祝福のそよぎ

風にそよぐ葦のように、聖書からの祝福の風に吹かれるままを記してみます。

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主に向かって私は歌おう。
主は大いなる威光を現してくださった。
出エジプト
151

 御父がどれほど私たちを愛してくださるか、
考えなさい。
それは、私たちを神の子と呼ばれるほどで、
事実また、そのとおりです。
Ⅰヨハネ
31

 ロマ書
418
 申命記1019(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句1/31;水)

エジプトを脱出したイスラエルの民、
前には葦の海、
後ろには、追って来たエジプトの王パロが率いるエジプトの戦車と騎兵の全軍。

 その絶体絶命の中で、民はモーセに言ったのだそうです。
「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、
この荒野で、死なせるのですか。
私たちをエジプトから連れ出したりして、
いったい何ということを私たちにしてくれたのです」、と。

 けれども、天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
モーセに仰せられたのだそうです。
「あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に伸ばし、
海を分けて、イスラエル人が海の真ん中のかわいた地を進み行くようにせよ」、と。

 それで、モーセが、言われたとおりに杖を持った手を海の上に伸ばすと、
天の神、主は、一晩中強い東風で海を退かせ、水を分けられたので、
イスラエル人は海の真ん中のかわいた地を、進んでいったのだそうです。

 そして、後を追って来たエジプトの戦車隊上に、水を返らせたので、
水は、パロの全軍勢の戦車と騎兵をおおい、
残された者はひとりもいないようにされた。

そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、歌ったのだそうです。
「主に向かって私は歌おう。
主は大いなる威光を現してくださった」(出エジプト
141151)、と。


〔父である神〕は、私たちを愛し、大切に思っていてくださっていて、
私たちをご自身の「子」にしようと思っておられるのだそうです。

 その手続きとして、〔御子である神〕を、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」となった、
「そむき」、「的外れ」(創世記
3522)の性質を受け継がない、
〔父である神〕との一つ(創世記
126、ヨハネ10301410)の関係を保ったままで、
人として、人の世に来られるために、
「女の子孫」(創世記
315)として、
男との関係をまだ持っていない処女マリヤの胎を通して、
生まれさせ、

この方が、およそ
33歳の頃、
その当時のユダヤ人の指導者たちの妬みとローマ兵を用いて、
この方を十字架刑で処刑し、
私たち、すべての人間の
「そむき」、「的外れ」の処罰が終わったものとしてくださるのだそうです。

そして、このイエスによる贖(あがな)いを受け取った者に、
さらに、もうひとりの助け主(ヨハネ
1416)、
ご自身が、ねたむほどに深く愛し、慕っておられる方(ヤコブ
45)、
私たちを「神の子」としてくださる
「聖である霊」と呼ばれる方(ロマ
815)を派遣してくださるのだそうです。

 そして、この方によって、
ご自身が私たちひとりひとりに思っておられる御思いを、
受け入れる者の心に置いてくださって、
受け入れる者が、愛において、自由意思で、自発的に、
〔父である神〕と思いを同じにし、心を一つにして、
「子」として、「家族」として生きるようにしてくださるのだそうです。


 それで、私たちも歌うのですね。
「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは幸いである。
主が罪を認めない人は幸いである」(ロマ478)、と、
イエスによって実現した威光、輝かしい勝利の御業
(みわざ)を。
今日も。


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