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我らが日本将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖が、産経新聞朝刊に「 大相撲、こうすれば立ち直れる 」を寄稿している。 米長邦雄の文章は、名文である。 とぼけているような、オヤジギャグっぽい冗談をまじえた読後感が特徴だ。 ところが、数日経た後、または数年後に読み返して、その真意に膝を打つ。 おそらく、数百年後に日本人最高の箴言として教科書に載るのではないか、と密かに期待している。 将棋界だけでなく、日本文化全体を対象として、評価されると思う。 また、そう評価される状態になかったら、日本はこの世から無くなっているのかも知れない。 女流棋士問題での「 会長の提案 」も、手紙の文章読本に収められるべき、名文だと思う。 さらに、十数年前に林葉直子の不倫問題で、『 将棋世界 』誌へ寄稿した「 手記 」も秀逸だった。 これは、不倫相手の中原誠の人物像を語ったものだが、責任ある地位に就いている人物が、 自業自得とはいえ、窮地に陥ったときの周囲の対応としては、手本とすべきものである。 聖人君子たらんと欲して、且つ、過ちを犯すことは、ままあることだ。 それを、本人でなく、世間から信頼されている者が説明しなくてはならない。 それが、見事になされていた、と思う。 今回の大相撲も、そうした視点に立ち、世間から信頼を受けるのは、貴乃花親方ただ一人だろう。 理事全員は、貴乃花親方に伏してお願いすべきではないか。 *----------*----------* 【資料】 主題:「大相撲、こうすれば立ち直れる」 副題:「将棋界には八百長なし」 将棋と相撲は一対一のガチンコ勝負で、日本の伝統文化として相通ずるものがある。あるいは対極にある。 投げれば勝つのが相撲。投げたら負けが将棋。待ったが許されるのは相撲。待ったは即反則負けになるのが将棋だ。 角界というからには相撲と将棋は縁続きだろうか。放駒は、将棋界では孤立していて悪形だが、相撲界では理事長に納まっているのも面白い。元大関魁傑はガチンコ相撲の代名詞でもあった。 今回の難事を解決してくれるとの期待が持てる。 将棋界には八百長はない。これは日本将棋連盟会長の私が断言する。米長哲学が浸透しているからである。 「自分には消化試合であっても、相手にとっては一生を左右するほどの大勝負には全力投球すること。 それができない者は、この世界では見放される。」 この教えは、小中学生の頃にプロ志望している子どもたちにも、骨の髄まで浸透しきっている。 であるから、将棋界には八百長はない。 <中略> 問題は三段リーグ。17局終わったとして18局目は一斉対局だ。当然、この一局に勝てば昇段し、 相手は消化試合というケースは毎回ほとんどであろう。かかる時は必ず勝たねばならぬ。 自分が優勝する一局以上に命を懸け戦わねばならぬ。これが米長哲学である。 棋士は、将棋に命を懸けているのである。盤上には神が宿っている。土俵とて同じであろう。 勝ちと負けの二つだけを一対一で争うから潔く、神事なのである。その意味で、八百長などは神を冒涜(ぼうとく)する最たる行為だと知るべきだ。7勝7敗の相手と千秋楽で当たったら「必ず勝つ」という信念を、力士たちに徹底してたたき込むことが、一番大切だと信じている。 2009年9月9日付 LPSA中井広恵代表理事宛に出した手紙の要旨 「 会長の提案 」 「 元女流棋士 林葉直子について 」 「 棋士の存在そのものが文化だ 」 「サラリーマンはアマ初段。私はプロ八段だ」 |
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当時仕事が忙しすぎてネットも将棋も出来なかったんですが、女流の独立騒動あったんですね。
調べてみてなるほどなぁと。いいように使われていた面もありましたからね。
そこは分からないでもないけど、将棋は実力勝負。
男女のハンデもないんだから奨励会抜けてから物言うべきでしょうね。
男女比が逆の分野でこういう優遇なんてありえないんだし。
そもそもアマならいくらでもいる程度の棋力でお金稼げてることに感謝すべきかというのは言い過ぎでしょうかね。
2011/3/23(水) 午後 10:26 [ 清和会 ]
そうですね。
今の女流トップの実力は、アマ高段者レベル。
それで食べて行けるなら感謝ですよね。
初段からプロに成れる囲碁界と比べて将棋界は四段からプロ。
ハードルは高いですが、それは男性も同じ条件。
囲碁界約400名余りの棋士が、低段者でも食べていけるだけの風土と財政がありますが、将棋界は150名の棋士が食べるのがやっと。
男女機会均等とかの悪法で女性の権利が拡大したのではなく、言葉狩りが横行しているだけのような気がします。
残念ですね。
2011/3/29(火) 午前 9:33 [ 銀桂一行 ]