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先日の入院中に、
黒瀧山の住職さんから『南牧谷戦国史』と題する冊子を贈られた。
『南牧谷戦国史』
著者は知人の南牧村在住、市川太平氏、
その肩書に、南牧郷土研究会々長、
潮音大学理事長、
南牧村文化協会長、
連山会代表とある。
市川太平氏は、南牧市川一族で、長年に亘り南牧村の旧跡を調べ、
沢山有る山城址、砦址、烽火台をつぶさに実地踏査し、
史実に照らして一書にまとめたもので、
その労苦は想像を絶するものであったろう。
挿絵は黒瀧山の良円住職が描く
戦国時代に、甲斐の武田信玄が
上信国境の余地峠を越えて関東に侵攻する際に
協力した「南牧谷の市川一族」は、砥沢の山に城を構え、
この地で勢力を広めていた。
遠祖は、甲斐市川庄の出であることから武田勢に加勢したわけだが、
そのころ、南牧谷には十ヶ所以上の山城があり、
砦があり、烽火台が有って、それぞれに覇を争っていたようだ。
その城址などを一つ一つ実地踏査された結晶である。
机の上だけで歴史書を書いている学者先生には出来ない業だ。
学者先生は、足で探すことは余りやらずに資料を基に書いている。
時には、他人が苦労して見付けた資料でも平気で利用する。
そして学閥とか派閥があって、地方の郷土史家などの意見など
「何を空ごと」と、相手にしないことが多いのだ。
それには、どしどし調べたことを発表することが良い。
前から感じていたことだ。
市川氏は、砥沢城の市川真乗を本家として、
羽沢城に市川真治、塩沢城に市川真好と三家に分れた。
その子孫が江戸時代に帰農したのが、
黒瀧山開基の砥沢の市川半兵衛(円慶居士)であり、
羽沢の市川四郎兵衛(法輪居士)であり、
塩沢の市川清兵衛(宗厳居士)である。
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