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愛知県知立市は江戸時代東海道の池鯉鮒(ちりふ)宿として栄えていた。
この知立市牛田町に大雄山泉蔵寺がある。
黄檗宗寺院として開山された寺であった。
知立市牛田大雄山泉蔵寺
明治五年に無住を理由に廃寺となり、一寺は小学校として使われたが、
明治廿五年に臨済宗妙心寺派の寺として再興されている。
泉蔵寺を尋ねると、本堂には、隠元禅師、木庵禅師はじめ
泉蔵寺の歴代黄檗和尚の位牌が沢山残されている。
黄檗関係歴代の位牌
『潮音禅師年譜』の元禄八年の条に、
隠元禅師廿三回忌法会に出席するための旅の途中のこと、
「・・・ 霊州孫遮駕供養・・・」(法の孫の霊州は旅の駕籠を遮って供養した)とある。
泉蔵寺内陣
『潮音禅師語録』に、
「参州碧海郡(愛知県知立市)大雄山泉蔵寺は
慈峰法子(弟子)手ずから開闢する所なり
開山慈峰元俊の寿像
法孫(孫弟子)霊州継席して諸殿堂を建立法器漸く備わる
茲年(このとし) 乙亥季春(元禄八年三月) 山僧(潮音禅師自身)黄檗に登る
霊州及び法檀は老僧に信宿(宿泊)を請う 偈を以て示す
垂迹八幡衛正法 垂迹した八幡正法を衛る
同交感応寺今開 感応同交して寺今開く
黒瀧一脉流斯地 黒瀧の一脉は斯の地に流れ
宗水長潤尽未来 宗水長く尽未来まで潤す
とある。
今隣接する八幡宮は、泉蔵寺の鎮守であつたので、
鎮守八幡宮
潮音禅師は、この時八幡の垂迹神像を佛工仲秋に命じて彫らせることにした。
この像が完成したのは、この年八月の事だった。
『黒瀧開山潮音老和尚末後事実』に、
「八月 ・・・ 初九(九日)霊州孫 八幡菩薩の開光を請い法語あり ・・・ 」と、
法語集には
「 ・・・ 信宿の次いで、鎮守八幡本地垂迹の木像 佛工仲秋に命じて彫刻し
己に成り 寺主法語を請う」とある。
それは、八月九日のことであった。
翌十日、臨川寺方丈の地鎮祭の後潮音禅師は病が再発して倒れ、
廿四日に遷化されたのである。
記録に残っている開光法語はこれが最後゜だった。
本地弥陀佛 八幡垂迹神 一心頂礼 智福可充身
點亳曰く 慈眼点開似日光 明照一徹億千春
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