/shishesankou</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>さんごくし</title>
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			<description>ほぼ不定期に更新していきますけど、よろしくおねがいします。ここでは三国志について自分なりの意見を書いていきたいと思います。たまに三国志以外の話しが飛び出す可能性もありますが、ご了承ください。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/shishesankou</link>
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			<title>孫権2</title>
			<description>　孫権を書きます。だいぶ前に書いた事がありましたが、酒乱の事しか書いてなかったし。&lt;br /&gt;
孫権を一言で表すと、蝙蝠野郎。（孫権ファンの皆さん、すんません）&lt;br /&gt;
　立ち回りのヨサで危機を乗り越えてきた男です。それを言うなら劉備や呂布もだろうとか言うかもしれませんが、劉備はヤドカリ、呂布は紐男です（劉備、呂布ファンの方々、すんません）。劉備はとにかく逃げ回って、自分を守ってくれる貝殻（領土）を求め、イソギンチャク（部下）に身を守ってもらっている。呂布は女（主君）に貢がせるだけ、貢がせておいてすぐに捨てる（裏切る）。孫権はというと、昼間は洞窟の中で潜み（時期が来るのを待ち）、夜になると狩りに出る（攻める）。&lt;br /&gt;
　そんな感じに思っているのは僕だけかな？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/shishesankou/47344609.html</link>
			<pubDate>Sun, 06 May 2007 22:18:35 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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			<title>久々の更新</title>
			<description>　えー、えー。ものすごい久々の更新です。超絶を超えて、超最絶更新してませんでしたね。約一年くらい。もっとも、次の更新がいつになるのか全然分かりませんけどね。んで、いつの間に、1250人も訪問者が来てたんですね。いや～・・・・・・少ねえ。まあ、分相応ですけどね。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/shishesankou/47344097.html</link>
			<pubDate>Sun, 06 May 2007 22:03:58 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>漢字バトン</title>
			<description>漢字バトンは初めてなので緊張しますが、書かせていただきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
好きな漢字３つ…「信」「親」「心」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
雲長さんの選んだ漢字に対しての自分のイメージ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「和」…日本の心「関」…立ちはだかる障害「雲」…自由&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次にまわす漢字３つ…「王」「法」「礼」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
漢字についてどう思うか…横文字に押されて、使われなくなってきたなと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後に好きな四字熟語…「肉斬骨断」、｢因果応報｣、「森羅万象」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バトンをまわす三方とその三方をイメージする漢字&lt;br /&gt;
・・・っといきたいのですが、都合により少し待ってください。&lt;br /&gt;
申し訳ございません。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/shishesankou/31842446.html</link>
			<pubDate>Fri, 14 Apr 2006 14:05:52 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>曹操7</title>
			<description>　曹操は荊州を手に入れた時、「荊州を得たより、カイ越を得たことのほうがうれしい」と言った。ひとつの州を得たことより、一人の人間を得たことのほうがうれしいと言える曹操はスケールが大きいと思った。赤壁で惨敗した時に曹操は「郭嘉がいれば負けはしなかった。」と嘆いた。この言葉から曹操はもしかしたら、賢人の多い荊州で郭嘉の代わりを探していたのかもしれないと自分は考えた。&lt;br /&gt;
　曹操は魏公になった。この時、曹操の側に立ち現実的な策を献策する一人の男がいなくなっていた。&lt;br /&gt;
荀だ。彼は曹操が魏公になる前に病死していた。自殺したという説もある。荀は曹操が魏公になるのに反対していたのだ。荀が自殺したという有名な話に、曹操が病気の荀にお見舞いの品として箱を送った。開けてみると中はからだった。それは曹操から「もう、お前にやるものはない」という無言のメッセージだった。そして、荀は毒杯をあおり自殺した。戦国時代の秦の昭襄王が常勝将軍として名高い&lt;br /&gt;
白起が戦に出ろといくらいっても出なかったので、自殺しろと剣をおくった話に少し似てるなと思った。&lt;br /&gt;
　曹操は関中を攻めた。そのころの関中は馬超や韓遂たちがいた。曹操は漢中を攻めるから君らの領土を通るぞと言った。しかし、馬超たちはこれは自分たちを攻める口実ではないかと疑い、先手を打って戦を仕掛ける。その勢いは長安、童関を攻め落とす勢いだ。曹操は自ら出陣するが、危うく馬超に殺されかける。そこで離間の計を使って、馬超と韓遂たちを仲たがいさせる。元々、馬超にとって、韓遂は母親の仇だ。たまたま、曹操という共通の敵ができたから一緒に戦ったのであって本来は仇敵。たちまち同士討ちをしてしまう。曹操はそこへ攻め込み両軍を撃破する。その後、隠居して都にいた馬超の父親と兄弟を殺す（演義では逆で曹操に親と兄弟を殺されたから馬超が戦を仕掛けた話になっているが、これは曹操を悪役にするための演出のひとつだそうな。）。&lt;br /&gt;
　曹操は次に漢中を攻めた。劉備が蜀を得たので漢中を先に手に入れていざ蜀を攻める時の拠点にしようということらしい。漢中軍はたちまち壊滅。たよりの&amp;#40848;徳も曹操に寝返ってしまう。張魯は財宝などを天下国家のものだといい庫に封じて蔵にしまい、鍵をかけて逃亡。曹操はこれを知って感心し、張魯を降伏させた後、部下にした。この時、蜀に攻めればよかったのだが、曹操は「漢中を手に入れたのだから、もういい」と言って攻めなかった。しかし、これがあだとなり、劉備軍に漢中を奪われ、親戚の夏候淵も討ち死にする。曹操自身が出陣したが、時すでに遅し、結局退却することになった。&lt;br /&gt;
　荊州では関羽が北上してきた。しかし、呉の軍勢が空き家になった荊州を奪い取り関羽は死ぬ。この時、曹操の元に関羽の首がおくられてきた。曹操は関羽を丁重に葬る。一度は部下にもしたことがある男だったからかもしれない。関羽の亡霊にたたられたという話があるが、自分はぜんぜん信じていない。前にも書いたけど、関羽とあろうものが一度は世話になったことがある男をたたるわけがないし、たたるのだったら自分を討った呉の孫権のほうである。これも曹操が関羽の死後すぐに死んだから、後にできた逸話なのだろう。&lt;br /&gt;
　曹操は関羽の死後、すぐ後に死ぬ。彼は結局皇帝にはならなかった。曹操の最終的な官爵は魏王である。長年の重臣であり、いとこの夏候惇も曹操に皇帝になるように勧めたが、彼は「たとえ天命が私にあるのだとしても、私は周の文王になろう」と言った。周の文王は天下の３分の２を得ていたが、あくまで殷の紂王の部下であるとして王朝を起こさなかったという話をしたのだ。彼は最後まで詩人だったと自分は思った。彼の目指したのは周公旦のようなNO2になりたかったのだろう。&lt;br /&gt;
　陳寿は曹操を『超世の傑（時代を超えた英雄）』と評価している。曹操は中国史において彼の存在はかなり大きい。彼が存在しなければ中国史どころか日本の歴史も大きく変わっていただろう。&lt;br /&gt;
　曹操が現在人だったらどうだっただろう？日本のような民主国家では多分だが政治家としてはむかないだろう。ただ、事業家としてなら成功しているかもしれない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/shishesankou/28498322.html</link>
			<pubDate>Mon, 13 Mar 2006 11:33:37 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
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			<title>旅行へのあこがれ</title>
			<description>　最近は旅行したいと思っています。特に海外。一度でいいから日本以外の土地に行ってみたい。中国、韓国、イギリス、イタリア、ヴァチカン、エジプト・・・。安いツアーないかなーと最近は旅行雑誌をよく見てます。まあ、素人の一人旅は危険なんですからね。&lt;br /&gt;
　日本国内にも旅行したいところは結構あります。吉野ヶ里、大宰府、琵琶湖、諏訪大社、出雲大社・・・。まだまだ、日本の中にすら行ったことのない場所があるかと思うと、あらためて世界は広いなと思いました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/shishesankou/28200999.html</link>
			<pubDate>Fri, 10 Mar 2006 14:54:58 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>曹操6</title>
			<description>　劉備との英雄論のさい、劉備が孫策はどうだと聞いたとき、曹操は問題にならないといったが、それは郭嘉が、「孫策はたいしたことのない者に殺されるだろう」と言われていたからかもしれない。郭嘉の予言どおり、孫策は狩りをしているときに自分が処刑した許項の食客に襲われてその怪我が元で死ぬ。&lt;br /&gt;
　劉備は袁術の討伐に行くという口述で徐州に行き、袁紹の元に逃げようとしていた袁術の軍に壊滅的ダメージを与えた。しかし、これには裏があり、曹操の軍をそのままもらって、徐州にそのままとどまった。劉備は自分はあなたにそむく気はないと言って逃れたが、そのあとで、曹操暗殺計画が発覚し、その中に劉備の名前があった。曹操は激怒した。これは自分も当然だと思った。曹操は劉備をあっさり倒し、劉備は袁紹を頼って落ち延びるが、関羽はつかまってしまう。曹操は以前から優秀な人材と見たらかつての敵であっても部下にした。関羽も当然部下にほしい。曹操は関羽に金銀財宝をあたえたりし、ついには呂布の元愛馬だった、赤兎馬をあげてしまう。それでも関羽の劉備に対する忠誠は変わらない。&lt;br /&gt;
　袁紹との戦いになった。白馬で袁紹側の大将は顔良だった。曹操軍は二人の武将を失い、徐晃も退却してしまう。しょうがなく関羽に出陣してもらう。演義では関羽一人で顔良を討っているが実際は張遼と共闘して倒している。続けて文醜も討ち取る。多分だけど、曹操は顔良や文醜を生け捕りにしていたら、絶対部下にしたいと思っていただろう。手柄を立てた関羽は最初にしていた『手柄を立てたら劉備の元へ帰える』という約束どおり去ってしまう。普通、敵になるとわかっているものを逃がしたり、そもそも部下にするということ事体ありえない。しかし、曹操は約束を守った。そればかりか、途中の五関の守将を斬ったことさえも許してしまう。もはや敵である関羽にそこまでする曹操は器が大きい。悪く言えば、お人よし過ぎるが、曹操なりの礼儀だったのだろう。&lt;br /&gt;
　曹操と袁紹の本格的な戦いが始まった。袁紹軍は数で圧倒してやるといわんばかりに攻める。やぐらを築いて、とりでに立てこもる曹操軍に矢をあびせる。曹操はそこで発石車をつくり、やぐらを破壊しまくる。そこで袁紹は穴を掘って攻める作戦をとるが、曹操は見抜いて堀をほって防ぐ。一進一退の攻防をしたが、そのうち曹操は弱気になり退却を考え始める。しかし、荀からの手紙が届き、曹操は考えを改めた。袁紹軍は大軍だが、人が多くいるということはそれだけ飯を食べるということである。よって、大きな弱点は兵糧である。曹操は兵糧の補給をことごとく妨害とともにそれらに火をつける。もはやこうなったら袁紹軍は壊滅である。袁紹は張コウらを手薄になっている曹操郡の本陣を攻めさせたが、張コウらはそのまま降参してしまう。袁紹は退却以外道がなくなった。袁紹との戦いを総称して官渡の戦いという。&lt;br /&gt;
この戦いに曹操が勝っていなかったら、後の中国史は大きく変わっていただろう。&lt;br /&gt;
　袁紹の死後、曹操は袁紹の息子たちをしらみつぶしに倒していた。それが終わったあとで、南征が始まった。夏候惇を大将に討伐軍を新野の劉備を攻めたが、負けてしまう（博望破の戦い）。そこで自分自ら攻め込んだ。劉備はさすがに新野を捨てて逃げ出した。長坂で曹操は劉備に追いつき、後もう少しのところまで追い込んだが、逃げられてしまう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/shishesankou/28200126.html</link>
			<pubDate>Fri, 10 Mar 2006 14:44:23 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>曹操5</title>
			<description>　曹操は呂布を何とか追い出す。呂布は劉備の徐州に逃げ込んだ。曹操は何とかして二人を計略で仲たがいさせて二人でつぶし合わせようとした。うまくいきかけたが、結局、二人は計略では滅ばなかった。&lt;br /&gt;
　曹操はこのころ張譲が裏切り、苑の城で夜襲を受けて、長男と忠臣典韋を失う。裏切りの原因は女。曹操の女好きがわざわいした事件だった。その後、曹操は苑の近くを通ると生贄をだして典韋に捧げたという。しかし、驚くのは袁紹と戦う前に息子の仇である張譲を許し、部下にした。背後を衝かれてはというのもあったのだろうけど、父親の敵討ちの時に徐州の虐殺をしたことがあるのを考えればよく許したなと思う。自分の考えはカクがほしかったから部下にしたのかなと思う。&lt;br /&gt;
　呂布を倒した曹操は劉備が漢室の末裔として帝に気に入られたのを気にし、劉備の心中を探ることをした。英雄論だ。そこで曹操は天下に英雄と呼べるのは自分と劉備だけだといって動揺させる。劉備はうまくにげる。&lt;br /&gt;
つづく</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/shishesankou/28169880.html</link>
			<pubDate>Fri, 10 Mar 2006 09:07:38 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>曹操4</title>
			<description>　曹操にとっての転機が訪れた。董卓が呂布と王允のクーデターによって倒されたが、王允たちがすぐに董卓の部下だった李確らによって倒されてしまった。献帝は長安から逃げ出した。もういやになったのだろう。当時の長安は董卓以来、処刑がたくさん行われたせいで血なまぐさい都市と化していたらしいし、食料もろくにあたえられてなかった。洛陽への逃避行は1年くらいの時間がかかった。しかし、洛陽は董卓が捨てた時に火をつけられた以降、まったくの廃墟になっていた。献帝は洛陽がこんな状態であることを予想できなかったのだろうか？当時幼かったゆえか、もしくは董卓が献帝が洛陽から離れてから火をつけて、その後に洛陽がこうなったと言うことを口止めしていたのかもしれない。献帝はしょうがなく、どこかの群雄に援助を求めることにした。袁紹の場合はもはや帝に力はなく奉戴しても意味はないと考えた。他の群雄もそう思っていた。しかし、曹操だけは違った。帝が実質的に形だけでも、世の中が漢王朝を認める限り、その王朝の天命が尽きない限りはそれを守ることは『正義』である。さらに帝を奉戴している限り、自分の軍勢は官軍ということになり、自分に逆らうものは逆賊ということになる。これにより、曹操はもはや天下の人すべてが知る存在となった。&lt;br /&gt;
　そのくらいの時期の話だが、曹操は陶謙の軍勢に父親を殺される事件が発生した時、徐州の虐殺を行う。徐州の陥落は時間の問題と思われた。しかし、部下だった陳宮が流浪していた呂布を招きいれ、反乱を起こす。曹操はあわてて戻ったが混戦になり、大飢饉によって戦いは一時中断となった。どうも三国志では、肉親や義兄弟のとむらい合戦をしようとすると、仕掛けたほうが負ける傾向がある。頭に血が上ってしまっているせいもあるのかもしれない。&lt;br /&gt;
つづく</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/shishesankou/27830934.html</link>
			<pubDate>Tue, 07 Mar 2006 08:53:12 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>曹操３</title>
			<description>久々の更新です。曹操は沛国&amp;#35673;県の出身。先祖は曹参となっているが、父親は夏候氏から曹氏への養子なので、実際につながりはない。彼は若いころから才能豊かで、孫子の訳を書いている。また、許子将から「治世の能臣、乱世の奸雄」と評価された。&lt;br /&gt;
　黄巾の乱の時に手柄を立てて名を上げる。彼は若いころから政治においても優秀で斉南国の相になった時、奸臣たちを全員を首にする。&lt;br /&gt;
　董卓が帝を奉戴した時は、演義では暗殺をしようとして失敗しているが、これはフィクションで、実際は部下になるのを拒んだから、命を狙われたようだ。曹操は逃亡途中で一度捕まるが、ここで陳宮に助けてもらっていっしょに逃げる。無事に逃げ延びた曹操はあちこちの群雄に檄文を送って、反董卓連合を結成する。しかし、群雄達は集まったには集まったが、牽制しあって動かない。董卓を倒した後で、あわよくば自分が天下を握ってやると虎視眈々としていたせいだ。まともに戦ったのは袁術の配下の孫堅の軍だけだった。董卓が洛陽を捨てて逃げると、曹操だけが追撃をするように盟主袁紹に言ったが、却下されたため、自分の軍だけで追撃した。しかし、徐栄の軍に返り討ちにあう。このころの曹操はまだ、青かったと言わざるを得ない。&lt;br /&gt;
　反董卓連合が解散した後、曹操は荀を参謀に迎える。「あなたは私の子房だ。」と言って歓迎した。&lt;br /&gt;
そして、このころに青州の黄巾賊を討伐し、降伏してきた者の中から優れたものを選抜し、青州兵を組織する。魏武の強はここから始まると言われる。&lt;br /&gt;
続く。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/shishesankou/27743165.html</link>
			<pubDate>Mon, 06 Mar 2006 13:58:52 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
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			<title>雪が３０センチくらい積もってた！</title>
			<description>　今朝は寒さで目を覚ましました。布団をかぶっているにもかかわらず寒いと感じました。窓から外を見ると吹雪で、目測３０センチは積もってました。除雪車がまだきてないから道路も雪が積もっている状態。電車も一部遅れるなど、本当に大変な朝でした。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/shishesankou/25283051.html</link>
			<pubDate>Fri, 10 Feb 2006 11:32:37 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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