祝福のそよぎ

風にそよぐ葦のように、聖書からの祝福の風に吹かれるままを記してみます。

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この神は生ける神、
世々にいまし、
その主権は滅びることなく、
その支配は永遠。
ダニエル書627

 父よ、御名が崇められますように。
御国が来ますように。
ルカ112

 ヨハネ
8311
 民数記101136(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句
8/30;水)

あなたを捨てる者は皆、
辱めを受ける。
生ける水の源である主を捨てたからだ。
エレミヤ書1713

 もう用意ができましたから、おいでください。ルカ1417

 Ⅰペトロ
513
 民数記11123(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句8/31;木)

 神々と呼ばれているものはたくさんあります。
しかし、この方こそ、生けるまことの神。世々にいます方。
わたしは初めであり、終わりである。アルファであり、オメガであると言われる方。
すべてのことに主権を主張でき、永遠に支配される方。


律法学者、パリサイ人たちが、姦淫の現場で捕まえた女性を連れて来て、イエスの足元に置き、
「モーセはこのような女を石で打つように命じましたが、あなたは、どうされますか」と迫ったとき、
この方は、「あなたがたのうちで、罪のない者が最初に石を投げなさい」と答えられ、
ひとり残されたその女性に、
「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか」と、問い、
「わたしもあなたを罪に定めない。
行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」と言われたのだそうです(ヨハネ8311)。


この方を捨てる者は、生ける水の源である方を捨てて、
水を溜めることのできない水溜を掘るようなものなのだそうです。 

 それは、また、盛大な宴会に招かれていながら招きを断ってしまう人のようでもあるようです。

この方の、子どもにしようとの招きに応じて、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、〔生まれた時からの私〕という霊を、
イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、死んだものとしていただき、
そのイエスが派遣してくださる、〔子としてくださる御霊〕、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
子どもにしていただき、〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて、
〔父である神〕と一つ心にしていただく者は、
「父よ、御名が崇められますように。御国(支配、統治)が来ますように」と願っていく者となり、
大牧者であるイエスが現れるとき、しぼむことのない栄光の冠を受ける(Ⅰペテロ54)のだそうです。

そのゴールを見据えながら、目の前の一歩を踏み出して行くのですね。
今日も。
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