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「織田氏の庭園」で、近頃脚光を浴びている 「城下町小幡」
その群馬県甘楽郡甘楽町に、「桃花山龍門寺」がある。
桃花山龍門寺山門
元禄13年(1700)に、奥州白河藩主松平忠弘の養子忠尚(ただなお)が、
伊達郡桑折に陣屋を開き、桑折藩2万石を起した。
このとき忠尚は、奥州利府(宮城県利府町)に「霊嶽山龍蔵寺」を開いていた、
「鳳山元瑞和尚」(ほうざんげんずい、黒瀧山二代)を迎えて、
松平家の位牌所として開山したのが龍門寺である。
従って開山は鳳山元瑞、開基は松平(奥平)忠尚である。
この、桑折藩二代の玄蕃守忠暁(ただあきら)は、
享保8年(1723)に領内の「半田銀山」で有力な鉱脈を発見し、
銀の産出を増大させたが、元文元年(1736)病に倒れた。
三代を継いだ、摂津守忠恒(ただつね)は、直接銀山経営に当たっていたが、
延享4年(1747)7月、幕府に半田銀山は収公されて、
所領の一部は、上野(群馬県)の邑楽郡・吾妻郡・碓氷郡などに替地されると、
邑楽郡篠塚に陣屋を新たに構えて「篠塚藩」とした。これで桑折藩は消滅した。
寛延元年(1748)9月、再び所領替えがあり、桑折の所領が移されると、
新所領の群馬郡上里見に陣屋を構え、「上里見藩」を成立した。
この時、桑折に残して在った「龍門寺」を、上里見に引移したのであるが、
明和4年(1767)9月、又また所領替えが行われ、
明和事件で失脚した織田氏の跡の小幡藩に封じられた。、
そこで、龍門寺も再び藩主と共に小幡に移されたのである。、
その後、忠福(ただよし)、忠恵(ただしげ)、忠恕(ただゆき)と、
松平家の位牌所として藩主に守られ
明治維新を迎えた。
松平(奥平)家の菩提所は、江戸墨田区の弘福寺である。
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