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渡良瀬川は足利市内を南北に分断して東流している。
その河川敷の中に、孤島のように高さ凡そ30メートルばかりの丘があって
岩井山と呼ばれている。
曾ては、北側の旧市街から、岬状に突き出していた丘で、
その昔、足利長尾氏の岩井山城要害の址と聞いている。
その南面を湾曲して流れる渡良瀬川は、
昭和22年9月のキャサーリン台風の氾濫で、
市街地と分断され新旧河川敷に挟まれた陸の孤島となり、
今では市街地から河川敷の上を橋で結んでいる。
ヤフーの航空写真で見る岩井山(中央)
山頂には赤城神社が祀られ、近くに乳房地蔵尊のお堂がある。
儂が訪れた時、このお堂は無残ににも荒れ果てていた。
お堂の中は雑然としていた。
そして、中に入るのも危険のようだった。
本尊乳房地蔵尊は、光背付石刻の地蔵尊で高さは2メートルばかりだった。
乳房地蔵尊
お堂の前に六地蔵の石像があり、
台石に「明和九年十二月吉祥日 岩井村中
・・・ 千年寺六代 慧海舟 千年寺七代 百之拙」とあった。
お堂に隣接して、元集会場だったと云う荒れた建物が有った。
千年寺跡に建てられた元集会所
案内した呉れた老婆の話では、「これが千年寺の跡」ということだったが、
季節が夏の盛りで雑草に覆われ、
石仏も雑草に覆われていた
無数の藪蝦の襲撃に堪らず再度を期して山を下った。
千年寺の開創は詳らかでない。
潮音禅師の館林の萬徳山広済寺開創の頃には岩井山千年寺は存在し、
龍峰和尚が住職していた。
『潮音禅師年譜』の天和二年(1682)の条に、
「巌井龍峰の徒を挽う偈 知蔵月浦を挙げて巌井山に住まわし偈を示す」とある。
『潮音禅師詩偈集』にその偈も残っているが、今回は省略する。
この時期、潮音禅師の義弟「月浦和尚」は広済寺に修行していたが、
この時から潮音禅師の命で「千年寺住職」となった。
そして四年後、貞享三年(1686)六月、千年寺を達玄和尚に譲り、
信州浅間山普賢寺に移っている。
乳房地蔵尊の木額
千年寺は達玄和尚の後、明治のころまで存在したが、
維新によって廃寺となり、乳房地蔵尊のお堂のみが今に伝わっている。
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