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今朝の『上毛新聞』に地域発トピックスで、
「黒瀧山の滝まつり」が報じられていた。
「黒瀧山滝まつり」の上毛新聞記事
それが何時行われたか聞かないと判らないが、多分七月中の事だろう。
「黒瀧山の雨乞い」については、本年二月十一日に、簡単にブログしたが、
この「雨乞い」の名残りに、近年になって行われる様になったものだろう。
そこで少し詳しくその由来を解説しよう。
一昨日までの豪雨で、新潟や福島では甚大な被害が発生したが、
これが長野・群馬に集中すれば、荒船山系は大災害をもたらすだろう。
普段は水量の少ない、黒瀧泉も暴流に晒されて山麓の集落は大災害となる。
昔は、龍神の八大龍王中でも、「娑伽羅王(さからおう)」の為せる業と、
水神や農耕神にまつり、旱魃が続けば雨乞いを願ったものである。
黒瀧山では、黒瀧泉の滝に龍神が棲むと云われ、
「龍神の滝」とも呼ばれているが、
黒瀧泉
潮音禅師は、「黒瀧泉」とも「黒瀧飛泉」とも名づけ、
度重なる被害から農民を救うため、
滝に毘盧遮那仏を祀った石碑を立てて龍神を封じ込めたのである。
毘盧石
石碑は円相の中に梵字で、「空風火水地」の五大、
即ち大日如来(毘盧遮那仏)を象徴的に表現したもの、
その下に「黒瀧飛泉 毘盧石に瀉ぎ今古断える無く流れ ・・・
維旹(ときに)貞享五(1688)戊辰仲夏(五月)天 黒瀧山開山嗣祖沙門潮音海 ・・・ 」
と、潮音禅師の法語が刻まれているが、
雨乞いで幾度となく倒された時の損傷で、文字の判読できない部分もある。
元禄六年(1693)の五月、潮音禅師は旱魃が続いたので農民のに求められ、
「雨乞い」の祈祷をされた。
『潮音禅師語録』の中に、その時の法語が残されている。
「元禄六癸酉年五月廿三日 上州黒瀧山に於いて久しい旱(ひでり)に霖雨を祈る」
と、題して次のように詠んでいる。
夏天久旱稲苗枯 夏天は久しく旱て稲苗枯れる
忽啓祷壇各自雩 忽ち祷壇を啓いて各自雩(あまごい)すれば
慈雨悲霖随念下 慈雨悲霖念ずるに随い下り
畠田五穀速時蘇 畠田の五穀は速時に蘇る
この時が黒瀧山での初めての雨乞いであったろう。
それから今日まで幾たび雨乞いが行なわれただろうか。
「黒瀧山の滝まつり」の記事を見て、
その昔の行事を思い起こした。老人の呟きである。
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老人の呟きなのに良く御出で下さりました。
2011/7/31(日) 午後 1:51 [ 七艸庵 ]