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11月10日は、潮音禅師の誕生日だ。仏門では愍忌と呼んでいる。
『潮音禅師年譜』をみると、
「後水尾院皇帝の寛永五年戊辰(1628)十一月十日辰の刻(午前八時)に生まれた。
肥前州(佐賀県)小城郡の人なり」とある。
詳しくは小城市小城町西川(旧小城郡三里村字池上ヶ里の小字西川)の生まれで
ある。
姓は楠田、父は某(徳雲元栄居士 = 延宝三年四月廿二日没)、
母は前田氏(心鏡妙観大姉 = 寛永九年六月五日没)、
家業は記されていないが、地元で尋ねると、「石工でなかったか」との返事、
西川集落に隣接する砥川(戸川)集落には、石工が集団して住んでいて、
西川集落はその一部地域でもあつたと聞くし、
又、父が後妻(月浦和尚の母)を、戸川集落の(塚原氏)から迎えたが、
これが家業は石工と伝えられているのではないだろうか。
『潮音禅師年譜』は、更に「大悲山の観音大士に祷(いの)って身籠り ・・・
胞衣(えな)を左肩に纏って、恰も褊袒(へんだん)の相の如し ・・・」とある。
胞衣を左肩に纏ってと云うから、へその緒が左肩に巻き付いて生まれた。
それが偏袒の如し、衣をまとった様だつたと云う。
大悲山は、西川集落の寺で「大悲山慈雲寺」、
本尊は「聖観世音菩薩」であるが、
すでに廃寺となってその跡地には僅かの墓塔が残っている。
大悲山慈雲寺の跡
其処に、黄檗宗第五十七代管長村瀬玄妙猊下が、
「黄檗緑樹派祖潮音道海大和尚誕生地」の大きい石碑を建てられてた。
潮音禅師誕生地の碑
潮音禅師の生家跡は、全く不明だがこの近くであった。
そして、この寺の住職 泰雲和尚について、九才から読み書きを習い、
十三才で得度を受け、仏門に入った受業の寺である。
後には、弟の月浦和尚もこの寺で泰雲和尚から得度を受けたのである。
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