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13年間書き続けて来たこのブログですが、
とうとう、
最後の日が近づいて参りました。
かねてご案内の通り、移転が決まり、
その作業も最終盤にさしかかっております。
「花粉症 何でも話そう」
という名前のトピを、
やむを得ない仕儀により閉鎖し、
傷心の中始めたブログでした。
書き始めた当初から、
いろんなことがありましたが、
ずっと支えてくださったブロ友さんがいて、
なんとか、今日まで、
書き続けることができました。
来る友があれば、去る友もあり、
それには
少々淋しい思いもありますが・・・・・。
「袖触れ合うも他生の縁」
と申します。
心開いて語り合えた日々は、
私にとって、
何物にも代え難い宝物です。
ここに書き残された言の葉の数々は、
今の私ができる限りのことをして
保存しました。
そして、これからも、
書き綴って参ります。
みなさま、
長い間のご厚誼、
ありがとうございました。
心から御礼申し上げます。
新ブログには飛ばない設定にしてあります。
コメント欄も閉じてあります。
コメントは、ゲストブックへ、
鍵付きでお願いいたします。
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四月朔日に発表された新元号は、「令和=れいわ」。
出典は万葉集。
大伴旅人邸で開かれた梅見の宴で詠まれた歌の序文、
「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、
梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す」
から、とのことでした。
発表時にNHKで見ていた私たちには、
ワイプに隠された額が見えず、
それと認識できるまでに少々時間を要しましたけれども、
まあ、それは、ご愛嬌。
一生忘れない瞬間になりましたので、
それもヨシといたしましょう。
私の第一印象は、
「なんとも固い字を選んだなぁ」
でした。
「令」の字で、最初に思い浮かんだ言葉は、
「飛鳥浄御原令」
日本最古の律令法と言われているものです。
漢字の持つ意味は複数にわたることが多く、
字から受ける印象は、人それぞれでしょう。
案の定、いろいろなことを言う人が現れました。
「命令の令は、上からの印象が強い」
確かに、それは、私も感じました。
が、「令」の字の成り立ちを調べましたら、
「人がひざまずいて神意を聞くことを意味する」
と、ありました。
あ、なるほど、神のみこころを聞くのですね。
それじゃあ、
畏まって(かしこまって)跪く(ひざまずく)のは当然です。
この、跪くを、躓く(つまずく)と取り違えた輩がいて、
そういう批判を加えた慌て者も見かけましたが、
ちょっと恥ずかしい思いをされたかと。
さらに、論語の「巧言令色鮮し仁」に言及し、
トンチンカンな批判を加えた東大教授がいましたが、
これは、「巧言」「令色」に仁が少ないと言っているのであり、
「令」に仁が少ないなど、笑止千万で、
何をか言わんや、って話ですね。
孔子も、
この、ず〜〜〜〜っと後世の勘違い弟子には、
苦笑いしたことでしょう。
令嬢、令息、ご令室様などの美称は、よい意味で、
出典にある「令月」も、まさにその用法であり、
ここは素直にそう受け容れるのがよろしいかと。
ただ、歴史好きは、
ついつい「りょうわ」と読んでしまいがちなのです。
私が最初に思い浮かべた
「飛鳥浄御原令」も、読みは「あすかきよみはらりょう」
つまり、「律令」の「りょう」です。
ちょっと小耳に挟んだ情報によると、
元号というのは呉音で読むという法則が、一応あるそうです。
「天平=てんぴょう」とか「貞永=じょうえい」とか
「正慶=しょうきょう」というように。
実は、「和=わ」も、呉音だそうです。
「令=りょう」が呉音で、「令=れい」は、漢音なのだそう。
つまり、漢音で揃えるなら、
「和=か」を使った方がよかったのかも、という話でした。
これには、ものすごく納得しました。
実は、「りょうわ」という音はすんなり腑に落ちますし、
「れいか」という音も耳に心地よいのですが、
どうも、「れいわ」は座りがよくない。
これは、読みが、
漢音+呉音の組み合わせだったからなのですね。
さてこそ、
「では、しょうこさんは
『令和=れいわ』に批判的なのか?」
とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、
さにあらず。
私は、
今回の改元が、
慶賀に満ちていることが
殊の外嬉しい。
昭和天皇崩御で、諒闇のさなかにあったあのとき、
「平成」と掲げられた新元号を、
喜びを持って受け容れられなかったことは、
なるほど、今上陛下もおつらかったのだなと、
今更ながら、思いをかみしめています。
アンケートやら何やら、
くだらない予想番組の横行に辟易しつつ、
当面、発表は差し控えたいと言っていた六案全てが、
一夜にして漏洩したことに憤慨しつつも、
粛々と選定されたこの元号を、
素直に受け容れたいと思っています。
批判をしたいだけの批判は、こういうときはそぐわない。
名前には、強い言霊が宿っています。
新しく即位する天皇の諡(おくりな)になるはずの
この「令和」にケチをつけるのは、
「その時代を生きる私たちの未来」に
唾棄するのと同じです。
ただ、疑問には真摯に向き合って、
一つ一つ理解を深め、
納得することは大事だなと思います。
そうやって理解した上で、
受け容れ、慣れていくために、
一ヶ月という猶予期間は、
長すぎず短かすぎず、
よかったなぁとも思います。
「崩御からの譲位ではなく、生きている間に」
という、今上陛下のご英断は、
初めに聞いた時には驚きましたけれども、
今となっては、感服の至りです。
新しい「令和」の時代を、
明るく、美しく、和やかに生きていくのは、
ほかの誰でもない、私たちです。
全ての日本人が、誇りを持って生きられる、
そんな時代になりますように。
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コメント(4)
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姫路城脇の好古園は、下屋敷だったところ。
こういう、門の写真を撮ってるところへ、
何でわざわざ写り込みに行くんだろうね、あの人は。
園内は、馬酔木の花盛り。
おきなぐさ
ボケ
馬酔木=あせび
ウメ
春の花に出会いました。
園内は、いろんな種類の竹がある庭や、
松ばかり植えられている庭など、
特徴のあるブースに分かれいていて、
まるでテーマパークのようでした。
いわゆる、回遊式大名庭園ではないので、
広い割には大きい感じがしませんが、
なんか、日替わりで楽しめるような気がして、
こんなお庭は飽きなくていいかも、
なんてことを思いました。
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2019年3月18日(月)
姫路城に行きました。
美しいものには、黄金比があるそうな。
そして、機能性の高いものは美しい。
この、石垣の隅の角度も、強度を追及したら
こんな美しいものになったのでしょうかね。
物理的な知識は皆無なので、私は、よくわかりませんが。
で、石垣を積むにあたっては、
材料として大きな石が必要なわけですが、
この画面手前の細長い石と、
門脇の縦長の石は、古墳から持ってきたそうで、
そう、石棺ですよ。
いやいやいやいや・・・・・・・、
何しはりますのん?
戦国武将、何するやわかりません。
超合理主義者だったのかもしれませんけど、
棺を持って行かれた方も、
さぞかしビックリしたでしょうねぇ。
まあ、遠目に見る分には、充分白い。
人も少ないので写真も撮りやすい。
ま、いいか。
たくさん たくさん 歩いたのですが、
大きな豆大福を食べたので、
「何もかも全部なかったことになった」
のかもしれません。
それは、ちょっと、くやしい。
気持ちのよいお天気で、
寒くなく暑くなく、
元気に歩けましたけれど、
そろそろヒノキも飛び始めて、
マスクは外せませんでした。
それでも、夏の炎天下や寒空の下でなく、
春に行けたことは、よかったのかも。
帰りは、一時間半くらい。
まずまずのドライブ旅行でした。
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2019年3月18日(月)
普通の一日のつもりでした。
週末から別荘へ行く予定なので、
準備を始めないと、とは思っていましたものの。
確かに、よいお天気でしたけれど、
まさか、いきなり、
「姫路城に行こう!」とか、
朝の10時半に言われるとは思ってませんでした。
実は、私、先週、やらかしてしまったのです。
月曜日に病院から拉致られてスキー場へ直行したので、
病院へ行ったことなんかすっかり飛んでしまって、
処方箋をファックスで薬局に送ったことなど
土曜日にお叱りの電話がかかるまで、
すっかり忘れていました。
そのため、朝から病院や薬局へ電話して、
平謝りに平謝り。
幸い、主治医が「いいよ〜〜」と言ってくれて、
処方箋の有効期限延長ができ、
「今日こそ、お薬をもらいに行かなきゃ」
という状態でした。
なので、薬局へ寄ってから出発。
既に11時を過ぎていました。
で、到着は12時45分頃。
意外と近い。
これが、曲者。
意外と近い→いつでも行ける
→いつかは行ける→なかなか行けない
こういう展開になっちゃうんですよね。
平成の大修理が終わったのは、
ちょうど4年前の2015年3月でした。
そりゃもう、白い白いって話で持ちきり。
大行列でわんさわんさ人が来ました。
でもね、しょうこ家は、行列が苦手なのです。
「ほとぼりが冷める」のを、ずっと待っていたのです。
いよいよ、天守閣へ。
あらら?
もう、あんまり白くなくない?
さすがに、
4年も待っていたのは失敗だわね。
姫路城の強烈な白さの理由は、
勿論、壁の漆喰が白いから、
なのですが、この、屋根にも漆喰、
というのも理由のひとつ。
ホント白いね〜〜。
美白の女王も、マッシロ!
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