|
私は、プロ雀士・多井隆晴が大嫌いである。(註1)
何故なら、佐々木寿人をコテンパン負かすからである。(註2)
そう、私は、ヒサト(寿人)のファンなのである。
どうして、ファンになったか、と云うと、単なる一目惚れである。
偶々(たまたま)観た麻雀番組で、ヒサト(寿人)が勝っていたのである。
そして、牌の打ち方が、実にスピーディで、格好良かった。
嫌味がないのである。
( 同じスピーディな牌の打ち方でも、友添敏之のそれは嫌味に感じる。)
従って、多井には何の罪もない。
私は、羽生永世七冠と藤井聡太四段のファンである。
「 な〜んだ、単純に強い奴が好きなだけじゃあないか 」と言う勿(なか)れ。
私の”初恋の棋士”は加藤一二三九段なのである。
王者・中原誠でも、鉄人・大山康晴でもなかった。
第40期名人戦、最終局、中原名人(当時)から、名人位を奪取したときのことは、今でも鮮明に憶えている。
関西将棋会館の大盤解説会場で、落胆の溜息が多い中、歓喜した一人である。
従って、決して、「 単純に強い奴が好き 」ではないのである。エヘン
どうして、加藤九段ファンになったか、と云うと、第15期十段戦で中原十段(当時)に挑戦したときの和服姿に惚れたからである。
昔は、細くて格好良かったのである。
第15期十段戦頃の加藤九段(当時36歳)
故・米長邦雄永世棋聖が大嫌いだった。
実は、このブログのタイトルである故・芹澤博文八段も嫌いだった。
両者共に、加藤九段を批判していたからである。
その批判は筋が通っていたので、余計に癪(しゃく)だった。
フフフ
しかし、どう云う訳か、気が付くと、加藤の著書は僅か1冊しかなく、米長と芹澤の著書を多数持っていたのだから、不思議だ。
私は、定跡書とかは余り買わない。
殆ど、随筆の類である。
芹澤と米長の随筆は、示唆に溢れ、棋士の目指すところなのである。
『中原・林葉騒動』で中原が窮地に陥ったとき、加藤が堂々と中原を擁護した。
変人扱いされていた加藤ではあったが、説得力があった。
普段加藤を批判する米長も一目置いた。
2人が暗黙の内に和解したのである。
私は、当時、安堵した記憶がある。
これは、妬(や)っかみなのだが、「ひふみん」の愛称が嫌いである。
加藤一二三九段!
これが、数十年、変わらない、素晴しい呼称である。
升田幸三九段!
これも、味がある。
態々(わざわざ)、
実力制第四代名人
なんて、升田本人は唾棄したに違いない。
九段は、数々居るが、
升田と加藤の右に出る者は居ない。
格好良い称号である。
第40期名人戦頃の加藤九段(当時42歳)
*----------*----------*
【註解】
註1.多井 隆晴(おおい たかはる)
昭和47年(1972年)3月17日生。45歳。
日本の競技麻雀のプロ麻雀士。東京都出身。
RMU(リアル・マージャン・ユニット)所属。
(2005年まで日本プロ麻雀連盟所属。)
当団体の代表を務めている。
「最速最強」がキャッチフレーズ。メンゼン重視の攻撃型。
「最速最強」の名の通り、「誰よりも速く、誰よりも強い麻雀」を標榜している。
タイトル獲得及び大会優勝数は20を超える。
2016年は、麻雀史上最高の賞金額を獲得したと本人弁。
自他共に認める最強雀士。
註2.佐々木 寿人(ささき ひさと) 愛称「ヒサト」
昭和52年(1977年)1月12日生。40歳。
競技麻雀のプロ雀士。宮城県仙台市出身。
日本プロ麻雀連盟所属 五段。
東北学院大学文学部英文学科2グループ所属。
2008年、日本麻雀機構所属の女性プロ雀士 手塚紗掬と結婚。
雀風:超攻撃型。出和了りを期待しないリーチ(ツモ和了りを前提とするリーチ)。
『ガラクタ・リーチ』とも呼ばれる。また、メンホン・メンチンの一色系を得意手役としている。
|