草原娘

一番好きな植物は、草原の草ですから、自分の名前を草子にしました〜〜毎日たくさん運動して、いっぱい汗かいて臭いから、臭い草子です〜

父親

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木の目(一)

2003年9月、わたし大学に入学した。

専門は広告学でした。


いろいろ事情があって、


直接大学二年生になった。

そして、入学したら、すぐ

クラス全員で

山西に行って、旅行しながら、絵をかくことになりました。


その時まさに、はじめて、井の中から出たばっかりの蛙の思いをしました。

本当に初めて内モンゴルを出るし、

文化名所や、草原と違う景色など全然見たことがありませんでした。


あるお寺の傍に、木がありました。

とても長生きの木だそうです。

その木の上に(「目」)がありました。


見ると本当にまったく目の形をしたものがありました。

触るとすべすべしている。

その目に触れながら、希望を言うと実現できるそうです。


わたしは、それまで、また恋をしたことがなかったので、


心で祈りました。「お互いに好きで、気が合う恋人が欲しい」と

木の目を触りながら祈りました。


そして、二週間の旅を経て、学校へ戻った。




大学では、外国語合格しないと卒業できません。

私英語も日本語も初級レベルだったが、


日本語とても好きだったから、申し込んで、日本語勉強することになりました。

学校へ戻ったら、「今年から、学校には、

日本人の外教が来たようですよ」と同じ専門のクラスメートfさんが言う。

「日本語の授業もうとうに始まってるよ。私たち旅行で二週間欠席している。」



「大丈夫ですか。欠席で。」


「大丈夫ですよ。中国人の日本語の先生に事情を説明すれば。」


「いつから、授業がありますか。」

「今日の午後もあるよ。外教の授業ですよ」


「そう!!だったら、一緒に授業を受けに行きましょう。」


「午後わたし用事があるから、行かない。」


「外教、どんな人ですか。」

「もう四十過ぎていると思うけど、私日本語下手だから、昨日授業受けて、言うことさっぱりわからなかった。」



子供の時から、日本人は、いつも、ぶっきらぼうな顔をして、


とても怖い、という印象でした。全然笑わないでしょうと思いました。


テレビの影響かな。


それまでわたし日本人と会ったことがなかったですから。



その日の午後、なんとなく一人で授業を受けにいくのが、怖くて、結局出席しなった。


もし、先生の言うこと全然わからなかったら〜〜〜

やっぱり今度クラスメートと一緒に行こう。


でもfさんいつも忙しそうだから、


次の授業の時、私やっぱり一人で行った。


授業始まる4分ぐらい前から、外教らしい人が入ってきた。


わたしが、新しい生徒で、見知らぬ人だからか、

なんとなく先生が、こっちを見てるようでした。


日本語はまだ初級レベルだったので、口の中で、何回も何回も、「先生、こんにちは、

わたしは草子です。よろしくお願いします。」と

つぶやいてみたが、結局言わなかった。


授業が始まった。

先生は笑いながら、一人一人に聞きました。

「土曜日何をしましたか。」


「買い物しました。」とわたし一生懸命紙に書いて暗記する。


そう答えたら、

先生が、「どこで買いましたか。」と聞いた。


わたしデパートの名前を言いました。


外教の笑顔はとても印象に残った。


本当にいい笑顔だった。



_続き。

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ジッパーとボタン

本当に寒くなった。

朝外に出かけて、息が白い


コートのジッパーが壊れたから、

どこかで直してもらおう、


と思っていた。


でもふと気がつくと、

ジッパーの表にボタンも付いていた。


私はボタンを嵌めながら彼に言った。


「やっぱり昔のボタンだわ」

 「父親の気持ちよくわかるわ。」

すると彼「父親の何の気持ち?」って聞いた。



「父親ジッパーが大嫌いです。ボタンの付いている服が


とても好きです。よくわかるなあ。その気持ち。ジッパー

とても壊れやすいですから。」

家の食べ物は、今の働いてる南町の


食べ物物と全然違う。


北と南の違いだけではない。


家は、よく「ダチャズ」とか、「ガダタン」とか、


六十年代の中国のド田舎の貧しい食事をする。


ダチャズは、いい。


大きい、丸い粒の形で、黄色い糧食と、


大きい、丸い粒の形で、茶色の糧食のお粥です。


確かに、たまに食べるとおいしいが、


子供の時からいっぱい食べてきたから、


さすがに時々まずいと思ってしまう。




その日、一日出発の準備をし、


南町に行く汽車に乗る前のことでした。


父親は相変わらず、朝から、牛の糞拾いに出かけ、

忙しそうでした。



母親も家事で忙しい。


その日の朝何を食べたか、忘れたが、


そろそろお昼食べて、駅に行こうと思った。


いつもお昼ごはん何も作らないから、その日も何も


なかった。



わたしは、自分で探して、冷たいダチャズを食べた。


もう家を離れて、中国の一番東北から、中国のずっと


南に行って働くから、少しおいしい物作ってくれてもいいじゃないかな、


とさすが少しうれしくない。


でも家はいつもこうですから、


そんなに気にしなかった。



父親牛の糞の仕事が終わって、客間で休憩していた。


私を見て、「冷たいダチャズ食べてるか?」と一言言った。






南に来た。何ヶ月間が立ち、


いつも妹とメールのやりとりしている。


ある日こういうメールがあった。



お姉さん、父親昨日、ソファに座り、こういうこと

言っていたよ。「お姉さん南に行く出発の日、冷たいダチャズを食べて汽車に乗ったのよ。


わたしもばかだったな。せめて野菜炒めでも作ってあげればよかったのに。」



異郷にいて、たくさんの人のお世話になってる。


でも、こんなに遠くまで故郷を離れて暮らしていると、


時々思う。その冷たいダチャズこそ、一番暖かかったと。

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