|
WEB上で高校生が、『 范の犯罪 』を志賀は、なぜ引用したのか、という疑問を呈していた。 関係ないじゃあないか、というニユアンスである。 しかし、ここに志賀の意図が伺える、と私は思う。 なぜなら、『 城の崎にて 』は、死のオンパレードだからだ。 実線で描いた円は、半径を結ぶ2点さえ解れば、同じものがコンパスで描ける。 志賀の頭の中には、数千枚に上る原稿を点とする実線円がある。 それを削ぎに削ぎ落として、幾つかの点だけにした。 何一つ無駄はない。 先ず自分が列車に撥ねられた、これは事故死である。 志賀の祖父、母は青山の墓地で安らかに眠りについている。 自然死だ。 一疋の蜂が玄関の屋根で死んで居た、これは、今で言う過労死だ。 それも、放って置かれた。 いつの間にか、雨水で流された。 読経して死者を墓に葬るのは、人間だけだ。 『 范の犯罪 』という短編小説。 これは、嫉妬に狂う夫が、妻を殺した、殺人である。 それも結婚前の彼氏に嫉妬してだ。 なぜ、男を殺さなかったのだろうか。 おっと、脱線。(笑) 志賀は言う。 この時は、范の気持を主に書いた。 今度は、殺された妻の立場で書きたいと。 面白い。 題材として、未来永劫使えそうだ。 范の妻の立場も、志賀の描いた円の一点に違いない。 次に、大人や子供達のネズミのなぶり殺し。 私なんかも、幼い頃、トンボに糸を結びつけて飛ばしたものだ。 最後は、頭か胴体が切れて死んでしまう。 あれを連想した。 惨たらしいことをするものである。 『 范の犯罪 』の殺人は、人間しか起さない。 ネズミの嬲り殺しは、大勢で、遊び半分に、後悔や、反省のない、 リンチ殺人だ。 これまた、人間しかやらかさない殺人だ。 動物は、自分が生きるために、敵を殺すだけだ。 さらに、自殺も人間だけの行為だ。 最後に、脅かす積りで投げた石でイモリを殺してしまう。 志賀はそそくさとその場を後にした。 その後姿が、轢逃げ犯人のそれと重なって映る。 范の妻は、泉下で夫を恨んでいないかも知れない。 なぶり殺しにされたネズミ達は、子供達に腹を立てただろうか。 最初の列車事故は、自分自身の不注意が原因である。 恨むなら自分だ。 志賀は、ネズミの嬲り殺しに目を背けた。 にも拘らず、イモリを殺した。 イモリは、志賀を恨んだに違いない。 このとき、私には、イモリがゴジラのごとく巨大に映った。 『 城の崎にて 』は、死の背景を分類して紹介しているのである。 書かれていないのは、喧嘩殺人や戦争、保険金殺人、幼女誘拐殺人、自爆テロなど。 さて、皆さんは、どの殺人が、どの死が、一番赦せないと考えますか? あるいは、人間と動物と、どっちが愚か。 そんな辺りが、志賀の円の中に囲まれていそうな気がする。 *----------*-----------* 【城の崎にて】 *----------*-----------* 【参考】 話の中で自分の作品の「范の犯罪」が出されてきますが、なぜ自作をここで引用したんでしょうか? *----------*-----------* 【参照】 『 小僧の神様・城の崎にて 』 志賀直哉著 新潮文庫 平成25年2月25日 80刷
|
全体表示
[ リスト ]





