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曾て群馬県吾妻郡下に開かれていた
黄檗宗黒瀧派傘下の寺院は、五か所あった。
国定忠治で知られる、大戸の関所近い大戸村の補陀山大円寺と、
八ッ場ダムで一躍脚光をあびた、吾妻渓谷の松谷村の百丈山大智庵については
既にブログしたが、
それらの他に、川戸村に、広智山大道寺。
植栗村に淨沢山大泉寺。
中之条町に普門山寶満寺があった。
この内、大円寺・大智庵・大泉寺については、
黒瀧山不動寺の末寺帳に記録されているが、
大道寺と寶満寺は記録されていない。
末寺帳の作成前に廃寺されたものだろう。
大道寺も寶満寺も地名に残されている。
しかし、『黄檗山派下寺院牒』に「上野州吾妻 普門山寶満寺」と記載されている。
『黄檗山萬福寺派下寺院牒』より (萬福寺蔵)
随分その所在地を探し、尋ねたものだった。
潮音禅師年譜の天和二年(1682)の条に、
「雪庵白興普門山法(寶)満寺募化」 (雪庵白は普門山法満寺を興し化を募る)
とある。雪庵の記録はこれ以外は殆ど無いが、
貞享五年(1688)八月二十七日に、印可を許される。
一旦は旗揚げした「寶満寺」は、
雪庵の努力にも拘らず、物心両面に行きつまり、
翌、元禄二年、雪庵は江戸の如意庵に請われると、
寶満寺を弟子に譲って江戸に出たが、
その後は、何時とはなしに寶満寺は廃寺の運命をたどった。
今その旧跡を尋ねても、
ただ「宝法満寺」と云う、小字名が残っているだけである。
中之条の古刹林昌寺の山号は「寶満山」、
古い時代に寶満寺を合併して山号としたという。
これを見ると「寶満寺」はかなり古い旧跡であったようだ。
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