祝福のそよぎ

風にそよぐ葦のように、聖書からの祝福の風に吹かれるままを記してみます。

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 私の魂よ、主をたたえよ。
私の内にあるものはこぞって、
聖なる主をたたえよ。
詩103:1

 弟子の群れはこぞって、
自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、
声高らかに神を賛美し始めた。
ルカ19:37

 エゼキエル書2:3〜8a
 ホセア書11:1〜11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/4;水)

 イエスの弟子たちは、
イエスが、ろばの子に乗ってエルサレムに近づかれたとき、
今までに、自分たちが見た、
イエスがなさった奇跡、力あるわざのことで、
大声で神を賛美し始めたのだそうです。

 「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。
天には平和。栄光は、いと高き所に」と声高らかに。

 私たちも自分の魂に言うのですね。
「私の魂よ。主主をほめたたえよ。
私の内にあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ」(新改訳)、と。

 私たちは、天の神、主から、
「わたしに背いた反逆の国民、
あつかましくて、かたくなな反逆の家」と言われた
神の民イスラエルのように(エゼキエル2:3〜8)、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになって」(創世記3:5、22)、
自分だけの理性での善し悪しの判断のままにことを行う者、
神に聞こうとしない者です。

 けれども、天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者と名乗られる方は、
言っておられるのだそうです。
「わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。
どうしてあなたを見捨てることができようか。
わたしの心はわたしのうちで沸き返り、
わたしはあわれみで胸が熱くなっている。
わたしは燃える怒りで罰しない。
わたしは怒りをもっては来ない」(ホセア11:8〜9新改訳)、と。

 それで、〔御子である神〕が、
「的外れ」の性質を受け継がない「女の子孫」(創世記3:15)として、
人となって、
人の世、この人間の歴史の中に来られ、

 ご自分の身に私たちの「的外れ」の責任を負ってくださり、
神の燃える怒りを受け、
神に呪われた者となって木に架けられ(申命記21:23)、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 そして、私たちを、
このイエスが受けられた十字架刑での処刑に合わせてくださって、
アダムのとき以来の、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになっている」
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑された者、死んだものとしてくださるのだそうです。

 そのうえで、受け入れる者に、
もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださるのだそうです。

 その方は、私たちの心に、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを
置いてくださるのだそうです。

 それで、聞く耳を持たない私たちも、
この方によって
〔父である神〕と同じ思いを思い、
一つ心にしていただけて、
〔父である神〕が私をとおしてしようと思われることを、
私がしていくようにも、してくださるのだそうです。

 この私たちが神と一つ心にしていただける、
神の恵みと憐れみによる、その大きな御業を
私たちは感謝し、
ほめたたえ、歌うのですね。

 神の御業の中で。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

イメージ 1

 
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