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今年も十一月になると、喪中の挨拶状が届き始めた。
久しく無沙汰して亡くなったのも知らず、喪中の挨拶に驚く場合がある。
黒瀧山不動寺の関係者にとっては忘れることの出来ない寺の一つ、
勢州庄野(三重県鈴鹿市庄野町)に在る
臨済宗東福寺派の「瑞雲山妙法寺」の「川口完道和尚」が、
黒瀧山を訪れた時の完道和尚
本年六月に九十二才で遷化されたとの挨拶状には驚きを隠せなかった。
儂は何度か妙法寺に完道和尚をお訪ねし、
瑞雲山妙法寺
黒瀧山の関係者廿余名を案内し、寺宝を拝見させて頂いたこともあった。
また黒瀧山に完道和尚を、ご案内したこともあつた。
それは黒瀧山で廿年も修行していた元山主の「高源元泉和尚」が、
妙法寺に在る高源和尚の塔
潮音禅師を黒瀧山に迎えると、黒瀧山を潮音禅師に譲って、
信州佐久(長野県南佐久)に、「勝間山花厳院」を開いて移り、
更に、江戸大慈庵(後に萬徳山広済寺と改称)の二代となったが、
勢州庄野の「寂光山長寿寺」の覚心元翁和尚の再三の招きに、
大慈庵を弟子の龍巌淨活和尚三代に据え、
「逸老の地」として庄野の長寿寺に移ると、
長寿寺の本尊だった無量寿如来像
伽藍の改修など、寺門の興隆に勤め、長寿寺中興開山となった。
長寿寺は、幕末まで法灯を維持して来たが、
やがて、無住となり、明治になると廃寺となった。
妙法寺の鐘楼
それで、元本寺の故を以て、妙法寺に合併吸収されたが、
この時、長寿寺の高源和尚の墓石、位牌、はじめ、
覚心和尚と高源和尚の塔
本尊無量寿如来像、高源和尚直筆の「寂光山長寿寺伝記」、
隠元禅師将来と伝える「金銅子安観音像」、更に慈母観世音菩薩像、
隠元禅師将来と伝える子安観音像
梵鐘(二代龍雲淨興和尚の撰文で寺史が刻まれている)
その他の資料も移された。
高源和尚直筆の寂光山長寿寺伝記
今、黒瀧山には、歴代塔所に塔碑が在るのみで、
それに刻まれた、黒瀧山二代の鳳山元瑞和尚の撰文も、
風雨に晒されて判読も出来ない始末だ。
長寿寺の遺物を伝える庄野郷土誌の一頁
黒瀧山の関係者よ、
廃人の呟きと、このまま切り捨てないで、
曾て長寿寺で出した大般若の祈祷札
元山主の資料が、妙法寺に在ることを忘れないで欲しい。
川口完道和尚のご冥福を祈りつつ。
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