祝福のそよぎ

風にそよぐ葦のように、聖書からの祝福の風に吹かれるままを記してみます。

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神は高慢な者を敵とし、
謙遜な者には恵みをお与えになる。Ⅰペテロ558/27の週の聖句)

 信じなければ、あなたがたは確かにされない。イザヤ書
79

 信仰をもって生きているかどうか
自分を反省し、自分を吟味しなさい。
あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。
イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。
Ⅱコリント
135

 ルカ
18914
 詩17(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句8/27;Ⅳ日曜)

私たちは、神の前に立って、
「私はこれだけ信仰しています。ちゃんとやっています。
どうです。見てください」と言いたい者であり、
そのように言えるようになろうと努力しています。

イエスは話されました。
「ふたりの人が、祈るために宮に上った。
ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。
『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、
ことにこの取税人のようでないことを、感謝します。
私は週に二度断食をし、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』

 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。
『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』

あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。
パリサイ人ではありません。
なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです」(ルカ18914)と。

「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている(創世記3522)私たちは、
このパリサイ人のように言える者になりたいのですね。信仰においても。
「私は自分の力でちゃんとやれます。正しく生きられます。
だから、あなたがイエスによって用意した救いなど、私には必要ありません」と言える者に。

けれども、その在り方こそが、
「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記126)と仰られ、
「私たちが、愛し合い、一つになっているように、私たちと愛し合って一つになる者を」(ヨハネ172124)と願われた、天の神、主の創造の目的から「的外れ」になっている在り方であることを認めて、
その場所から、この取税人のように、ただ、神のあわれみにより頼む、
その場所で、イエスの十字架刑での処刑による救いを受け取ることができるのだそうです。

そして、墓に葬られ、三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しいからだに復活され、
40日に渡って弟子たちに何度も現れて神の国のことを語り、
弟子たちの見ている前で、オリーブ山から、
天の〔父である神〕の右の座、〔御子である神〕の位に帰られたイエスが派遣してくださるもう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
この方が受け入れる者の心に置いてくださる〔父である神〕の御思いに従って生きようとする心にも。

〔父である神〕の御思いが心に来る、そのことで、私たちは、イエス・キリストと一つになっていらっしゃる〔聖である霊〕と呼ばれる方が自分のうちにおられることが分かるのだそうです。

私たち自身も、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方に対抗して、
このパリサイ人のように言いたい者であることを認めて、
その場所で、この取税人のように主のあわれみにより頼み、
少年サムエルのように、「主よ。お話しください。しもべは聞いております」(Ⅰサムエル310)と言う者にしていただきたいですね。


 詩篇17篇の作者のように、心のままも御前に差し出し、聞いていただき、見ていただき、
目覚めるとき、御顔を仰ぎ見る者にも。
この新しい週も。


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