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【正満 英利】2012/8/21 永眠 もう更新は、御座いません

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潮音禅師の教化の姿

 
 近頃、『禅林執幣集』と云う、
 
 元禄十三年に版行された古書のコピーを入手した。
 
 編者は「花園末葉亡名子」とあって、本名は知られない。
 
 内容は、隠元禅師の来朝によって伝えられた、
 
 臨済宗黄檗派 (いま黄檗宗)が、全国に拡大したのに対して、
 
 二十数項目について批判したものである。
 
 それに潮音禅師の『霧海南針』も、やり玉に上がっていた。
 
 『霧海南針』については後日に紹介する予定だが、
 
イメージ 1
 
 この書の中で 「読霧海南針弁」と云う項目があり、
 
 そこに、編者が木曽路の旅宿で、潮音禅師の教化の姿を見たと、
 
 次のように記している。
 
 「余が木曽路を行脚中に、たまたま旅宿で休んでいると、
 
 黄衣を着け、払子を手にした老僧が、二三人の弟子を伴って来た。
 
 宿のものが潮音和尚と呼んでいた。
 
 彼は、俄に家を借りると戒壇を設け,
 
 法器を鳴らして近隣の無智の男女を集め、
 
 懺悔受戒の教化を作しては、僅かの戒銭と若干の信者を得ると、
 
 次の宿、又次の宿と、戒銭と若干の信者を得て移って行く、
 
 それは、毎日次々と移動して行く、まるで旅役者か猿回しが、
 
 村里の知恵の足りない男女を、
 
 驚き、騒がせているのに似たようなものだ ・・・。」(原文は漢文なので訳す)と、
 
イメージ 2
 
 潮音禅師の教化拡大の様を批判している。
 
 江戸時代に成ると、宗門改めの寺請制度が設けられると、
 
 既成の教団は権力を持つようになり、それが寺院や僧侶の頽廃を呼び起こし、
 
 やがて仏教批判、そして廃仏論と発展した。
 
 この様な中で、新しい宗風を拡大していくのは大変なことであったろう。
 
 僅かずつ信者を増やし、宗風拡大に励んだ潮音禅師の姿か゛
 
 彷彿とする。

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