祝福のそよぎ

風にそよぐ葦のように、聖書からの祝福の風に吹かれるままを記してみます。

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 お前が
自分の道を思い起こし、
恥を負うとき、
わたしは
全てのことについて
お前を赦す。
エゼキエル書16:61、63

 パウロの手紙:
「キリスト・イエスは、
罪人を救う為に世に来られた」という言葉は
真実で
そのまま受け入れるに値します。
私は罪びとの中で最たる者です。
Ⅰテモテ1:15

 ヨハネ6:37〜40(41〜46)
 ホセア書6:1〜6(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/29;金)

 私たちの行い、
心に思うことのすべてが、
天の神、主の御前で明らかにされ、
白日の下にさらされる時が来るのだそうです。

 そのとき、私たちは
どのような大恥をかくことになるのか。

 けれども、〔父である神〕は、
私たちのそむきのすべてを赦そうとしていてくださるのだそうです。

 私たちが赦されるために、
〔神の御子〕であられる方が、
人間イエスとなって人の世に来られ、
私たちの身代わりになって、
私たちに代わって、ご自身の身に私たちの背きの責任を負い、
神に呪われたものとして木に架けられてくださり、
処刑を受けてくださったのだそうです。

 まさしく、イエスは、
罪人である私たちを救う為に
この人間の世に来てくださったのですね。

 イエスは言われます。
「わたしが天から下って来たのは、
自分の思いを行うためではなく、
わたしを遣わした方のみこころを行うためです。
わたしのところに来る者を、
わたしは決して捨てません。

 わたしを遣わしたみこころは、
わたしに与えてくださったすべての者を、
わたしがひとりも失うことなく、
ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。

 事実、わたしの父のみこころは、
子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。
わたしはその人たちをひとりひとり
終わりの日によみがえらせます」(ヨハネ6:37〜40)、と。

 私たちの恥は、全部ご自身が受けてくださって、
私たちには、
ご自身の、神の子の栄光で包んでくださるのだそうですから。

 それで、私たちも言うのですね。
「さあ、主に立ち返ろう。
主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、
私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。

 主は二日の後、私たちを生き返らせ、
三日目に私たちを立ち上がらせる。
私たちは、御前に生きるのだ。
私たちは知ろう。
主を知ることを切に追い求めよう。
主は暁の光のように、確かに現れ、
大雨のように、私たちのところに来、
後の雨のように、地を潤される」(ホセア6:1〜3)、と。

 イエスによる赦しの中で。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

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