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3月13日、私は兵庫県の城崎温泉へ蟹を食べる目的で1泊旅行した。 いや、いや、美味しかった。 蟹は勿論のこと、野菜も、岩海苔も、全て美味しかった。 満足、満足の2日間でした。 唯一残念だったのは、王将戦 第6局の2日目と重なり、『ニコ生』で観戦出来なかったことくらい。 出発前に志賀直哉の小説『 城の崎にて 』を買った。 城崎は、この本のお陰で随分有名になり、名湯に数えられるようになったと言っても過言じゃあないだろう。 城崎の人々は、出身地の宮城県以上に志賀直哉に感謝しているに違いない。 旅行案内パンフレットの積りで読んだのだが、当が外れた。 どうして、題名を『 城の崎にて 』にしたのか、理解に苦しむ。 私が、作者なら、題名は『 自己嫌悪+残忍=人間 』とする。 〔城崎温泉 町の風景〕 *----------*-----------* 【城の崎にて】 *----------*-----------* 【参照】 『 小僧の神様・城の崎にて 』 志賀直哉著 新潮文庫 平成25年2月25日80刷
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読書・熟語・語源
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はたして代議士は犬畜生か テレビは巨大なジャーナリズムで、それには当然モラルがある。 私はそれを「茶の間の正義」と呼んでいる。 眉ツバものの、うさん臭い正義のことである。 <中略> ある朝、(モーニング・ショーに)名高い女優が出て、和服の講釈をしたあげく、一反の着物を拡げて、これが二十万円!とても私達は買えないと、たまげてみせた。司会の三人組の一人、女のタレントは、うなずいてみせた。 かりにもゲストは芸人である。昭和四十五年現在十万や二十万の着物が買えないはずはない。 衣装は商売道具である。げんに彼女が今着ている品だって、ずいぶん金目のものである。 ウソおっしゃい、司会の婦人は言うかと思うと、いかにもと相槌打ってみせる。 八百長である。 <中略> 視聴者の嫉妬を恐れるのである。視聴者の大半は、「月収三万円乃至六万円」だと、テレビ側は睨んでいる。 だから、買った、買おうとは金輪際言わないのである。事もなげに安いと言ったら、見物の主婦たちは、忽ち我に返って嫉妬するに決まっている。 <中略> 司会者は、わが税制は富めるものに有利で、貧しきものには不利だという一例に、定期預金の利息と、株の配当の分離課税をあげていた。 <中略> けれども、司会者はその貧しきものではない。 <中略> 分離課税にも一理はあるのである。それを最もよく知るものは、ここでは司会者である。 その司会者が憤然としてみせるのはお芝居である。私が茶の間の怒りと呼ぶところのものである。 司会者が、女優が、大衆的な月給とりとほぼ同じレベルで口を尖らすのは、尖らさなければ、反感を買うからである。 <中略> わが国の新聞は、明治以来野党精神に立脚しているという。義のため権威に屈しないという。 自分で言うのだから、眉ツバものだが、読者は反駁するデータを持たない。ほんとだと思うよりほかない。 けれどもこれは、悪口雑言である。人を褒めて面白く読ませるのは至難である。 悪く言って面白がらせるのは容易だから、易きについたのだと私は思っている。 どんな愚かものでも、他人の悪口だけは理解する。だから、柄のないところへ柄をすげて、読者に取入って、それを野党精神だと自らあざむくのである。 <中略> モラルは精神の内部から去って、外部に移った。新聞に移った。 新聞は美談と醜聞−−モラルの支持者になった。「社説」は修身の権化である。 自分は決して履行しない、履行するつもりがないモラルを説く。そして、その自覚がない。 官制の「修身科」復活と聞くと、必ず反対するのは、おカブをとられるのを恐れるあまりかと察しられる。 <中略> 自分はアプレ(注)のままでいて、為政者だけに、金も要らぬ、名も要らぬ、命も要らぬ、まるで西郷隆盛みたいな大人物であれという。その手前勝手に皆さんが気がつかないのは、重ねて言うが、根底に嫉妬心があるせいである。彼らの月収が三〜六万とすれば、手当を加算した議員の四十万円前後の金は、驚くべきかつ憎むべき月収なのである。 <中略> 政治家の四十万と、家計の四万とを混同してはならぬ。四十万で何ができるか。 大挙して押し寄せる選挙区からの客を、二三度もてなしたら足が出るのではないか。 もてなすこと少なければ、ケチだと客は不平をならす。彼らを卑しいと言ってはならぬ。 人はすべて卑しいのもである。 選挙区からの客、即ち貴君(又はぼく)でない保証はどこにもない。 よしんば己が色魔でなく、また袖の下はとらなくても、時と場合によっては色魔であり、袖の下をとる存在だと承知した上での意見でなければ、それは意見ではない。 私は政治に、女性的なものが介入するのを、危険だと思っている。 女性が正義で潔白だと思い得るのは、言うまでも無く実社会の責任ある地位にいないせいである。 <以下略> *----------* 【感想】 この『 はたして代議士は犬畜生か 』が書かれて四十五年以上経つが、全く古びない。 日本の各家庭に備えるべき一冊だ。 ところで、日本の議員が靖国神社を参拝したことに抗議をするため、韓国の議員が来日するという。 内政干渉も甚だしい。 こういう輩を本当の「 犬畜生 」と言う。 *----------* 【注釈】 アプレ[ (フランス)apr�・s ]「アプレゲール」の略。アプレゲール 戦後の意。戦後派。特に第二次大戦後、従来の思想・道徳に拘束されずに行動する若い人々。⇔アバンゲール。 *----------* 【出典】 『茶の間の正義』 山本夏彦著 中公文庫 昭和54年 p.10〜25 所収 (初出昭和42年[1967年]文藝春秋社刊 のち中公文庫で新版再刊) |
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純真無垢な少年がひたすら白球を追う。青春の汗が散る。おお高校野球、そこには大人の世界の汚れはない・・・。 ああ気持ち悪い。 ウソで固めた高校野球。学校は宣伝のためにと金を注ぎ込み、少年はプロになって金を稼ごうと練習に打ち込み、周囲の大人はこれを利用して金を得ようとしている。 全部が全部じゃあないにせよ、こんなこと誰でも知っているのに新聞は書かない。 新聞が書かないから世間は「なかったことにする」と我が敬愛する山本夏彦氏は易しく書いてくれる。 少年たちも勝っているうちは、不祥事がバレると出場停止になるからおとなしくしているが、負ければ怖いものがなくなるから、甲子園の周りで安酒を食らい、女をからかう。純真でも無垢でもない。 この実に厭らしき”見せ物”の元凶がNHKである。NHKで放送しなければ宣伝にならぬから、金を出すものもいなくなるだろう。 厭らしさの極致は、アナウンサーと解説者である。絶対と言っていいほど悪口を言わず、10点も差がついても、頑張りさえすれば何とかなるようなことを言う。 本当にそう思っているとしたら、病院へ行くべきだろう。 一つの提案がある。 国は税増収に悩んで財源をあちこちと求めているようだが、NHKに”命令”してA校とB校の試合のハンデをいくつと発表させ、郵便局に行けば野球トバク券が買えるようにし、勝った方から一割を税として取ればたちまち財源が潤うだろう。 友人同士でビール代くらいを賭けてゴソゴソやっている者も、国の財政に寄与する行いとなれば、胸を張って金を張ることが出来るようになる。 警察は暴力団の資金源になるからと、忙しい中、摘発しようと働いているようだが、この方策を採れば今の野球トバクは自然となくなり、税増収にもなって国民は胸を張って生きられる。 悪い所は一つもない、と思うのだが如何だろう。 これが駄目なら、せめてNHKの放送だけでも止めてくれないだろうか。 日本国の電気代がずいぶんと違うし、偽善の言い合いもなくなって心に平安が来る。 *----------*----------* 【感想】 約三十年前の文章だが、最後の「日本国の電気代がずいぶんと違うし・・・」という件は、まるで今の 電力不足を予言したかのようで背筋が寒くなった。 まあ、それより、NHKが当時より、体質が悪化していることの方が、薄ら寒いか。 *----------*----------* 【出典】 『王より飛車が好き』 芹澤博文著 サンケイ出版 昭和59年12月15日発行 p.79〜81 |
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サラ金についての思いを記せば、人を殺した、強盗をやった、自殺した、こんな新聞記事に決まり文句のようにサラ金の催促に耐えかね、とか出ている。 冗談いっちゃいけません。サラ金と言えば聞こえはいいが、昔は高利貸しと言った。 借りる者は高利を承知で借りただろう。借りた時にはそれでも借りられて助かったと思っただろう。 それが返せなくなり、警察に泣き込むとか、強盗をやるのを、サラ金のせいにするなんて、 それを正しいという書き方をするマスコミは、どういうつもりなのか、トンと解らぬ。 普通の人なら、金が入用になれば自分の蓄えを使うだろう。蓄えなくば、親戚、友人から借りるだろう。 それが駄目なら会社・銀行から借りるだろう。これも駄目でサラ金に行く。 <中略> サラ金を商売の手形を落とすため、やむを得ず借りる場合もあろうが、ほとんどが遊興費に充てるようである。 さんざ海だ、山だ、酒だ、バクチだと、金が入る当てもなく借り、さて返す段になり催促がキツイ、高利だ、はチト虫が良過ぎませんか。 誰が横着で悪いかはハッキリしているであろうに、新聞などには業者が悪く、借りて返さぬ者が被害者のように書く。書いている人も借りているんではないかと詰らぬことを勘繰ったりしてしまう。 蓄えなしは計画性なし。会社・銀行が貸さぬは信用なし。これ他人が悪いわけではなく、自分に欠陥ありでしょう。 そんな欠陥ある者にサラ金はお困りでしょうと貸してくれるのである。 返すと言い、高利も承知でと言うから貸してくれるのである。 それなのに返さないとは何事か。金利を払うのも嫌だと言うのは何事か。 これ普通なら催促する。催促して返さぬから怖いオニイサンに取り立てを頼む。 返しさえすれば、また、約束通り金利だけでも払えば怖いオニイサンは来ないのである。 金は借りたは、返金はしないわ、金利は払わぬわ、これじゃあ貸した者は堪らぬ。 誰が約束を破ったか、誰が悪いか、こんなハッキリしているのに、なぜサラ金屋さんは悪人にされるのか、実に不思議である。 サラ金を借りたから人殺しをする、自殺する、盗みを働く。 こんな人は、サラ金から借りなくても同じことをするだろう。 *----------*----------* 【感想】 かれこれ三十年前の記述だ。ところが、現在はこの当時より悪化した。 平成11年の利息制限法の改正はいいとしても、それを遡って返還請求できるとした。(注1.) トンデモナイ悪法が世の中を闊歩している。 それによって「武富士」は経営破綻したが、それまで一部上場の優良企業だった。(注2.) これによって潤ったのは法曹界だ。 「○○法律事務所 過払い金返還請求はお早めに!!着手金ゼロ。相談料無料。完全成功報酬制。」 「武富士」の社長もヤクザ紛いにマスコミに叩かれたが、それ以上に汚いのがハイエナの様な弁護士だ。 勿論、弁護士の中には、誠実で尊敬できる人もいる。 しかし、あまりに筋が通らない話なのに、これに異を唱える弁護士をトンと耳にしない。 *----------*----------* 【注解】 注1.平成11年の利息制限法の改正 「貸金業の規制等に関する法律等の一部を改正する法律」(平成11年12月17日法律第155号)によって、 本法律4条1項の遅延損害金の制限利率が、利息の制限利率の2倍から1.46倍に引き下げられた (平成12年6月1日施行)。 起案は、共産党議員の佐藤昭夫、橋本敦、内藤功の狡猾な3名による 「サラ金規制強化に関する質問主意書」(昭和54年6月14日提出)に遡る。 注2.「武富士」の経営破綻 経営再建中の消費者金融大手、武富士は2010年9月26日、会社更生法の適用を東京地裁に近く申請する 方向で最終調整に入った。 顧客が過去に払い過ぎた利息の返還を求める「過払い金問題の解消のメドが立たず、自力再建を断念した。 帳簿上の負債は6月末時点で4300億円。 過払い金とは、利息制限法の上限金利(15〜20%)と出資法の上限(29.2%)に挟まれたグレーゾーン 金利分の支払いのこと。 最高裁が2006年1月に利息制限法を超える金利の受け取りを厳しく制限する判決を出したのをきっかけに、 貸金業者に対し利用者からの返還請求が急増した。 *----------*----------* 【出典】 『王より飛車が好き』 芹澤博文著 サンケイ出版 昭和59年12月15日発行 p.69〜72 |
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自分の目で見よ、他人の目で見るな、という。 自分の言葉で語れ、他人の言葉で語るなという。 そして自分で考えよ、と、なが年学校で教えるから、生徒も親もまにうけて、それが可能で、 げんに自分の目で見て、自分で語っているつもりでいるが、そんなこと、できない相談である。 その証拠に吉田茂氏の評価が、短時日に一変したことをあげたい。 彼ほど在任中悪くいわれた首相はない。いわく、自分を臣・茂と称した。 大学教授を、曲学阿世の徒と評した。 労組の幹部を、不逞のやからと罵った。 以下を略すが、毎日悪口雑言をあびせられ、それが何年も続いたから、 ついには本ものの犬畜生と思われるまでになった。 当時、彼を弁護するのは危険だった。袋叩きにされた。 それが一変して、歴代総理中の第一人者になった。 チャーチルに比肩する宰相、機知と諧謔にみちた座談の名手になった。 死んだらマスコミは泣けといって、テレビは泣いている市民をうつした。 あの泣いた人は、以前罵った人である。全く同一の人物である。 してみれば、まじめ人間は、笑えといわれれば笑い、泣けと命じられれば泣くものとみえる。 これを「善良な市民」という。善良というものは、たまらぬものだ。 危険なものだ。殺せといえば、殺すものだ。 それでいて、今の哀悼がうそであること、以前の冷笑がうそであるがごとしというと、食ってかかる。 今の涙も以前の笑いも、ともに本気だというのか。 そもそも本気とは何か考えて(自分で)みたことがあるのか。 泣け、または笑えと、新聞またはテレビは繰返す。読んで、また見て人は喜んで支配される。 選択を許さぬというより、善男善女は選択する能力がない、また選択することを欲しない。 それを新聞は承知している。 敗戦直前まで、アメリカ人は鬼畜だった。直後は正義と人道のモデルだった。 共産党でさえ、マ司令部の前で万歳を三唱した。 今はベトナムを、ソンミを、沖縄を見よ――再び鬼畜である。 その評価は情報の多寡できまる。またきまらなければ繰返せばきまる。 人は他人の目で見て、他人の言葉をおうむ返しに言う動物である。 自分の考えと自分の言葉をもつものは希である。 そしてこの世は、他人の言動に従う無数と、従わぬ少数とから成っている。 無数は進んで従っただから、強いられた自覚がない。 それにもかかわらず大衆は、自分が凡夫凡婦であることを密かに承知して、ほとんど絶望している。 だからある日突然、天才が出現してくれるのを待っている。 ヒトラーもスターリンも、今は犬畜生だが、以前は神人か天才だった。 天才なら仰いで一言もなくついて行けば、どこかへ連れて行ってくれる。 そこはいいところに決まっている。 自分の考えもなく、言葉もなく、晴れてみんなで追従できるのだもの、こんな嬉しいことはない。 万一しくじっても、それは天才のせいで、凡夫のせいではない。 昔なら英雄豪傑、今なら革命家の出現を、いつも、彼ら(また、おお我ら)は待っている。 待っていれば、いつかは必ずあらわれる。 私はそれをとがめているのではない。 とがめて甲斐ないことだから、ただ無念に思っているのである。『毒言独語』 山本夏彦著 中公文庫 p.133〜135 初出昭和46年9月 *----------*----------* 【感想】 初出の昭和46年頃、ときの総理大臣は佐藤栄作である。 今は、昨年末に衆議院選挙が行われ、与党民主党が大敗、自民党が過半数を占め、安倍晋三内閣が発足した。 この間、約40年。 日本の大衆は、少し賢くなったような気がする。 しかし、「 天才が出現してくれるのを待っている 」のも確かだ。 日本の不幸は、チャイナとロシアの強大なヤクザ国が、隣に居ることだ。 その上、チンピラの北朝鮮と韓国がたむろしている。 助けになるはずの米国は、自由・民主主義・資本主義と言う弱点を抱えている。 となれば、日本にヒトラー並のリーダーが現れるのを望んでもおかしくないだろう。
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