祝福のそよぎ

風にそよぐ葦のように、聖書からの祝福の風に吹かれるままを記してみます。

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主は、滅びの穴、泥沼から私を引き上げ、
私の足を岩の上に立たせ、
しっかりと歩ませてくださった。
403

 イエスの言葉:
はっきり言っておく。
死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。
今やその時である。
その声を聞いた者は生きる。
ヨハネ
525

 ヨハネ
62635
 ヨハネ133138(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/12;月)


 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
ご自身を待ち望む者、
ご自身に叫び求める者の声を聞き、
滅びの穴、底なしの泥沼から私たちを引き揚げ、
堅い岩の上に立たせ、
しっかりとした、確かな歩みを歩ませてくださる方なのだそうですね。
岩盤を土台として建てた家のように(ルカ6:46〜49)。

私たちは、天の神、主からさまよい出て、
神なく、望みなく、滅びに向かって歩んでいる者、
滅びが定まっている者なのですが、
神の声を聞き、生きるものになる、その時が来ているというのですね。

〔父である神〕が
ご自分のうちにいのちを持っておられるように、
〔子〕にも、
自分のうちにいのちを持つようにされているのだそうですから(ヨハネ
526)。

イエスは、ご自身のことを、
「天から下って来た神のパン」だと仰られました(ヨハネ
635)。
「これを食べる者は永遠に生きる」(ヨハネ
651)、と。

 私たちのからだは、食べた物によってできており、
食べた物がからだの中にあり、
ある意味で、からだは食べた物の中にある、
食べた物とからだが一つだ(ヨハネ
172122)、ということができるでしょうか。

 イエスは、十字架刑での処刑を受けて死んでくださいました。
私たちは、そのイエスに合わせていただいて、
私自身である、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者になっている」(創世記
3522)、
〔生まれたときからの私〕という霊を
十字架刑での処刑が済んだもの、
死んだもの、と手続きをしていただけるのだそうです。

そして、三日目の日曜日の早朝、
死人の中から、新しい霊のからだに復活され、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国について語った後、
オリーブ山から、
弟子たちのみている前で、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス。

そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方。
〔父である神〕は、
受け入れる者をこの方で覆い、
この方の中に浸し、沈め、漬け込み、満たし、バプテスマして、
ご自身が私たちひとりひとりに思っておられる御思いを
受け入れる者の心に置いてくださって、

また、この方が、
私たちの思いを〔父である神〕にとりなしてくださって(ロマ
82627)、

〔父である神〕の御思いが受け入れる者の内にあり、
受け入れる者の思いが〔父である神〕の中にあるようにしてくださるのだそうです。
一つになっている者。いのちのパンを食べた者に。

 それで、この、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
〔父である神〕のひとりひとりに対する愛の御思いが心に来ているなら、

その人は、イエスといういのちのパンを食べた者、
イエスと一つになっている者、
イエスの弟子であることが
周りの人に分かるようになる(ヨハネ
153435)、というのですね。


 底なしの泥沼に沈んでいた者が、岩の上に引き上げられ、
岩の上を(父である神の御思いの中を)歩んでいる者に、
新しい人生を生きる者になっていることが。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

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