祝福のそよぎ

風にそよぐ葦のように、聖書からの祝福の風に吹かれるままを記してみます。

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主の言葉:
わたしはあなたを目覚めさせ、行くべき道を教えよう。
あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。328

 イエスの言葉:
わたしの言葉にとどまるならば、
あなたたちは本当にわたしの弟子である。
あなたたちは真理を知り、
真理はあなたたちを自由にする。
ヨハネ83132

 申命記
24:(10131722
 民数記212135(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句9/13;水)

わたしが、行くべき道を教え、勧めを与えるから、
あなたがたは、悟りのない馬や騾馬
(らば)のようであってはならない。
それらは、くつわや手綱の馬具で押えられなければ、あなたに近づかない(詩篇329)、
と天の神、主は言われるのですね。

 天の神、主は、私たちが、馬のように手綱で強制されて、ではなく、
私たちが、愛と尊敬によって、自由意思で、自発的にご自分の御思いと思いを一つにしてくれることを願っておられる方なのだそうです。

 人となられた御子である神であるイエスご自身が言っておられます。
「あなたがたが人の子
(イエスご自身のこと)を上げてしまう(十字架に架けて)と、その時、
あなたがたはわたしが何であるか、
また、わたしが私自身からは何事もせず、
ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していることを、知るようになります」(ヨハネ828)と。

そして、続けて言われるのですね。
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、」と。

イエスご自身が、ご自身は全知、全能、永遠不変の方でありながら、
父である神を愛しておられる、その愛において、
ご自分の自由意思で、自発的に、
父である神の御思いの中に留まり、
話すことばの一言一言においてさえ、父である神の御思いのとおりを話しておられるように、
私たちも、愛と尊敬のゆえに、自由意思で、自発的に、イエスの御思いに留まってほしいと。
自分の思いにとらわれない自由な者になってほしいと。

天の神、主は、モーセをとおして言われました。
「在留異国人や、みなしごの権利を侵してはならない。
やもめの着物を質に取ってはならない。
思い起こしなさい。あなたがたがエジプトで奴隷であったことを。
そしてあなたがたの神、(「わたしはある」という者と名乗られる方)が、そこからあなたがたを贖い出されたことを。
 だから、私はあなたがたにこのことをせよと命じる。
あなたがたは畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、
それを取りに戻ってはならない。
それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。
あなたの神、が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。
 あなたがオリーブの実を打ち落とすときには、後になってまた枝をうってはならない。
それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。
ぶどう畑のぶどうを収穫するときには、後になって、またそれを摘み取ってはならない。
それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。
あなたがたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを思い出しなさい。
だから、私はあなたにこのことをせよと命じる」(申命記241722新改訳)と。


私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっていて、
天の神、主よりも、自分の善悪の判断を上に置く者であって、
善い者の全部を独占しようとする性格を持っていますが、
その、〔生まれた時からの私〕という霊は、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて死んだものとしていただき、
イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
この方によって〔父である神〕の、この御思いにも、同じ思いを思うようにしていただくことができるのだそうです。
イエスが、わたしのことばに留まって、自由になってほしいと言われているように。
今日も。
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閉じる コメント(3)

仏教では煩悩に振り回される自分に気づくことから始めます
それを飼いならして自由を得る、というかな?

そんな感じですが・・・

そちらの宗教でいう自由とはなんじゃろか?

〜しなさい、〜するなと言われて、それに従う中での
自由とは?

我ながら鋭い質問じゃああああ!

2017/9/13(水) 午後 7:13 [ サヨウナラ ] 返信する

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そうですね。鋭い!!
私が分かりにくかったのは、私は自分の思いのとおりに出来ることが、「自由」だと思っていたから、だったのでしょうね。
けれども、自由とは、煩悩、自分の思いを飼いならして、自分の思いのとおりに振り回されるのではなく、自分の思いのほうをコントロール出来る、ところにある、ということでしょうか。
「四苦八苦」、悩みは、自分の思いのとおりにしようとして、そうならないところに起こる、ということなのでしょうかね。
それで、仏教では、自分の思いを飼いならすために、修行をしたり、座禅を組んだり、念仏を熱心に唱えたりするのでしょか。

2017/9/14(木) 午前 10:11 [ 菅 佐知男 ] 返信する

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よく、「**は死ななきゃ、治らない」など、言われていますが、自分で自分を殺すことはできないので、イエスの十字架刑での処刑を私の処刑としていただいて、煩悩を思っている「私」を死んだものと認め、計算し(あるいは帳簿付けし?)イエスが派遣してくださる、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、この方によって〔父である神〕の私たち一人一人に思っておられる御思いを心に置いていただいて、この、心に来た御思いをわが思いとして生きていくなら、「自分の思い」、煩悩から自由になる、というのですが。
だから、考え方、思想ではなく、その事実が自分に起こるかどうかが肝心なことのようです。
この、イエスによる「聖である霊〕と呼ばれる方の事実が起こると、「岩もあり、木の根もあれど、さらさらと、だたさらさらと、水の流るる」という心になれるのだそうですが……。

2017/9/14(木) 午前 10:12 [ 菅 佐知男 ] 返信する

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