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将棋の歴史上、最高の名言と思われるものを、私の独断と偏見で選んでみた。 「最高の名言が5つ」とは、自己矛盾していると嗤わないで頂きたい。甲乙つけ難いのだ。 基準は、将棋以外にも広く通じ、人間にとって、日本にとって有益な言葉を上位とした。 第1位 「 棋士の存在そのものが文化だ 」 米長邦雄 第2位 「 自分は消化試合、相手は大一番のとき、全力で負かしに行く 」 米長邦雄 第3位 「 将棋の持ち駒再利用は、人の能力を尊重する正しい思想である 」 升田幸三 第4位 「 才能とは、永く続けること 」 羽生善治(註1.) 第5位 「 仕事のレベルでい言えばサラリーマンはアマ初段。私はプロ八段だ 」 米長邦雄 結果、5つのうち3つも、米長語録が入った。否、入れた。 米長邦雄の知力と世間知、そして、先見力(大局観)が如何に優れていたかご理解頂けるだろう。(注2.) 6位以下の名言は、多いので、次回に回す。 番外だが、面白いところでは、 「 名人なんてゴミみたいなもんだ、俺は、ゴミに集るハエだ 」 升田幸三 「今にわかる」 坂田三吉・・・弟子の星田八段の「なぜ1手目に端歩を突いたか」の質問に答えた台詞 色紙及び川柳部門を設ければ、 「 強がりが 雪に転んで 周り見る 」 升田幸三 *----------*----------* 【追記1】 順位は、時代背景によって大きく変るだろう。 戦後間もない頃なら、升田の「将棋の持ち駒再利用は・・・」が断然第1位だ。 これは、100年後でもベスト3に必ず入る。 今の政治家、外務大臣、外交官に毎朝朗読させたい程だ。 羽生さんの「 才能とは、永く続けること 」は、反響が大きかったので、ベスト5に入れた。 この様子だと、100年後でも上位に残っているだろう。 しかし、永久不滅の名言は、米長の「 棋士の存在そのものが文化だ 」と思う。 「 棋士 」を「 日本人 」に置き換えて考えれば、すぐに解ることだ。 【追記2】 ベスト5のうち、インターネット上で見当たらないのが、第1位と第5位だろう。 第1位の「 棋士の存在そのものが文化だ 」は、以前説明した。 第5位の「 仕事のレベルでい言えばサラリーマンはアマ初段。私はプロ八段だ 」は、次回説明する。 この「 サラリーマンはアマ初段 」は、1番から4番がいくら交代しようが、永久不動の5番打者だ。 1番3番に昇格することもないが、6番以下に落ちることも絶対ない、という珍しい名言だ。 *----------*----------* 【註解】 註1.「 才能とは、永く続けること 」 NHKの『プロフェッショナル』は、各界の第一人者が出演して、我々素人にも勉強になる体験や考え方を 紹介する番組なのだが、その番組で最も視聴者から支持を得たキーワードが羽生さんのこの言葉だった。 注2.「 世間知 」とは 「おとなとして世の中をうまく渡って行く上での判断と身の処し方。 〔正直ばかりでは通用しないとか、世の中には裏が有るとか、事を成功させるためには根回しや 付け届けが必要であるとかの、学校では教えてくれない種類の常識を指す〕」『新明解辞典』 とあるが、私の定義はこうだ。 交際範囲が広く、趣味も多岐に亘りスポーツマン、知識欲旺盛で、読書家、 そして、身を持ち崩さない程度に遊んでいる。 だから、世間の人に、解り易く自分の卓見を説明でき、交渉力がある。 その能力を「 世間知 」と定義する。 ガリ勉で自宅と大学を往復していただけで、遊びも知らず、友達も居ない男には無い能力だ。 その道では一流であっても、その関係の人とだけ付き合って来た男にも無い能力だ。 これを一般的に「世間知らず」と言う。 遊び好き、女性好きだから、徳があるとは言われない。 木村義雄も正しくこの類の人だ。「 世間知 」は抜群だ。 江戸っ子で「 粋 」があった。 升田幸三は、女性好きではなかったようだが、歯に衣着せぬ毒舌が愛された。 しかし、その毒舌の背景には深い見識があったからこそ、政財界の著名人から可愛がられて、 交際が広かった。「 世間知 」は抜群だ。 将棋界での人気歴代1位だ。 芹沢博文と内藤國雄は、テレビによく出演し、プロ棋士を世間に認知させた功績は大きい。 芹沢は、A級まで上ったが、タイトル獲得まで至らなかった。 文筆家で観戦記を書かせると上手い。著書も多い。 「 世間知 」は抜群だ。 大山康晴とは、犬猿の仲だったが、この「 世間知 」の部分だけは大山も認めていたと思われる。 谷川浩司もこれからだ。 米長への追悼談話で「もっと色々なことを教わりたかった」と語っているのも、 この「 世間知 」と経営力のことだろう。 では、我らが羽生善治はどうか? ご心配なく、木村、米長とは違って真面目だし、升田と違って毒舌ではないが、「 世間知 」は抜群だ。 あとは、経営力だ。 *----------*----------* 【追記 2013.10.31】 『 将棋棋士の名言100 』(出版芸術社 2012年11月22日) を発見し、目を輝かせて繰ってみたが、 あまりの杜撰さに声を失った。私の名言集も風穴だらけだが、この本の比ではない。 |
昔の記事、エピソード
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将棋界の歴史上最高の名言。第1位は、米長邦雄永世棋聖・会長の言葉だ。 「 棋士の存在そのものが文化だ 」 これは、今から14年前に、米長が若手棋士を前に挨拶したときの言葉だ。(注1.) 私の独断だが、将棋史上、燦然と輝く永久不滅の名言中の名言だと思う。 宗桂、宗看、看寿、皆んな、文句無く、揃って拍手を送るだろう。(注2.) ぶっちぎりで第1位だ! 「 棋士 」を「 日本人 」に置き換えて考えれば、すぐに解ることだ。 意味は、次のようなことではないかと推察する。 将棋は、日本の素晴しい伝統文化だ。 それを絶やさない様に継承していくのが我々棋士の役目だ。 しかし、将棋文化は将棋そのものに在るのではなく、我々棋士存在そのものにある。 我々棋士が文化なんだ。 活躍し、良い棋譜を残すことも大切だが、人間的に社会から尊敬されることも重要だ。 将棋を学べば、集中力や考える力が養われる。 それだけでなく、礼儀作法から精神力の鍛錬、相手を思い遣る心も身につく。 将棋は、奥深い。 将棋だけでなく、人生も奥深い。 と、言うことが、なんとなく解るようになる。 将棋の強いプロは、あのように立派な人間だ。 だから、学校で、家庭で、将棋を学ぼう。 と、そういう風に棋士が社会から認められることが、本当の普及であり、将棋への恩返しだ。 追記 なぜ、突然、こんな記事を書いたかと言うと、この名言が、ネット上で全く見当たらないからだ。 残念なことだ。 *----------*----------* 【注解】 注1.「 皆さんの存在そのものが文化 」の出典 NHK『 ドキュメントにっぽん 瀬戸際の一手 〜棋士 米長邦雄 54歳の闘い〜 』 放送日:1998年3月27日 第56期 A級順位戦(1997年6月6日〜1998年3月13日) で陥落のかかった米長が、 如何に闘ったかを追っかけたドキュメンタリー。 当時の名人は谷川浩司(35歳)、A級1位 羽生善治四冠(27歳)。 米長九段はA級8位だった。 結果、米長と9位の高橋道雄九段(37歳)が陥落し、佐藤康光八段(28歳)が名人挑戦者となった。 米長のA級陥落が決定してから数日後の3月11日。米長道場の閉校の日。 道場には、若手棋士40人が集まった。 その中には、弟子の伊藤、中川は勿論のこと、羽生、森内、森下など羽生世代が勢揃いしていた。 彼らを前に挨拶をした米長の言葉が、将棋史上、燦然と輝く永久不滅の名言中の名言だった。 「 私をここまで育てて下さった若い皆さん方に感謝すると共に、 今日は忙しい中、本当に有難うございました。 これからの皆さんのご健闘をお祈りして、そして、 日本の文化を絶やさないよう、皆さんの存在そのものが文化なんだと、 これを肝に銘じて、毎日頑張って頂きたい。 どうも皆さん、長い間、有難うございました。 」 注2.宗桂、宗看、看寿 *----------*----------* 【参考】 将棋史上最高の名言ベスト5 将棋の名言 第6位以下。将棋史上の名言 将棋の名言 番外編その1。将棋史上の名言 将棋の名言 番外編その2。将棋史上の名言 将棋の名言 番外編その3。将棋史上の名言 |
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米長邦雄永世棋聖が、順位戦のB1クラスだったころ。 おそらく昭和45年ではないかと思う。( ちなみに、この年に羽生名人が生まれている。 ) 七段。26歳である。 「 自分は消化試合、相手は大一番のとき、全力で負かしに行く 」という名言を吐き、大野源一八段(58歳)のA級昇級を阻んだ。 周囲の先輩諸氏の 「 上手(じょうずに)に負けてやれ 」 の甘言を敢然と否定して、涙を拭って戦った。 と『 週刊現代 』 に綴っている。 この名言は、若い棋士たちの間で伝説のごとく言い伝えられ、伝統として守られてきた。 今の角界を観ると、この米長七段の言葉がどれほど先見性があったか、再認識させられる。 否、「先見性」と言うより「大局観」か(笑) 【追記 2012.12.19】 昨日、米長会長が、この世を去られた。 私は、歯噛みし、膝に爪を立てるほど、悔しく思う。 あらためて、会長の語録を読み返してみると、それだけで、氏の知力が如何に優れていたか、 窺い知れる。 この「 自分は消化試合、相手は大一番のとき、全力で負かしに行く 」を将棋史上第2位の名言と 位置づけ、氏のご冥福を祈りたい。 将棋史上第1位の名言は、氏の「 棋士の存在そのものが文化だ 」である。 *----------*----------* 【解説】 第24期順位戦B級1組は、14名。総当り各棋士13局を戦う。昇級2名、降級2名。 最終局を迎えて、内藤は既に昇級確定。 残り1枠を、大野、中原、芹沢の3名で争うことになった。 米長は消化試合。 大野は、勝たなければ昇級できない。 中原と芹沢は直接対決なので解り易い。 この2人は、大野が負けた場合のみチャンスがある。 勝った方が昇級できる。 大野は58歳、もう二度とないチャンスだ。 米長の先輩であり親友の芹沢が「上手にまけてやれ」と米長に耳打ちした。 しかし、米長は必死に闘って大野を破った。 結果、中原がA級へ昇級した。 面白い運命の悪戯で、もし、米長が負けていれば、中原の24歳名人はなかったかも知れない。 第24期順位戦 B級1組( 1969年6月12日〜1970年3月13日 ) 最終対局前の昇級に関係する棋士と勝敗 内藤國雄(30歳)11勝1敗 昇級確定 芹沢博文(33歳) 8勝4敗 昇級争い 大野源一(58歳) 9勝3敗 昇級争い 中原 誠(22歳) 9勝3敗 昇級争い 米長邦雄(26歳) 7勝5敗 消化試合 B級1組 最終局 ●大野源一(58歳)対 米長邦雄(26歳)○ ○中原 誠(22歳)対 芹沢博文(33歳)● |
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故升田幸三 実力制四代名人は、故大山康晴 十五世名人と昭和の一時代を築いた名棋士である。 二人は、三歳違いの兄弟弟子であり、最大のライバルであった。 対戦成績は、大山の96勝70敗で、升田が負け越しているが、升田以外に大山に対抗出来る棋士はいなかった。 だから、タイトル戦と云えば、大山対升田のカードばかりであった。 生涯成績でも、タイトル獲得数でも、圧倒的に大山が升田を凌いでいる。 しかし、これは升田が最も指し盛りだった頃に、兵役を務めたことと、その戦争中に患った病気が原因で復帰後も健康が優れず、長期休場するなど、条件が悪かったことも背景にある。 だが、人気は断然升田の方が上だった。 それは、升田の発言が、将棋界だけにとどまらず、多くの人から拍手喝采を浴びたからだ。 こんなエピソードがある。 昭和二十三年の夏、升田幸三はGHQ(連合軍総司令部)に呼び出され、将棋に関する事情聴取を受けた。 GHQは 「 チェスと違って日本将棋では、取った駒を自軍の兵隊として使用する。 これは捕虜の虐待で国際条約違反だ。日本軍の捕虜虐殺に通じる野蛮なゲームである 」 と難くせをつけてきた。 升田は、まず「 酒を少し飲ませろ 」と言った。 ビールが出され、それを飲むと、 「 冗談を言われては困る。チェスで取った駒を使わんのこそ捕虜の虐待だろう。 日本の将棋は敵の駒を殺さない。常に全部の駒が生きておる。 これは人の能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという正しい思想である 」 さらに 「 アメリカ人はしきりに民主主義を振り回すが、チェスでは王様が危なくなると、 女(クイーン)まで盾にして逃げようとするじゃないか。あれはどういうわけだ。 民主主義やレディーファーストの思想に反するではないか 」 これには係官も呆れたらしく 「 貴君は実に良くしゃべる。珍しい日本人である、みやげにウイスキーを持って行け 」 などと言ったそうだ。 『 升田幸三物語 』 東公平著 平成7年3月 日本将棋連盟発行この話、今聞いても痛快である。 羽生四冠は、亡くなった棋士の中で最も指してみたい棋士に、「 升田幸三 」を挙げている。 *----------*----------* 【追記 2012.12.19】 この挿話は、「 将棋の持ち駒再利用は、人の能力を尊重する正しい思想である 」と略して 将棋史上第3位の名言と位置付ける。 時代背景と共に順位は入れ替るが、いつ第1位になっても、不思議ではない至高の名言である。 *----------*----------* 【参考】 将棋史上最高の名言ベスト5 将棋の名言 第6位以下。将棋史上の名言 将棋の名言 番外編その1。将棋史上の名言 将棋の名言 番外編その2。将棋史上の名言 将棋の名言 番外編その3。将棋史上の名言 |
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第21期竜王戦 決勝トーナメント 羽生善治四冠対糸谷哲郎五段 戦が7月28日行われ、 後手羽生四冠が108手で勝った。 この対局は、随分と注目された戦いだったと思う。 その理由は三つある。 その一つが糸谷五段。 19歳。2006年4月 四段。 翌2007年、大阪大学文学部に合格。 プロ四段になることは、国立大学に合格するより至難の業だと言われる中、 高校三年の時、プロ四段になり、現役で国立大学に合格するのは大変な逸材である。 第37回新人王戦で優勝し、授賞式の謝辞で 「いまの将棋界は斜陽産業。僕たちの世代で立て直さなければ・・・」 とコメントし、関係者を唖然とさせたらしい。 終局後の感想戦では、対局相手は勿論のこと、感想戦に加わった周囲の先輩達も 悉く論破してしまう。 神吉六段が初対戦のとき、軽く「イトタニ君」と呼ぶと、「イトダニです!」と 厳しく訂正したとか。 などなど、数々の逸話がある。 将棋界でも異端児と呼ばれる橋本崇載七段が「強すぎる。怪物だ!」と叫んだことから、 ニックネームが「怪物」となった。 将来の名人候補と目されており、初対戦の羽生四冠にどこまで迫れるかが注目された。 理由の二つ目は、羽生四冠が、十代棋士と指すのは、今回で二人目と言うこと。 過去、十代棋士と指したのは、渡辺竜王が十代だった時のみ。 将棋界は四段でプロ。十代でプロになる棋士が少ないこともあるが、シードの羽生四冠と対戦しようと 思ったら、一次予選から最低6連勝以上しないと実現しない。 十代棋士が羽生四冠にどこまで迫れるかも注目の一つ。 理由の三つ目は、羽生四冠が竜王戦の挑戦権を得られるかどうか。 この糸谷戦に勝ち、あと三人を破れば挑戦権獲得となり、初の永世竜王を賭けて渡辺竜王と タイトルを争うことになる。 結果は、順当に、羽生四冠が勝った。 終局後、糸谷五段は珍しく目を充血させ、声も震えていたらしい。 周囲は、こんな彼の姿はついぞ見た事がないとか。 う〜ん。 負けたのが相当悔しかったのだろう。 「傾向と対策」を片手に十二分に予習して来て、試験に不合格。 そんなこと、嘗て経験したことが無ったのだろう。 新人が、棋界トップの羽生四冠と対戦できただけで、普通、感激しそうなものなのに・・・。 やはり、「怪物」である。
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