祝福のそよぎ

風にそよぐ葦のように、聖書からの祝福の風に吹かれるままを記してみます。

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神の慈しみの中で

 主よ、
あなたの僕を裁きにかけないでください。
御前に正しいと認められる者は、
命あるものの中にはいません。
詩143:2

 神の慈しみと厳しさを考えなさい。ロマ書11:22

 フィリピ書3:12〜16
 ホセア書14:2〜10(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/7 )

 自分の力で神の律法を守って
合格の基準に達する者はいないのだそうです。
「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。
神を求める人はいない。
すべての人は迷い出て、みな、ともに無益な者となった。
善を行う人はいない。
ひとりもいない」(詩篇14:1〜3、ロマ3:10〜12)と書かれているように。

 そのような、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになって」いて、
造り主、
自分の存在の元である方である
天の神、主に背き、対立、対抗している私たちを、
 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
なお、あわれんでくださって、
創造の目的である、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、
「わたしたちが一つであるように、彼らもまた一つである」(ヨハネ17:22)ように
回復しようとしていてくださるのだそうです。

 これは、私たちの側のどんな働きにもよらず、
天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』と名乗られる方からの、
一方的な恵みとしてプレゼントされているものなのだそうです。

 私たちは、伝えられて、このことを知る者とされましたが、
知っているということと
そのことが自分の身になっているということとは違うのですね。

 だから、パウロが言っているように、
「私は、すでに得たのでもなく、
すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕らえようとして、追及しているのです。
そして、それを得るようにと
キリスト・イエスが私を捕らえてくださったからです。

 私は、自分はすでに捕らえたなどとは考えていません。
ただ、この一事に励んでいます。
すなわち、うしろのものを忘れ、
ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる
神の栄冠を得るために、
目標を目指して一心に走っているのです」(ピリピ3:12〜14新改訳)と認めて、
何度でも聞き、思い出し、目当てを確認しながら、
立ち返り、立ち返り(ホセア14:1、新共同訳では、2)
そのことが自分の身に成るよう、
求めていくといいのだそうです。

 「求めなさい。そうすれが与えられます」(マタイ7:7)、
のだそうですから。

 神の慈しみの中で。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

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