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地図の上から見ると、分水嶺からかなり群馬県に食い込んでいる
長野県南佐久広河原の禅昌寺に就いては、
6月16日のブログで紹介したが、
その中で、此処の弁財天には上州(群馬県)南牧谷からの参詣者が多く、
参詣者は、「通行手形もいらなかったとも聞く」と、紹介したが、
それを裏付ける資料が、禅昌寺が戴いた「禅昌寺古文書」コピーの中にあった。
写真で示したとおりの控え古文書だが、
読解すると次の様になる。
「差し上げ申す一札の事
一 拙寺(せつじ)本尊 弁才天 当子年(とうねどし)開帳仕り候 之に依って南牧
谷村々 女参詣の儀 御願申し上げ 当三月廿九日より四月三日まで
五日間 先例の通り何卒(なにとぞ)
御関所御通(おとおし)下され候様 願上げ奉り候 尤も先例仰せ付けられ
候通り 拙寺において番人付け置き 急度(きっと)相改め帳
面に記し 信州より参詣の者と相紛れ相越し申さざる様
厳敷く(きびしく)吟味仕る可く候 万一病気にて当村に止宿
仕り候者之有り候はば 其の段早速御届け申し上げ可く候
若し又 銘々御渡し成され候御切手の内戻らざる女
之れ有り候はば 私共急度詮議(きっとせんぎ)仕り 早速引き戻し
申す可く候 何の儀に寄らず紛らわ敷き儀 之れ無き様仕る可く候
後日の為一札差上げ申し候処 仍て件の如し
信州佐久郡田ノ口村之内
広河原 禅昌寺 印
右村役人三右衛門 印
南牧御関所御蕃所中 」
これを見ると、弁財天の祭礼のある三月二十九日から五日間だけ、
参詣者の女衆を先例通り通行手形が無くも通して貰いたい。
と云う願書だ。「入り鉄砲と出女」の監視が、主たる任務の関所であれば
南牧関所の役人は総て南牧の人であるので、
みな顔なじみの間柄であるが、
この様な形ばかりの形式も採られていたのだ。
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