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定刻直前に指して、相手に封じ手をさせる盤外戦術の本質は、 1.定刻直前に指すこと自体が、失礼である。 2.面倒臭い儀式は「お前がやれ!」の態度を感じさせる。 これによって、相手を怒らせるのが目的です。 礼儀正しい人、繊細で気を遣う性格、几帳面な人、世間一般で言う血液型A型タイプ。 こんな相手に効果が上がる。 盤上の指し手と関係ありません。 盤上の指し手に関係するのは、 3.選択肢が複数あり、最低1時間は考えたい難しい局面 を手渡たしたときです。 なぜなら、「 早く指して欲しいなあ 」の空気が周りから醸し出されるからです。 このことは、前々回に書きました。 だから、封じ手時刻を過ぎると、盤上に集中し辛い。 もし、時間を気にして最善手を逃したとしたら、・・・ 最善手だったとしても、モヤモヤとした後悔を引き摺ったら、・・・ 作戦成功です。 まあ、盤上と盤外のグレーゾーンですね。 野球に喩えてみると、 自分のチームの野手Aが、ホームラン争いをしている。 そのライバルBが、今日の相手チームにいる。 キャッチャーがバッターボックスのBにボソボソと私生活の悪口や気になることを呟く。 Bは腹を立てて、ついつい打ち気に逸る。 キャッチャーの思う壺。 これが、前述の2つに該当する。 3番目は、キャッチャーがピッチャーの投球と同時に「 カーブ!」とバッターBに教えたようなもの。 直球と読んでいたBは戸惑うが、考えている暇がない。 結局、中途半端なスイングで三振。 但し、加藤一二三九段には通用しません。 素晴しい! *----------*----------* 【参照】 |
将棋界の統計
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それでは、将棋界の秘蔵のエピソードを紹介しましょう。フフフ 主役は、加藤一二三九段 私は、昔からの”老舗加藤ファン”です。 最近の”俄か加藤ファン”ではありません。エヘン! 第16期 十段戦 中原十段 vs 加藤 第7局 1日目午後4時58分、44手目、局面は▲加藤の手番 【44手目△2二玉まで】 封じ手は午後5時30分。 午後4時58分から考慮に入っていた加藤、いっこうに指す気配がない。 延々と考え、ついに7時。 規定で7時から1時間夕食休憩。急遽、酒はとり外し料理だけの食事。 立会人の原田九段、長谷部八段、それに相手の中原十段ら、 ぼそぼそと、口数少なくコース料理を食べていた姿が思い出される。 午後8時対局再開、加藤は更に考え続け、9時10分にやっと封じ手を行った。 実に3時間12分もの大長考だった。 この間、もう自分は指さないのだから、いる必要もないはずの中原が、律儀に席を外すこともなく、 正座して加藤の指し手を待ち続けていた。 どうです! 皆さんも加藤一二三、中原誠ファンになられたんじゃあないでしょうか。 将棋をあまりご存じない方も、棋士を好きになられたんじゃあないでしょうか。 加藤の頭の中には、盤外戦術の考えなど、微塵もありません。 ただ、ただ、将棋に精魂を注ぎ込んでいるだけ。 人によっては、「 ただの無神経、世間知らず 」「 将棋バカ、変人 」と揶揄するかも知れません。 そうでしょうか? の質問に、即座に「 加藤一二三先生 」と答えています。 NHKのプロフェッショナル仕事の流儀の中でも、「 才能とは継続すること 」という名言を 加藤や有吉の将棋に対する姿勢から学んだと話しています。 私は、この大長考のエピソードは、故・米長邦雄の名言 「 自分にとって関係ない試合でも、相手にとって非常に重要な勝負の場合がある。 そういう時こそ、自分の力を出しきらなければいけない。」 に匹敵する程、誇りある逸話だと思っています。 *----------*----------* 【注解】 第16期 十段戦 七番勝負 第7局 昭和53(1978)年1月9・10日 於:東京将棋会館 ▲加藤一二三棋王(当時 38歳)vs △中原誠十段(当時 四冠。名人・王将・王位 30歳) 以下は故・山田史生氏の『 忘れ得ぬ局面 観戦記者編 』 『 将棋マガジン 』平成3年6月号所収 封じ手は午後5時30分。この時手番だった方が次の手を封じるのだが、たいてい10分前後、 長くても30分ほどの後には封じるのが普通であった。 ところが午後4時58分から考慮に入っていた加藤、いっこうに指す気配がない。 延々と考え、ついに7時。もちろん持ち時間の範囲でどの手に何時間考えようとそれは自由。 しかし一日目の終了は6時前を想定、6時半ごろから食事をする予定で準備を整えてある。 もうこの日は指さないからある程度の酒も出るし、食事もコース料理が出る。 それがまだ封じ手をしないうちに7時になってしまった。 規定で7時から1時間夕食休憩。急遽、酒はとり外し料理だけの食事。 立会人の原田九段、長谷部八段、それに相手の中原十段ら、 ぼそぼそと、口数少なくコース料理を食べていた姿が思い出される。 午後8時対局再開、加藤はさらに考え続け、9時10分にやっと封じ手を行った。 実に3時間12分もの大長考だった。 この間、もう自分は指さないのだから、いる必要もないはずの中原が、律儀に席を外すこともなく、 正座して加藤の指し手を待ち続けていた態度も忘れられない。 それにしても加藤の盤面への集中力、精神力はすごい。 他の思惑など眼中になく、自分の納得いくまで考えぬく姿勢にもまたつくづく感心させられた。 長い盤側生活で夕食休憩後の封じ手というのはこの一例があるのみ。 忘れ得ぬ局面である由縁んだ。 ちなみに加藤の封じ手は▲2五桂。 2日目開始時点で残り時間2時間を割っていた加藤、終盤見損じがあってタイトル奪取ならず。 100手で後手中原十段の勝ち。 |
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話が前後しますが、どうして封じ手時刻直前に指すことが盤外戦術なのか? ルール上、全く問題ないのに。 今回は、封じ手の雰囲気をご存知ない方の為に、ちょっと補足します。 封じ手のある2日制のタイトル戦では、持ち時間が各々8時間くらい。 1日目で半分弱を使います。 そして、概ね封じ手時刻30分前に手番の方が封じるのが通例です。 8時間の持ち時間からしたら、30分程度、目くじらを立てるほどではない。 ましてや5分や10分、微々たるもの。 これが、持ち時間1時間なら、5分は貴重です。 持ち時間3時間なら30分は、譲れません。 昔は、2日制のタイトル戦で、1日目は、温泉気分でした。 白熱した戦闘モードは2日目の午後から、としたものです。 最近の様に、1日目で90手も進むなんて、想像もしなかったでしょう。 私の印象に残っているのは、昭和53年の囲碁 棋聖戦、藤沢棋聖 vs 加藤本因坊。(注1.) 1日目の午後3時過ぎには打ちかけ(封じ手)にして、二人で将棋を指していたんですね。(注2.) 私の目には、不思議な光景に映った。(注3.) 将棋界でも、昭和40年台は、同じ光景が見られます。 大山と中原が、指しかけにして、囲碁を打っている写真が残っています。 ご存知の様に、1日目の夕食は対局者、関係者、主催者を含めての会食になっています。(注4.) 海の幸、山の幸、地元の美味しい料理が用意されています。 対局場が、旅館なら浴衣に着替え、座敷での食事。 勿論、お酒も用意されている。 さながら社員旅行の宴会場と見紛う風景です。 よって、関係者などは、この食事が楽しみの一つです。 特に記録係。 大概が奨励会三段。 普段お目にかかれない様な高級料理を、タダで食べられる。 楽しみにするなと言う方が酷です。 記録係の真柴(ましば)が、「 30分経ったぜ 」と心の中で愚痴るシーンがあります。 これはどう言う意味かと言うと、 「 30分経ったぜ。緒方九段、早く封じてくれないかなあ。腹減ってんだよなあ。 美味しい料理が楽しみで記録係を引受けたんだから・・・」 と、まあ、こんな心境なんですね。 断っておきますが、大抵の記録係は、ここまで不届き者ではありません。 『 ヒカルの碁 』の真柴は、役柄です。 主催新聞社の担当者や立会人は、真柴の様なのんびりした気分ではありません。 徐々に顔が引きつって来るところです。 料理を始め色々と心配をしなければなりません。 もし、このまま長考されれば、封じるまで待つのか、それとも一旦中断して食事をし、対局を続けるのか。 一旦中断となると、当然、お酒を出せません。 旅館側も、気が気じゃない。 それでいながら、対局者に気づかれまいと関係者は気配りをするのですが、対局者は敏感に感じ取ります。 まあ、封じ手時刻を過ぎて、精々30分が限度でしょうか。 これ以上長考するには、相当図太い神経が必要です。 従って、もし、目の前の局面が最低1時間は長考したい様な選択肢の多い局面だったら、嫌ですね。 焦って封じると、必ず悔いが残る。 こんなことは、タイトル戦の経験がなくとも、棋士なら百も承知です。 よって、封じ手時刻30分前に手番の方が封じるのが暗黙の礼儀となる訳です。 封じ手時刻直前に指すなら、それは、喧嘩を売っていると受取られる。 どうでしょうか。 盤外戦術の所以たる背景、雰囲気を感じ取って頂けたでしょうか。 *----------*----------* 【注解】 注1.昭和53年の囲碁棋聖戦 第2期 囲碁 棋聖戦 藤沢秀行棋聖(53歳)vs 加藤正夫本因坊(31歳)戦 持ち時間各9時間 期間:昭和53年1月12日〜3月23日 四冠を保持する挑戦者・加藤正夫(本因坊・十段・碁聖・天元)を迎え、藤沢はたちまち1勝3敗に追い込まれる。 カド番の第5局で藤沢は、2時間57分という大長考を払って加藤の大石を全滅させ、気迫の勝利を挙げた。 最終局でも藤沢は半目差で逃げ切り、大逆転での防衛を果たした。 注2.打ちかけ(封じ手) 打ちかけとは、盤面をそのままにすることで、タイトル戦に限らず一般棋戦でも昼食休憩、 夕食休憩のときに発生する。 この棋聖戦の場合、二日制なので封じ手を行ったことを意味する。 封じ手までの時間は、折半して、お互いの持ち時間から減らす。 注3.私の目には、不思議な光景に映った。 闘っている二人が仲良くし過ぎるのは、どうか。 そもそも、二日制にする必要ないじゃあないか、と言う理由です。 注4.1日目の夕食は、対局者、関係者を含めての会食 囲碁界は違うのでしょうか。 『 ヒカルの碁 』のシーンでは、食事は用意されていません。 *----------*----------* 【参照】 |
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封じ手のエピソードを囲碁界ばかりから紹介して来ましたが、将棋界ではどうでしょうか。 第54期 名人戦 七番勝負 羽生名人 vs 森内八段 第1局 我らが羽生名人が七冠を独占しているときですね。 この第1局で、後々まで語り草となる出来事が起った。 挑戦者森内が、封じ手時刻直前に指したのだ。 すわ、盤外戦術か!? 周囲に緊張が走った。 しかし、皆さん解りますよね? 前回まで紹介した囲碁界の例とは違うって。 森内の人柄を知るファンなら、森内がそんな盤外戦術をやらないって、直ぐに解る。 森内は、この名人戦が、初のタイトル戦出場で、当然、二日制なんて初めて。 封じ手も初めて。 どうやって封じたらいいのか、その手順が分らない。 いや、知ってはいるが、それに気を遣いながら行うのが嫌だ。 で、悩んだ挙句、定刻直前に指して、慣れている羽生名人に譲った。 相手の羽生名人は、全く意に介さず、泰然自若としたものですから、何のトラブルにも至らなかった。 むしろ、森内の方が遥かに動揺していたに違いない。 そうすると、先の竜王戦で糸谷七段(現竜王)が、初のタイトル戦、初の二日制、初の海外旅行、初の和服、 そして、いきなり初の封じ手を物怖じせず行ったのには、大物感が漂ってますよねえ。 頼もしい! 封じ手は、定刻の概ね30分前に手番の方が、封じるのが礼儀としたものです。 封じ手時刻の5分前、1分前に指すのは、挑発していると受取られる。 喩えて言えば。 朝の通勤ラッシュの時間帯、早めに行ってホームで行列の先頭に並んで待っている。 電車が入って来て、ドアが開く。 そこに横からサッと自分の前に割込んで来て、電車に乗ろうとする、非常識な奴。 腹が立ちますよねえ。 襟首掴んで、「ちょっと待たんかい!!」って、引き摺り降ろしたくなります。 と、まあ、こんな場面の心境でしょうか。 *----------*----------* 【注解】 第54期 名人戦 七番勝負 第1局 平成8年4月11・12日(2日制・持時間各9時間) 羽生善治名人(竜王・棋聖・王位・王座・棋王・王将の七冠 25歳) 挑戦者 森内俊之八段(25歳) 福岡県福岡市「シーホークホテル&リゾート」で行われ、121手で先手の羽生名人が勝った。 このシリーズ、羽生名人は出だし3連勝し、第4局を落としただけで、4勝1敗で防衛した。 *----------*----------* 【シリーズ「封じ手の駆引き」】 |
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本因坊戦 七番勝負 桑原本因坊 VS 緒方九段 第7局 3勝3敗で迎えた最終局。 百戦錬磨、老獪な桑原本因坊は、心理作戦を用意していた。 封じ手番は、緒方九段に移った。 選択肢がいくつか有り、当然、直ぐには指せない。 封じ手時刻を過ぎること30分、緒方九段は封じた。 皆んなが一旦自室へ散った後、桑原本因坊は、緒方九段を呼び止めた。 いかがでしょうか。 前回のプロ試験予選のヒカルと椿のやりとり。 今回のタイトル戦での本因坊と九段の立話。 レベルは天地の差だが、「 動揺 」を誘った盤外戦術という意味では、全く同じ。 *----------*----------* 【注解】 『ヒカルの碁』(ひかるのご) ほったゆみ(原作)と小畑健(漫画)による囲碁を題材にした日本の少年漫画。 日本棋院所属の女流棋士・梅沢由香里が監修を務めた。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて、 平成11年2・3合併号から平成15年33号にかけて連載された。 放送局:テレビ東京および系列各局 放送期間:平成13年10月10日〜平成15年3月26日 話数:全75話+スペシャル+特別編 【今回の場面】 第30局(第30話)「緒方 VS 本因坊」 緒方九段が桑原本因坊に挑戦する本因坊戦 七番勝負 第7局 【今回の登場人物】 桑原仁(くわばら ひとし)本因坊のタイトルホルダー 飄々とした陽気な好々爺だがその実思慮深く、傍観者でありながら唯一人、対局者であった塔矢行洋と同様に、 ヒカルの新初段シリーズでの打ち回しの真意を見抜いた程の棋力の持ち主。 盤外戦(精神戦)にも長けた老獪な勝負師であり、作中で緒方や倉田ら若手トップ棋士の挑戦を退けた。 また、ヒカルに「ただならぬ気配(佐為)」を感じた不可思議な人物でもある。 緒方精次(おがた せいじ)九段 塔矢門下で、アキラの兄弟子にあたる若手棋士。初心者時代のヒカルを知る数少ない関係者の一人で、 一旦門前払いされたヒカルを院生試験に推薦したり、塔矢門下の研究会に誘ったりしている。 真柴充(ましば みつる) アキラと同期のプロ試験合格者。二段。元院生だが、嫌味な性格で院生達(特に和谷と奈瀬)から嫌われている。 その一方で小心者でもある。 *----------*----------* 【参照】 |





