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(医療と療養の違い-手術可能年齢の上限は?-(4) から続きます)
最後に以下のエピソードを付記して,今シリーズを終了と致します.
「お久しぶりです.よくご自宅で頑張りましたね」
「家内が,頑張ってくれました.そして○○先生と約束したから」
「ありがとうございます.あとは私が主治医となりますから,最期までご安心下さい」
「お願いします」
先週日曜日に緊急入院がありました.70代男性で,診断は胃癌末期です.実は9月に私の外来を受診した方でした.
外来受診時,紹介状には胃癌末期と書かれていました.私は必要な検査をしてみましたが,確かにCTでは腹水が貯留していて,胃カメラの所見と総合すると癌性腹膜炎と思われました.だったら抗癌剤治療を模索しましたが,採血上肝機能異常を認め,やはり断念せざるを得ませんでした.
私は老夫婦に,意を決して説明しました.内容は
(1)胃癌末期で可能な治療が無いこと
(2)残された時間は限られていること
(3)当院には緩和病棟はないが,最低限の緩和療法であれば出来ること
男性は私の説明を聞いて少し考えてから,こうお答えになりました.
「先生,よく分かりました.実は11月に身内の一周忌が控えていて,それを済ませてから,ここにお世話になりたいです」
「了解しました.それまではどうぞ,ご自宅で頑張って下さい…」
お聞きした話では,その日は家までお二人で歩いて帰ったそうです.また11月のある日には,やはりお二人で映画を観に行かれたそうです.そして一周忌も無事に運び,12月の御自身の誕生日を家族のみなさんに祝ってもらって,お二人とも精も根も尽き果て救急車を呼んだそうです.
年は越せないかも知れないことは,今さら伝えなくても分かっていたことでしょう.奥さんも悔いは無いと言っていました…
癌によって「最期」を迎えようとしている方の背景は様々ですが,核家族化が進んだ現代の日本社会において,ほとんどの方が医療施設で「最期」を迎えています.でも日本の既存病院には「最期」の場所として,いろいろな意味でキャパシティーが足りません.
私にはこの問題に対する明確な回答が思い浮かびませんが,現場の声を一つ挙げるとすれば,病院の持つ機能が高度化すればするほど,末期癌の患者さんの居場所は無くなるということです.言い換えれば日本にはきちんとした終末期医療を行える病院がほとんどありません.
日本市民は健康にどん欲だと思います.日本の医者の疾患に対する治療への情熱は,他国の医者にも決して劣らないと思います.でも終末期医療の話になると,その誰もがトーンダウンしてしまいます.私は担癌患者さんを扱う医療スタッフとして,終末期医療充実の早期実現が,実は癌を克服することよりも,ずーっと重要なのではないかと思っています.
なぜなら患者自身あるいはその家族として,あまりに多くの方々が終末期医療に関わっている現状を,間近に見る機会が非常に多いからです…
本文は昨年中にアップするつもりで記しました.本文に登場された患者さんが,昨年末に亡くなられたことを付記します.ここに心よりご冥福をお祈り申し上げます.また時を示す語句は敢えて変えませんでした.
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ほんま理想的な体験談ですね。患者さんも先生も・・・ポチ☆
父と母を癌で亡くしたんですが・・
主治医や病院 いろんな背景によってもですが 患者の性格によっても
父と母の最期は まったく違うものになりました。
今では どれもいい思い出です♪
2008/1/8(火) 午前 8:38
私も長い入院生活の中で色々なタイプのがん患者さんと話す機会がありましたが先生の「あとは私が主治医となりますから,最期までご安心下さい」の言葉はどんなにか心強いものか実感しています。
2008/1/9(水) 午前 10:12
よりよい最期を望む気持ちは今も昔も変わらない人間として当然の想いだと思います。私のブログ「我家がホスピスになった」は完結しましたので、このブログはそのままにして新たなテーマで書いていきたいと思っています。
ご愛顧ありがとうございました。
こちらへはまた訪問させていただきます。
2008/1/9(水) 午前 10:41
おかんさん,医者はやはり患者さんに信頼されてなんぼ,だと思います.でもいつもうまくいくわけではありません.そこが難しいところです.傑作ありがとうございました.
2008/1/11(金) 午前 6:12
YOMOGIさん,最期までと言うことは,そこまで起こり得ることを話さなければなりません.つまり告知です.そしてそれを理解する知性と,受け入れる許容心がなければ,患者さんはパニックになります.パニックになると患者さんの家族からは,告知に対して非難されることもあります.なかなか難しい仕事です…
2008/1/11(金) 午前 6:16
木漏れ日散歩さん,ご訪問ありがとうございます.またこの前は,足跡を残さず失礼致しました.木漏れ日散歩さんの新たな出発を楽しみにしております.
2008/1/11(金) 午前 6:17
ターミナルケアの大切さが良くわかる記事ありがとう御座います。先生の人柄の良さ的確さに頭が下がる思いで読みました、医療がよりよい方向へ進んで行く事を祈っております。
2008/1/11(金) 午前 8:51
確かに人間にとって死ぬということは大切な儀式、自分で納得して死にたいですよね。
日本は、やはり宗教観がない分、少しこのあたりの考え方が希薄なんでしょうかね。
もっと、本人の望みというか、考えを尊重した終末医療があってもいいように思います。
2008/1/12(土) 午前 8:06
気持ちの上で色々な紆余曲折があったのでしょうが、悔い無しと言える奥様の気持ちに感銘を受けます。ターミナルケア、時々耳にしますが、立ち遅れがあるのですね。この先、どの様にターミナルケアが変わって行くのかと少し関心が持てました。
2008/1/15(火) 午後 11:50 [ 森羅・bang-show ]
残された時間がわずかと分かったときに何をしたいか時々考えます。私も祖父を癌で亡くしましたが「余命○ヶ月」といわれてからどう過ごすかはとても難しい問題だなと思います。私の祖父が癌になってからは3ヶ月のうち外泊が数日間許可されただけでした。死期の直前まで普通の生活が維持できるような治療も大事だと感じました。
2008/1/19(土) 午前 0:42 [ - ]
まきさん,現状の終末期医療にはバリエーションが多すぎて,正直,現場の一人として悩んでしまいます.だから終末期の患者さんに人工呼吸器を付けた,はずしたで騒ぎになるのです.その結果,医師は殺人罪だというのですから,どうかしています…
2008/1/30(水) 午前 6:26
匿名さん,おっしゃる通りです.そういう無駄な医療行為は,日本の医療費の多くを食い潰してしまっています.人間がどのように死んでいくのが良いのかを,もっと議論すべきだと思います.
2008/1/30(水) 午前 6:29
Sandyさん,日本の場合,尊厳死の概念が定着していません.尊厳死どころか,無駄な延命治療を家族が望んだりすることさえあります.「人の死」について,日本人の一番苦手なテーマではないでしょうか?
2008/1/30(水) 午前 6:32
森羅さん,日本人は人の命を,とかく質より量で判断しがちだと思います.長く生きたといっても,病院で死骸のように生かされている方が,この国には非常に多くいらっしゃいます.それは家族が自分で看護,介護をしないにも一因です.それらを自分でやらなければ,どんなに大変かが理解出来ないのです.そういうみんなの意識改革が,必要だと思います.
2008/1/30(水) 午前 6:37
mecha-gonさん,数年前の日本では「余命○ヶ月」と本人に伝えることもタブーだったことを考えれば,少し進歩しているのかも知れません(笑)日本にはホスピスのような,病院以外の終末期医療のための場所が足りません.だから話が複雑になるのです.病院に入院すれば,治療が始まってしまいますからね…
2008/1/30(水) 午前 6:43
こちらにもコメント書きますね。去年女友達が癌でなくなったんですよ。体調が悪かった時はもうすでに末期だったんです。友達も残り少ない命の中でたくさんの思い出を作ろうとがんばってました。今ふっと彼女を思い出しました・・
2008/1/30(水) 午後 1:36