祝福のそよぎ

風にそよぐ葦のように、聖書からの祝福の風に吹かれるままを記してみます。

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天が地を高く超えているように、
わたしの道は、あなたの道を、
わたしの思いはあなたの思いを、
高く超えている。
イザヤ書
559

 私は、
今は一部しか知らなくとも、
そのときには、はっきり知られているように
はっきり知ることになる。
Ⅰコリント
1312

 マタイ
6613
 申命記215(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句1/13;土)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
イザヤを預言者として立てて言われます。

「主を求めよ。お会いできる間に。
近くにおられるうちに、叫び求めよ。
悪者はおのれの道を捨て、
不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。
主に帰れ。
そうそれば、主はあわれんでくださる。
私たちの神に帰れ。
豊かに赦してくださるから。
わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。
  ――主の御告げ――
天が地よりも高いように、
わたしの道はあなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」(イザヤ
5569新改訳)、と。

 私たちは、自分の理性を信頼して、
自分の理性の判断に従って生きています。
それで、その判断の正しさは、
必要な正しい情報をどれだけ持っているかでちがってきます。

実は、その、私たちの判断のもとになっている情報は、
一部分でしかないのだそうです。
だから、一部分の情報をもとにして下した私たちの判断と、
すべての情報を持っておられる天の神、主の判断とは、
天が地をはるかに超えているように、違っていると、
天の神、主は仰られるのだそうです。

 けれども、
私たちがはっきり知られているように、
私たちもはっきり知る、
そのときも来るのだそうです。

 人となられた〔独り子なる神〕であるイエスは、
ご自身も、神として、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
〔父である神〕への愛と尊敬のゆえに、
自由意思で、自発的に、
その口から出す一つ一つの言葉においてさえ、
「自分からは何事もせず、
ただ父がしようとしているとおりをしておられる」方なのだそうです(ヨハネ
8281250)。

それで、私たちにも、
もちろん、私たちの思いが、
〔父である神〕の御思いの中にあるようにしていただくために、
ありのままの、本心の思いをそのまま、御前に差し出し、
見ていただき、知っていただくよう、勧めてくださっていますけれど、

自分が、「神のひとりのようになり、
善悪を知る者になっている(創世記
3522)、
その自分の理性による善悪の判断のとおりを実現するよう、
神に要求する生き方を、
死んだものとして、御前に投げ捨て、
「みこころが天で行われるように
地でも(私にも)行われる」ことを願っていく(マタイ
610)よう勧めてくださっているようです。

 私たちの身代わりになって、十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、
三日目に死人の中から
新しい霊のからだに復活されたイエスが派遣してくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いについて行く生き方を(ガラテヤ
525)。

 モーセにひきいられたイスラエルの民が、
40年の荒野での生活の後、
天の神、主の仰られるとおりに、
「北に向かって出発」し、
主が仰られるとおりに、
セイルに住んでいるエサウの子孫や
ロトの子孫であるモアブの人々から離れて進み、
仰られるとおりにゼレデ川を渡ったように(申命記
2115)。

私たちも。
今日も。
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