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セーレン・オービエ・キルケゴール(デンマーク 1813年5月5日 - 1855年11月11日)
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デンマークの哲学者、キルケゴールは実存主義を代表する人物です。
その前に、ドイツの哲学者ヘーゲル(1770年8月27日 - 1831年11月14日)という人物について少しふれておくことにします。ヘーゲルは、真理とは、弁証法という方法によって長い時間をかけて、考えが対立し、その対立を解消させる新しい真理が生まれると考えた人です。これは歴史にも当てはまることで弁証法によって人間は自由をかちとると説きました。
 
キルケゴールはヘーゲルの弁証法を批判した人物で、弁証法によって人類の究極の真理がいつ、誰がみつけるのかなどわからず、空想的なものに何の価値もないとしました。キルケゴールは人類にとっての真理ではなく、個人が生きていく上で支えとなる真理が必要であると言います。個人の真理という考え方から、自分は他者とは異なる例外者であることを認識しました。
孔子は、『論語』で「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」という言葉を述べています。キルケゴールも似ていて、「私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために生き、そして死にたいと思うようなイデー(理念)を発見することが必要なのだ。真理とはイデーのために生きること以外のなであろう」と『日記』に書いてあります。
 
キルケゴールの父の影響で牧師をめざし神学を学ぶものの、父が髪を呪ったことがるということや母と結婚前に愛人関係にあったということにショックを受けて堕落した生活を送ります。キルケゴールはこのことを「大地震」と言っています。22歳の時にレギーネという女性と婚約をしますが、自分はこの女性を愛せる存在なのかと悩み、婚約を破棄します。他者には到底わからない自分の苦悩があります。
 
人間はあらゆる場面で決断を強いられます。必ずしも理性的に判断することは難しく、肉体から湧き出てくる不安や苦悩が生きることへの絶望へ向かわせていきます。人間は、この絶望を通して自分本来のあり方(実存)に達すると説きます。
 
個人の人生は、「あれもこれも」といった美しいものを本能的に享楽的に求める生き方、「美的実存」を求めます。しかし、このような生き方に虚しさや不安を感じ絶望します。やがて次の段階である「倫理的実存」へと進みます。道徳的に「あかこれか」のひとつを選択し、責任をもって良心的に生きるものの、倫理敵に生きようとすればするほど、人間の有限性の壁に無突き当り、絶望します。最終的に人間は、神である絶対者との関係の中に生きることによって真の人生を手に入れます。これを「宗教的実存」といいます。神の前に立つ単独者として絶望は癒されます。人は神によって生かされていることを自覚することで真に主体的な人生が開かれていくのです。
 

 
実存主義の人間観は、人間の主体的な自覚を重視します。その自覚が神や超越者という絶対的存在との関わりのなかでなされることを「有神論的実存主義」といいます。
神を否定し、現実存在の中で主体的に自己を確立させていくことを「無神論的実存主義」と言います。
 

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