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【正満 英利】2012/8/21 永眠 もう更新は、御座いません

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 先日の入院中に、
 
 黒瀧山の住職さんから『南牧谷戦国史』と題する冊子を贈られた。
 
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                  『南牧谷戦国史』
 
 著者は知人の南牧村在住、市川太平氏、
 
 その肩書に、南牧郷土研究会々長、
 
         潮音大学理事長、
 
         南牧村文化協会長、
 
         連山会代表とある。
 
 市川太平氏は、南牧市川一族で、長年に亘り南牧村の旧跡を調べ、
 
 沢山有る山城址、砦址、烽火台をつぶさに実地踏査し、
 
 史実に照らして一書にまとめたもので、
 
 その労苦は想像を絶するものであったろう。
 
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           挿絵は黒瀧山の良円住職が描く
 
 戦国時代に、甲斐の武田信玄が
 
 上信国境の余地峠を越えて関東に侵攻する際に
 
 協力した「南牧谷の市川一族」は、砥沢の山に城を構え、
 
 この地で勢力を広めていた。
 
 遠祖は、甲斐市川庄の出であることから武田勢に加勢したわけだが、
 
 そのころ、南牧谷には十ヶ所以上の山城があり、
 
 砦があり、烽火台が有って、それぞれに覇を争っていたようだ。
 
 その城址などを一つ一つ実地踏査された結晶である。
 
 机の上だけで歴史書を書いている学者先生には出来ない業だ。
 
 学者先生は、足で探すことは余りやらずに資料を基に書いている。
 
 時には、他人が苦労して見付けた資料でも平気で利用する。
 
 そして学閥とか派閥があって、地方の郷土史家などの意見など
 
 「何を空ごと」と、相手にしないことが多いのだ。
 
 それには、どしどし調べたことを発表することが良い。
 
 前から感じていたことだ。
 
 市川氏は、砥沢城の市川真乗を本家として、
 
 羽沢城に市川真治、塩沢城に市川真好と三家に分れた。 
 
 その子孫が江戸時代に帰農したのが、
 
 黒瀧山開基の砥沢の市川半兵衛(円慶居士)であり、
 
 羽沢の市川四郎兵衛(法輪居士)であり、
 
 塩沢の市川清兵衛(宗厳居士)である。
 

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