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菖蒲園の落語のお話
一応最後まで続ける所存です!

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イメージ 1今日は上方落語の「いかけや」です。

春團治師一門のお家芸でもあるそうです。東京では小南師が得意としていました。


いかけ屋が道端で火を起こして店を出そうとするところに、近所の悪ガキが声をあげてやってきます。

毎度悪さをするので、いかけ屋は気が気ではありません。

案の定、子供たちはいかけ屋を取り囲み、次々と下らない質問してきては、いかけ屋の反応を楽しんでいます。

「どうぞ、たのむからあっち行ってくれ。おっちゃん、仕事でけへん。」と言っても去るどころか、ますます調子に乗ってなぶりに掛かります。

そこへ悪ガキの大将と称するのが来て、悪口雑言。

流石にいかけ屋も切れて「言い方気イつけよ。もっとおっちゃんとか、オッタンとか可愛らしゅう言えんのか。アホンダラ。」とやり込めるのですが、、「何ぬかしやがんねん。このヘタ。」と平気なものです。

「何の用やねん。」聞けば石ほじくるさかい金槌貸せという。「アホンダラ。そんなものに貸せるかい。貸すから、家帰って、おのれの鍋や釜に穴開けて来い!」「そんなことしたら、おっ母さんこわいがな。」「何言うか。それくらのことできんで、一人前の悪さになれるかい。おっちゃん、おまえらのころ、よう鍋釜、ボーン、ボーン金槌でいわして穴開けとったわい。」「ははあ、そンで大きゅうなって直しに回ってんのやな。」と完全に一本取られる始末です。


「貸せ。貸せ言うとんのじゃい。貸さんかったら火イ消すぞ。」「おっちゃんが苦労しておこした火どう消すねん。」「…へへへ。小便で消したろか。」「何。やれるもんならやってみ。」「ああ。何でもないこっちゃ。おい、市松ちゃんに、虎ちゃんに、みな来い。みな来い。」ジャジャージャアジャア。

「あああ…ホンマに消しよった!…こらあ〜。」

いかけ屋の嘆きをあとに悪ガキたちは次に鰻屋で散々悪さをするのです。


もともとは「山上詣り」という噺でしたが、前半部だけが残され今日の「いかけ屋」となったそうです。


「いかけ(鋳掛):鍋・釜など金物の壊れた部分を修理すること」とある。この噺でも見られるように、道端で火を熾しての商売ですから、いかけ屋にとって子供達は邪魔な存在です。

子供達にしてみれば、そうした事を知っているので、いたずらを仕掛けていく訳ですね。

初代桂春団治が十八番にした噺で、二代目、当代と伝わった噺ですね。


この後の筋書きは、このあと、山伏が鰻屋に現れ「あなたが君の持っているのは何ですか」と尋ねてきます。

「これは団扇です」と答えると、「何、団扇?ここは外だから、ソトワいうのでは?」とやり込められます。
それを悔しがっていると、鰻屋の友人が「ならば仕返しをしてやれ、お前山伏だろ?山伏なら、町を歩くな。山を歩け」と教えてくれたので、早速山伏を追っかけて、その通りに言うと「わしは山伏ではない。山上詣りだ」
「ああ、ごきげんようお参り」とサゲると言う筋です。

今日は小南師で聴いて下さい。


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    この「鋳掛け屋(いかけや)」と云う商売は、私は子供の頃に見たような記憶があります。鍋釜の漏れを修理する商売ですね。どのように修理したのかは今だに不明ですが、タイアのパンク修理のように、内側から薄い金属をハンダ付けしたのか? 外側の火のあたる部分だとハンダが溶けちゃいますからね。

    この演目と間違えやすいのが「いかき屋(ざる屋)」ですね。いかき屋は笊(ざる)を売る商売だからぜんぜん別演目ですが、両方とも上方落語なので間違えやすい。当代の春團治さんの持ち根多でもありますね(^∇^)*

    藪井竹庵

    2012/5/2(水) 午前 8:50

  • 薮先生
    私の子供の頃でもたまに見かけました。
    今でも軽トラで年に1〜2回やってきます。
    もっとも、傘の骨の直しだとか、包丁とぎと一緒ですが。
    春團治師は鰻屋のくだりはやりませんね。
    やれば面白いと思うのですが・・・(^^)

    shobuen2

    2012/5/2(水) 午前 10:30

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    私は現在の春團治師匠でしか聴いたことがなく、
    うなぎ屋に行こうと言って、悪ガキがうなぎ屋の前で集合し、
    ここでまた、うなぎ屋を泣かしよるんですわ!
    毎度、お馴染みの“いかけ屋”というお噺です。で、サゲておりました。

    さて、“いかけ屋”さん、私が幼少の昭和30年代の終わりから、
    40年代初頭までは、博多にも居ました、御用伺いで流してました。
    ただ、いかけ屋一本ではなく、“らお屋”と兼業でしたね。
    というか、“らお屋”がいかけ屋の仕事もしておりました。
    幼い頃、あのらお屋の蒸気のピー!ピー!って音が好きで好きで。
    一番最初になりたい職業が、らお屋でした。

    その後、高度成長がピークの昭和45年を境に、
    大阪万博を経て、大消費時代に突入し、
    鍋や釜を直すなんて文化がすたれてしまいました。
    そこからですね、いかけ屋だのらお屋だのが姿を消したの。

    [ Mars_jj_boy ]

    2012/5/2(水) 午後 0:35

  • Marsさん
    私は逆に、子供の頃に寄席で小南師のこの噺を聴いたのが初めてです。
    子供の出て来る噺と言うので記憶に残りました。
    その後も何回か聴きましたが、やはり鰻屋の前で切ってる事もありました。
    以前持っていた音源ではもっと鰻屋の下りが長かったです。
    時間の関係でやり様があるのだなと思ったものでした。

    少し前までは居ましたね「いかけ屋」さん。
    最も「いかけ屋」とは言いませんでしたが(^^)

    若い方はこの噺を聴いても、その辺の事は肌ではなく頭で考えるのでしょうね。

    shobuen2

    2012/5/2(水) 午後 0:49

  • 実家は花街と商店街の両方に接している化粧品小間物問屋・小売だったからでしょう。

    鋳掛屋は子供の頃は廻って来ましたね。
    祖父と母が煙管を使っていたので羅宇屋さんも御用聞きに来てましたよ。
    研屋も豆腐屋もわらび餅、飴屋、みたらし団子、焼き芋、花、野菜、魚…
    色々な行商人さんが日にちや曜日や時間を決めて廻ってきて「先々の時計になれや小商人」を実感していた子供でした。

    shyu

    2012/5/2(水) 午後 10:28

  • しゅうさん
    さすがに、こちらでは羅宇屋さんは浅草とか上野あたりに行かないと居ませんでした。
    今、あるのは魚屋さんが軽トラで来るくらいですかね。後パン屋さんも車でやってきますね。
    千葉から来る八百屋さんも大分少なくなりました。時代ですかね(^^)

    shobuen2

    2012/5/3(木) 午前 3:30

  • 鋳掛屋は見た事は流石に無いですね。竿竹屋は見た事があります。
    落語の方の「鋳掛屋」はまだ生で聴いた事が有りません。
    子供達が大人の邪魔をするという点では「馬の田楽」も似ていますね。

    [ えび助 ]

    2012/5/7(月) 午後 11:42

  • えび助さん
    この演目は東京だと小南師、上方だと春團治にトドメを刺すと思います。
    今は演じる方も少ないと思います。
    現に東京では私は小南師亡き後聴いていません。
    そのうち聴けるかしら?(^^)

    shobuen2

    2012/5/7(月) 午後 11:58

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