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【正満 英利】2012/8/21 永眠 もう更新は、御座いません

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 今朝の『上毛新聞』に地域発トピックスで、
 
 「黒瀧山の滝まつり」が報じられていた。
 
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            「黒瀧山滝まつり」の上毛新聞記事
 
 それが何時行われたか聞かないと判らないが、多分七月中の事だろう。
 
 「黒瀧山の雨乞い」については、本年二月十一日に、簡単にブログしたが、
 
 この「雨乞い」の名残りに、近年になって行われる様になったものだろう。
 
 そこで少し詳しくその由来を解説しよう。
 
 一昨日までの豪雨で、新潟や福島では甚大な被害が発生したが、
 
 これが長野・群馬に集中すれば、荒船山系は大災害をもたらすだろう。
 
 普段は水量の少ない、黒瀧泉も暴流に晒されて山麓の集落は大災害となる。
 
 昔は、龍神の八大龍王中でも、「娑伽羅王(さからおう)」の為せる業と、
 
 水神や農耕神にまつり、旱魃が続けば雨乞いを願ったものである。
 
 黒瀧山では、黒瀧泉の滝に龍神が棲むと云われ、
 
 「龍神の滝」とも呼ばれているが、
 
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                         黒瀧泉
 
 潮音禅師は、「黒瀧泉」とも「黒瀧飛泉」とも名づけ、
 
 度重なる被害から農民を救うため、
 
 滝に毘盧遮那仏を祀った石碑を立てて龍神を封じ込めたのである。
 
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                      毘盧石
 
 石碑は円相の中に梵字で、「空風火水地」の五大、
 
 即ち大日如来(毘盧遮那仏)を象徴的に表現したもの、
 
 その下に「黒瀧飛泉 毘盧石に瀉ぎ今古断える無く流れ ・・・ 
 
 維旹(ときに)貞享五(1688)戊辰仲夏(五月)天 黒瀧山開山嗣祖沙門潮音海 ・・・ 」
 
 と、潮音禅師の法語が刻まれているが、
 
 雨乞いで幾度となく倒された時の損傷で、文字の判読できない部分もある。
 
 元禄六年(1693)の五月、潮音禅師は旱魃が続いたので農民のに求められ、
 
 「雨乞い」の祈祷をされた。
 
 『潮音禅師語録』の中に、その時の法語が残されている。
 
 「元禄六癸酉年五月廿三日 上州黒瀧山に於いて久しい旱(ひでり)に霖雨を祈る」
 
 と、題して次のように詠んでいる。
 
     夏天久旱稲苗枯   夏天は久しく旱て稲苗枯れる
 
     忽啓祷壇各自雩   忽ち祷壇を啓いて各自雩(あまごい)すれば
 
     慈雨悲霖随念下   慈雨悲霖念ずるに随い下り
 
     畠田五穀速時蘇   畠田の五穀は速時に蘇る
 
 この時が黒瀧山での初めての雨乞いであったろう。
 
 それから今日まで幾たび雨乞いが行なわれただろうか。
 
 「黒瀧山の滝まつり」の記事を見て、
 
 その昔の行事を思い起こした。老人の呟きである。 
 
 

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老人の呟きなのに良く御出で下さりました。

2011/7/31(日) 午後 1:51 [ 七艸庵 ]


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